- ベストアンサー
どの範囲を後悔すべきなのか。
人生において自分の能力が足りなかったこと、思ってもいなかったこと、興味がなくてやっていなかったこと色々あると思います。 しかし全てを「本人が悪い」「自業自得である」と考えるなら「平成7年に旅行に行かなければ阪神・淡路大震災に合わなかった」という論も成り立ち「何県に生まれていたら良かった」という話と同じレベルではないでしょうか。 どの範囲を後悔すべきなのでしょうか。 年末年始にこんなことを考えていました。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
後悔というのは後付けの責任回避の為の物語にすぎません。 後悔というものが過去の出来事の評価であるならば 評価するには選択肢の過半数以上のデータが必要になります。 さらに、評価者が評価の結果に対して感情的に中立的であることも必要です。 昔あった選択肢形式で進む小説で言えば、1ルートしかやってないのに 「あそこがどうだこうだ」言うのもアホでしょう・・・ そして、友達と一緒にやれば見栄もはりたくなりますし、友達は自分の有能さを自慢する為に必要以上にくさすわけです。 ともかく、現実の選択というのは1ルートで進み、検証不可能なものですから 謙虚な人間は後悔しません。
その他の回答 (11)
- nieen0310
- ベストアンサー率20% (2/10)
はじめまして。 年末年始で時間がたっぷりあるといろいろなことを考えてしまいますよね。 私も例にあるような阪神大震災のようなことを考えてしまうことがあります。 自分の人生において、どこまでを現実的な話として捉えるべきなのか…。 こういったことを考えていると際限がないように思えてきます。 ふと我に返り、そのときに自分が今、向き合わなければならないことを 思い出すことがあります。 今何をすべきか?が見えたらば、どの範囲を後悔すべきかおのずと見えてくる ように思います。 答えになっていない答えてすみません。
お礼
ありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
ありがとうございます。