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会津滅亡…

中学生の頃に日新館に家族旅行で行ったのが懐かしく今年の大河ドラマを見始めたのですが随所に『ならぬものはならぬ』というセリフが挿入されていますが、このスローガンの所為で会津は滅んだと思うのですが実の所どうなのでしょうか?

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  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.3

 「幕府を支える」というのが会津藩(一般大衆も含む)のレゾン・デートルで、ドラマでも言っていたと思いますが、藩祖の保科公(家康の隠し子との説もある)は「幕府に反旗を翻すヤツは俺の子孫ではない(ゆえに藩主ではない)ので従うな」というようなことを言っていたはずです。  幕府の藩塀となるというのが、会津藩の譲れぬ一点でしたから、「なぜ、幕府を裏切ってはならないのですか」という質問をしても、「ならぬものはならぬものです」という回答が返ってきたことでしょう。  その結果、一致して倒幕軍と戦ったわけです。  で、戦った結果、衆寡敵せず敗北し、滅亡(本当に滅亡したわけではない:いわば政府が斃れただけ)したので、まあ、「ならぬものはならぬものです」というスローガンのせいで滅亡したと、言えなくもない、と思います。  正確には、そのスローガンせい(ひっこみが付かなくなったせい)で戦ったわけではなく、そのスローガンの土台となる「藩塀思想」に殉じたのですから、もって瞑すべし(死んでもかまわない、心残りなく成仏できる)と言うべきでしょう。  

0kwaver
質問者

お礼

docomoのドメイン指定みたいですね…

その他の回答 (5)

noname#203203
noname#203203
回答No.6

>会津は滅んだと思うのですが実の所どうなのでしょうか? 滅んでません、会津の末裔の人が怒りますよ。 その後、会津藩は明治政府から冷遇されます、この辺を大河ドラマにした 獅子の時代があります。

0kwaver
質問者

お礼

会津の皆さんごめんなさい。オススメの獅子の時代を視てみます。

noname#188107
noname#188107
回答No.5

>実の所どうなのでしょうか? 明治維新後は全ての藩が解体されて、 薩長のお殿様まで「騙された」などと言ってたような。 そういう意味では、会津が徳川幕府に殉じていなくても 無くなっていたことは明らかです。 日本全国でここまで悲劇的かつ好意的に 取り上げられる地域もそうはないわけで、 滅んだと言っても、一族郎党死に絶えたわけでもなく、 一時的に朝敵の汚名を着せられて 他の藩に先んじて解体されただけに過ぎません。 虎は死んで皮を残すというように、 会津も祖先の遺訓に従って、今に至るまで 美名を保ったと言えるのではないでしょうか。

0kwaver
質問者

お礼

薩長のお殿様も騙されてしまったのですかぁ。会津だけではなかったのですね…

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.4

まあ、会津藩だけでなく、あの幕末から明治に変わっていくとき、世の中の「価値観」、「価値基準」が大きく変わりました。 それまで、「正義」であり、「善人」であるとされていたのが、逆に「謀反」であり、「犯罪人」という評価になったわけですよね。 新撰組なんて、今でいうなら首都の治安を守る警視庁だったわけだけど、あっという間に暴力団組織、犯罪者グループって扱いに変わった。 また、第2次大戦の敗戦直後は、共産党・共産主義者って、それまで「非国民」扱いで弾圧され拷問で殺されていたりしたのが、一転して、横暴な政府と軍部に命をかけて戦い続けた英雄たちってことになってしまった。また、どこの家にもあって当然だった国家神道の神棚は、ほとんど見なくなってしまった。 しっかりと日本の世の中の流れ、そして世界の流れと時代の精神を見つめて、考えていないと「あれれ???、ちゃんといいつけを守ったのに!こんなに頑張ったのに、なんでこうなるの、こんな扱いになるの???」という悲しいことになります。 平和な時代が400年近くも続いた江戸時代が、黒船(外国の武力)の脅威によって大きく変わったように、昭和~平成の時代も中国・北朝鮮の戦艦や核の脅威によって、ふたたび時代の価値観、常識が大きく変わりつつあるのを感じるこのごろですね。そして、「憲法9条」を守り続けることも、「ならぬものはならぬ」というのと同じでしょう。 世が普通の時なら、なにも考えず「ならぬものはならぬ」というスローガンに流されてもいいかもしれませんが、「時代の節目」「時代の変わり目」にあるときは、しっかりと世の中をみつめていないといけないという教訓を会津は与えてくれていると感じました。

0kwaver
質問者

お礼

ある意味に於いて頭を使わなかったことが場面場面で+にも-にも働いてしまったのですか…

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.2

こんにちは。 私の父方は、会津藩主「松平容保」の弟君になる桑名藩主「松平定敬」公に仕えた桑名藩士の末裔で、母方は会津町民の末裔ですから、会津戊辰戦争に興味を持った時期がありますが、藩主容保公が「京都守護職を幕府から拝命」したことが会津藩の悲劇だったと思います。 これは、会津藩主保科家の養子となった容保公が養子として使命感を強く持ち、徳川将軍家に忠誠を尽くし過ぎたことが「討幕派の恨み」を一手に買ってしまったことが会津戊辰戦争を避けられない状態に陥らせてしまったと思います。 会津の「ならぬものはならぬ」の教えを、藩主容保公が少しでも理解してたなら、将軍家への頑なまでの忠誠心より会津藩の家臣や町民の将来を案じたのではないでしょうか? なお、容保公は謹慎処分を受けた後に「日光東照宮の宮司」となり生涯を徳川家に捧げ、生き残りの会津藩士達は流罪同然の扱いで下北半島に追いやられてますが、会津町民は会津復興のために尽くしてますから「会津滅亡」の見出しには抵抗を感じますね。

0kwaver
質問者

お礼

オカマや新選組の在り方に何だか似てますね。"馬鹿"がトップに来ると下が大変なのは何時の世も一緒…

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (292/2662)
回答No.1

江戸が無血開場したのでフラストレーションたまりまくりです 振り上げたこぶしをどこかにおろしたくてたまらない その相手にされたのでどうあっても避けよう無し 仮に早く降伏しても徹底的にたたかれたでしょうね

0kwaver
質問者

お礼

にゃるほど。参考ににゃりました。

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