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日本語教師になるには。
私は42歳の女性です。 日本にいる外国人などに日本語を教える日本語教師に なれたらいいなと思っています。 資格などは必要ないとは思いますが、日本語教育能力試験の合格か 420時間の講座を受けるかを検討中です。 働いているため、通信で考えているのですが、 試験対策だとアル○の講座で10万くらい、 420時間の講座も通信でWJL○など海外?の物が 15万くらい(検定にも対応しているもの)であるようです。 どちらを受けようか悩みます。 420時間講座の方だと420時間講座の終了認定はもらえ、 検定対策になるみたいです。 アル○の方は検定の合格率がいいようです。 通信講座を受けた方は是非ともアドバイスお願いします。 あと、この歳で日本語教師は難しいでしょうか?
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>資格などは必要ないとは思いますが これは何処から得た情報でしょうか。 「日本語教師」での求人を検索すれば応募要件が確認出来ますが 専任講師、常勤講師、非常勤講師いずれでも 「大学の日本語学部卒(院卒)」 「大卒で、日本語教育能力試験合格者」 「専門学校等で420時間以上の講座を履修し修了した者(実習含む)」 等、「要資格」であるのが殆どです。 (「無資格」で応募出来るものは皆無) 「無資格」というのは、「体系だった指導法・教授法を身に付けていない」という事です。 それでどうして「日本語教師」として雇用される可能性があると思われるのでしょう。 確かに、「日本語教師としての資格」を持たなくても 「国語科教諭としての実績」で要件を満たせる場合もありますが ボランティアでも、「無資格」では厳しいと思います。 420時間講座でも試験対策講座でも、どちらが良いかは「受講者次第」です。 「貴方が、どれだけ本気で日本語教師になる気でいるのか」が、合否を分けるのですから、 誰かにとって420時間講座が良かったとしても、「貴方にとっても良い」とは限りません。 又現在、日本語教師の資格保持者は非常に多い為(そして現在も増え続けている為) 「○○○の試験対策講座で勉強し、能力試験に合格。現在は日本語教師として働いています」 という「成功例」は、 「私も、この講座を受講すれば試験に合格出来て、日本語教師になれるんだ」 という「貴方の未来を約束するもの」とはならないのです。 日本語教育能力試験に合格する事は比較的容易です。 受験者は合格点以上を取れば良いだけですから。合格点以上であれば、合格者に人数制限はありません。 しかし、「日本語教師としての働き口」は有限です。 留学生も減少していますので、そうそう求人はありません。 少ない枠を「経験者」と競い合わなければなりません。 先ずは地域の外国人向けに開かれている日本語教室で「ボランティア」で教え、経験を積む所からでしょう。そして、ボランティアであっても、希望者は少なくありません。 企業勤めの定年後、シニア海外ボランティア(青年海外協力隊のシニア版)として 海外(欧米よりもアジア・オセアニアでの需要)で日本語教師をなさる方もおられます。 ですから、 >この歳で日本語教師は難しいでしょうか? という問いには、「貴方の能力とやる気次第」と言えます。 結局の所、先の回答者さんの言葉は、厳しいですが正しいと思います。 本気で「日本語教師になる!なってやる!!」という人は 試験対策講座と420時間講座で迷いませんし、こんな所で質問しません。 自分で情報を比較し、自分の生活や人生計画に合った方を選ぶからです。 「比較する為の情報を、ここで得ようとしているのだ」と仰るかも知れませんが 「ネットの質問サイトでの情報」など、三次情報、四次情報でしかありません。 そんな所で情報収集するのは、「教育者を目指すもの」として能力が低いと言わざるを得ません。 (「日本語教師」は「教育者の一人」です) 又、学習にかかる費用とは「自分への投資」であって、「消費(商品の購入)」ではありません。 「自分への投資」なのですから、自分が必死に教材を活用して勉強し合格する事で「回収」出来ます。 しかし、通信講座の費用を「消費(商品の購入)」と考えた場合 そこに「どちらがお得か(どちらが自分を合格させてくれるか)」という 学習する者・教育を受ける者にとって有害な「消費者マインド」が働きます。 つまり、「どちらの方が少ない努力と出費で、合格を手に入れられるのか」という意識です。 「学びの場での消費者マインド」は、当人にとって有害でしかありません。 「自己の努力(負担)を出来るだけ少なくした方がお得」と考えている訳ですから 学習効果・学習への意欲が上がる訳がないのです。 日本語教師に本気でなりたい人は、通信講座でも専門学校に通学でも 「自分への投資」と考え、貪欲に学び、勉強に励み、試験合格を目指します。 「自分(の余暇・人生計画)に合った学習法かどうか」 「自分に払える金額かどうか」 で考えます。例えば、 「きちんと専門家の下で学びたい」「日本語教育の専門家としての素地を持ちたい」という事で 「大学の日本語学部日本語学科に進学する」という選択をする人もいる、という事です。 実際、「大学で日本語教育を学んだ者」にしか応募資格がない求人もあります。 420時間講座も、ただ漫然と420時間分講座を受けた(教材に目を通した)だけでは 「日本語教師として必要な能力」は身に付きません。 今の貴方が「消費者マインド」で 「どちらの講座の方が、学習時間も少なく、それほど苦労無く合格出来て、最終的に費用も安いでしょうか」 という事を考えているのであれば、先の回答者さんも書かれている様に、 「日本語教師」(教育者)となるには向いていない方だと思います。
- nihongo13years
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申し訳ないのですが、質問者さん、日本語教師に向いてません。 もしこのまま検定受験しても、どこそこの講座を受講しても(それが例え60万円の至れりつくせりの通学講座だったとしても)、必ず失敗します。 そもそも日本語教師としてやっていける人はこんなところでこんな質問など投げかけないものです。 日本語教師としてやっていけてる人はみなさん、もっと「突き抜けるもの」をもっています。検定がどうこう、講座がどうこうでいちいち引っかかっているということは、まだその境地まで行っていない(つまり国際交流経験その他、まったく不十分)ということです。 日本語教師として生き残っていらっしゃるみなさん、快活でグングン、外国人生徒を引っ張っていくタイプです。そんな人たちは、たとえ検定にしろ、通信の講座にしろ、その自分なりの活用方法を十分に熟知しています。 「誰が止めても私は日本語教師になるんだ!」「(どこの講座だろうが)私の経験を持ってすれば、必ず採用される!」「気付いたら私は日本語教師になっていた!」という強迫観念めいたものがなければ、とてもじゃないけれど、ハードな日本語教師職はやっていけません。 そうした方々は、たいてい、日本語教師という業界についても確信と自信を持っています。 自分が確信を持てないもの、他人に尋ねないと不安なもの、他人に聞かないとわからないものに手を出すのが失敗者の共通点です。 検定がどうこう、講座がどうこう、といった資格信仰は捨ててください。 問題はそこではありません。原因を他に求めるのではなく、ここでこんな質問をしてしまっているという行為からわかるご自身の性質に、もっと素直に客観的に注目し、他に適性を見出してください。 資格があなたを導いてくれるのではなく、検定にしろ、講座にしろ、あなたがすでに持っている能力や経験を、後付で補足するだけのものであり、「あなたが、資格を導くもの」です。 もしあなたが不安で、検定にしろ、どこそこの講座にしろ、一抹の不安があるようでしたら、その資格はあなたにとって無駄に終わります。 でないと、この先も、一歩踏み出してはまた誰かに質問、二歩踏み出してはまた誰かに質問...の繰り返し。(しかもその誰か、とはこのようなネット上のどこの馬の骨ともわからないような人の風評にすがろうとしてしまっているわけです。) それでは到底、フリーランスとしてやっていかなければならない日本語教師なんて、務まりません。今後、ちょっとした「そよ風」が吹いただけでも質問者さんには逆風に感じてしまうことでしょう。 検定合格者、講座修了者は、もうすでにこの世にゴマンといるのですから、しかもその数はこうしている間にも増え続ける一方なのですから、検定・講座自体でどうこうなるものではありません。このように質問してしまっているということは、何か過剰にそれらに期待してしまっていることの表れです。 ご自身に実体験に則した自信と、情報判断力がないのであれば、その道はあなたには適していないのです。 他にも類似の質問が散見するので、おそらく同一の方なのかもしれませんが、「ネットで質問してしまっている」という行為そのものが持つ意味のほうをもっと考えられたほうがよいでしょう。その行為はあなたの性質を如実に表し、あなたに何かを警告しているのですから。 「あなたができること」「あなたに確信があること」「あなたがやって成功すること」については、あなたはこのような場所で絶対に質問しないはずです。「質問してしまった」ということは、あなたにとって無理なことをやろうとしている、ということです。