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「平等」って何なんでしょう…?

8の働きしか出来なかった人も12の働きをした人も、平等に10の給料を払うのか。 8の働きには8の給料、12の働きには12の給料、成果に応じて給料を変動させるのか。 どちらが「平等」と言えるのでしょうか?

みんなの回答

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.9

おはようございます。 この世界に「平等」があるとすれば 全ての人の能力をまづ認めることです。そして 誰もが同じと認めること。無理でしょう 有名人と凡人が同じと認めることができますか? 自然界では弱肉強食の自然淘汰の世界だから 強い者しか生き残れない。人間に於いては 勝負に勝つ 試験に受かる 人付き合いがうまいが条件になるから、「平等」では生きていけない。だから 生きる糧を得ることができない者は強者に従うしかないの。8の働きの人は 何時でも解雇される。 大事なのは 誰もが永遠に勝ち続けることは不可能だから 強者は弱者に援助をするべきだと思うよ。 まあ 少し違うけど法の下での平等はある。 法の下の平等(ほうのもとのびょうどう)とは、国民1人1人が国家との法的権利・義務の関係において等しく扱われなければならないという憲法上の原則のことである。日本においては憲法第14条に規定がある。平等則(びょうどうそく)または平等原則(びょうどうげんそく)と呼ばれることもある。 どのような要素において平等を重んじるかについては、例示として、人種、信条、性別、出生、社会的身分などがあげられることが多く、日本国憲法もそれを例示している。近代憲法では「平等」は基本的な原則であり、多くの国でこのような規定が見られる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%81%AE%E5%B9%B3%E7%AD%89 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC14%E6%9D%A1

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.8

平等にもい色々あります。 #2さんが回答しているように、前者が社会主義における 平等です。 後者が、資本主義における平等です。 更に言えば、8も12も関係なく、10必要な人には10与える というのが共産主義における平等です。 このように、言葉だけ並べても意味はありません。 これは、個人や、社会国家の運営において、どれが優れているか という問題です。 資本主義的平等が推し進められると格差が広がり、社会が 不安定になります。 だからといって、社会主義的平等では誰も真面目に働かなく なり、皆貧乏になって失敗します。 共産主義的平等ではそれがもっとヒドクなります。 従って、その間に線が引かれなければなりません。 こういう問題は、欧米では「正義論」として議論されて おります。 ロールズの「正義論」が有名で、現代ではこの考えが 一番有力です。

noname#171471
noname#171471
回答No.7

「横の平等」と「縦の平等」 いずれか一方のみでは平等は実現しない だが両者のバランスを取ることは非常に難しい ということですな

noname#190877
noname#190877
回答No.6

「平等」と言う言葉は、社会には適用し得ない言葉だと思ってます。 「神の前の平等」 「誰もが必ず死ぬ」 と言った、宗教的、哲学的な個人の体験、思想の中にしか、存在しない言葉だと思います。 姿、形、思考、感性、様々な人間が入り乱れている社会で「平等」を語るのは、その言葉の威力を借りて、自分の思惑を通したい人達ばかりに見えます。 どう思いますか?

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.5

 8の働きしかできなかったヒトがいなかったときに、12の働きをするヒトが同じように仕事ができたのか。「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉があるけれども、12の働きをするヒトの能力がすべて、そのヒトの力によると考えるなら、すこぶる平等性の観点に欠けると思うね。同じ理由で後者もちと違う。  そういう意味で、平等とはその視点から外す方がいいと考えるな。比べるところがすでに平等を比べるところではないんだ。  具体的に言うとね、8の働きをするヒトは上司だ。12の働きをするヒトは現場の新米だ。8の働きをしたヒトは、以前に12働いている。だからこそ経験をつけて8の仕事でいけるようになった。だからこそ下を見る余裕ができ、上司になった。で、働きを8にして、物理的仕事ではない「指導=口」を使って管理する。経験のない12働く者は、言われていることをこなせばいい。なんと楽なことか。これが最近感じる、俺も若い頃はアオかったんだなと言う実感と反省。  若いデジタル合理的思考者が俺の仕事場でも増えたが、「そいつが上に立ったらヒトはついてくるのか?」上を上と思わない経験のなさから来る批判しかできない者には無理ではないかと思う。「まぁいずれわかるだろ」と上司はそいつを失敗させる余裕を持ってみていたんだなと、最近わかるようになった。  平等は同じと同意ではない。最近はなんだか文字に打たれた言葉の意味だけを追って、複線があることに気付かない、古文のような奥ゆかしさがなくなってきている気がする。  どちらが楽だったかといえば、昔。だけど、仕事はできていたような気がする。  言葉の上っ面を追いすぎないように、気をつけて欲しいね。

回答No.4

当然後者でしょう。 「誰にも等しく、1の働きに1の対価を支払う」が平等でしょう。

noname#235638
noname#235638
回答No.3

どちらも平等でしょう。 ただ、8で10の給料の人が いつまでたっても8だった場合、当然に遅滞なく「首」です。 この時、8の人は不平等だと言います。 8で8の給料の人は、いつまでたっても8の給料なので これも不平等だと言います。 平等にチャンスが与えられているのでから みんなと平等にするのは実は自分個人かもしれません。 ということで平等は自分の努力で勝ち取ると・・・

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6195)
回答No.2

前者が共産主義の平等 後者が資本主義の平等

  • mizukiyuli
  • ベストアンサー率34% (1106/3224)
回答No.1

成果に応じて給料を変動させ、高給取りには高額の納税をさせるのが平等です。

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