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キリスト教の女子修道院での生活模様とは?
- キリスト教の女子修道院での生活は時間的に厳格で自由な時間がほとんどなく、絶対服従の規則があります。院長の決定も絶対服従です。
- 修道院に入った後、挫折する人もいますが、その後の生活や人生は様々です。修道院内で精神病に罹った場合は、追い出されるのか、修道院で面倒を見てもらえるのかはケースバイケースです。
- 修道院に入る動機は様々で、個人の心の声や信仰心が動機になることもあります。しかし、生活の厳しさからの現実逃避だけで入るのは好ましくないとされています。
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質問者が選んだベストアンサー
国内にプロテスタント系の修道院があるかどうかは知りませんが、 他の国にはあります。 とてもご心配のようですが、それほど心配される必要はないと思います。 入会にあたっては、当然面接やチェックがありますし、 仮入会後にも試験期間のような相互の確認期間があります。 女子修道会ではさまざまに幼稚園や学校、老人ホームなどを経営しており、 それで生活をしています。 基本は共同生活なので、入りたいからと誰でも入会させるわけではありません。 しかし昨今は入会者が激減しており、それが悩みの種のようです。 入会後は修道会の一員として、何らかの仕事に加わることになるので、 生活費の心配はしなくても大丈夫です。 何にせよ、娘さんには娘さんの人生があり、歩みがあるので、 彼女がやりたいようにさせてあげるのが大切です。 ご両親はできないことはできないと彼女にはっきり伝えて、 そのうえで、干渉せず、批判せず、心配せず、 「自分の人生を行きなさい」と言ってあげられることです。
その他の回答 (8)
私はクリスチャンです。 プロテスタント教会で洗礼をうけたので、通っている教会がカトリックではないので、修道院の事は全くわかりませんが、子育ての部分としてのお話しをしたいと思います。 私は娘さんの好きにさせてあげて良いと思います。 カトリックの修道院なのですから、おかしな事はないでしょうね。 ただ年金暮らしだから、お金は出せないとはっきりと娘さんに言うのがよいでしょう。 そうしないと、あると思われて突然請求がきても困るだけですもんね。 それとパニックをおこしたら、修道院で面倒みてもらうのでなくて、帰してもらって治療を受けさせた方が娘さんの精神に良いと思うので、そこは修道院にお任せしない方がよいと思います。 やりたい事をやらせてあげないと、人は心残りでストレスになるので、お金がかからないのであればやらせてあげてほしいと思います。 そして、改宗はしなければたぶん修道院は入れないと思います。
お礼
>私は娘さんの好きにさせてあげて良いと思います。 カトリックの修道院なのですから、おかしな事はないでしょうね。 そうでしょうね。 ご回答、ありがとうございました。
- amaguappa
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1~6までにわたって共通する事項ですが、 動機はさほど問われないかわりに、「神が召喚している」かどうかを確かめる期間がかなり長く、 迷いや、他の人生経験や、他のやりがいを見つけて心揺れたときに離れられるよう、 10代から30前後の女性を基本的に受け入れているはずです。 つまり社会経験のほうへシフトできる年齢のうちに、試しの期間があるのです。 もちろん、昨今シスター志願者も少ないようですし、 (帰る家や身よりがなく、教育も不十分で社会に出る機会を得にくい、という女性が減ったのです) 年齢と、日常生活が出来る程度の健康さえ問題にならなければ、 どこの修道会でも連絡をとれば志願を受け付けてくれるでしょうが、 5年越し10年越しの試しの期間に、潰しもきかないような中高年になってしまいますと、 そこで辞めたところで質問者さんがおっしゃっている現状よりも悪いというほか なくなるのではないでしょうか。 むしろ、修道会をとおしてボランティアなどに関わるうちに それが社会経験になって、外に居場所が見つけられたらよいだろうと思います。 それでも30歳を超えては、よほど気配りや仕事のできる人間でないと 外で求められる人材にはならないでしょう。 外で「人が」求めないような人材を、「神が」および「カトリック組織が」求めるという理屈もありません。 修道院への橋掛けといいますか、まずは外堀を埋めるような気持ちで、キリスト教系のNPOボランティア組織などでアルバイトをしてみてはいかがですか?
お礼
ご回答、ありがとうございました。
- alwen25
- ベストアンサー率21% (272/1253)
No1さんのリンクに詳しく書いてありますが カトリックの場合、司祭(これは、元々女性は不可) 修道者には、なりたいからといってなれるものではなく 召命といって、神様からそのように求められている必要が あります。 おそらく、修道会側で適性が無いと判断されれば どこかの段階で落され入会は出来ないでしょう。 プロテスタントの場合は知りません。
お礼
>おそらく、修道会側で適性が無いと判断されれば どこかの段階で落され入会は出来ないでしょう。 そうでしょうね。 ご回答、ありがとうございました。
修道院のことは分かりません。それで6の枠で投稿してみますが、結局、質問者様がお嬢様をどうなさりたいのかによるのじゃないでしょうか。老い先短く、年金暮らしで、失礼ながら、お嬢様に財産を残して差し上げることもできないようです。将来どうなるか不安だ。彼女を身請けしてくれる人(あるいは施設)が欲しい、というところなのではないでしょうか。焦りのようなものを行間から感じました。 しかし、それは彼女の人生です。突き放さなければならない時に、すでにさしかかっているのではないでしょうか。お書きの内容を見ると、修道院であろうとどこであろうと、一切、コミュニティに溶け込めない人に思えます。しかし、それを言い出したら、生きていけないでしょう。傷つくのが想像できても、優しく送り出すのが親のつとめではないかとも思います。さもなくば、鬱病だから仕方ないと思い、一生、彼女の面倒を引き受け、ご兄弟がいるなら、彼女の面倒を見てくれるように言い含める他ないでしょう。
お礼
>・・・焦りのようなものを行間から感じました。 確かに焦りがあるのは事実だと思います。 >傷つくのが想像できても、優しく送り出すのが親のつとめではないかとも思います。 そうですね。 この20数年間の経験から見ても、何を言っても、どんな言い方をしても、これまで決して親の言葉が娘に届くことはなく、どうせ、自分の考えでしか動きませんので、ならば、これ以上いろんな事を言ってプレッシャーをかけ、ストレスをかけるより、本人の心に一抹の不安や後ろめたさを持たせないために、せめて気持ち良く優しく送り出すしかないのでしょうね。 ご回答、ありがとうございました。
- kanto-i
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No.1です。 お礼ありがとうございました。 娘さんは、どうやら自分の都合がいい依存先を探されているようですね。 本人が納得するまで探すしかないと思います。 どこにも私だけの都合にすべて合わせてくれるものは無いと体験から知ることです。 仏教や、他の何かに行き先を探すかもしれませんが、本人が知りえるまで付き合うことです。 娘さんを否定せずに、ただ見守ることが 「どうも自分が違うのではないか」と言う本人の気づきに繋がると思います。 本人が気持ちにゆとりがないと、気づきは生まれません。 否定・非難・批判は、娘さんが意固地になって譲れなくなるので気をつけて下さい。 娘さんの心のゆとりを、失いかねないと心に留めて下さい。 本人が、ふとしたことから気づきが始まるまで待つしかない。 ご両親にとっては、本当に辛い事だと思いますが、それ以外は方法がなさそうです。 一つだけ気をつけてもらいたいのは、新興宗教です。 あそこで精神崩壊した人を何人かカウンセリングしてますが、本人も親もものすごく大変で カウンセラーも立ち直るに至らせられる人は、数がとても少ないのです。 精神的にとても弱い人が新興宗教にかかわると、もっと弱くもろい状態になりますのでご注意を。 老婆心ながら、お伝えしたくて再度の投稿です。 人は心配から、体の調子を崩すこともあります。 寒くなってきましたので、余計にお体大切になさってください。
お礼
ご親切な再度の投稿、そして、私の体までご心配戴き、まことにありがとうございます。 これまで、本人に気付かせようと思い、20数年この方、叱ったり、お説教したり、なだめたり、優しく諭したり、いろいろ手を変え品を変えてやってきましたが、その言葉の中には、確かに私の怒りが含まれている場合のほうが多く、本人を否定したり、本人を批難・批判する心がが含まれており、kanto-i様がおっしゃるとおり、娘はますます意固地になり、心のゆとりをなくして行き、かえって本人を混乱に落としいれ、本人の気付きを遅らせる効果しかなかったように思えます。 >本人が、ふとしたことから気づきが始まるまで待つしかない。・・・それ以外は方法がなさそうです。 確かに、そうですね。 これからは、「本人が気持ちにゆとりがないと、気づきは生まれません。」というkanto-i様の言葉を改めて噛み締めて、自戒しつつ、本人が気持ちにゆとりを感じられるような家庭環境を整備する事を心がけ、本人の気付きを待つことに致したいと思います。 ありがとうございました。
- alwen25
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E9%81%93%E9%99%A2 4は、あるはずです。 5については、これは就職に近いものなので請求は、無いと思います。 (あまり自信はありません) 修道院の中は、見たことが無いので、 一般的にカトリックの洗礼準備講座で使われていることを書きますが 従順(絶対服従?)、貞潔(結婚しない)、清貧(物を所有しない) の誓約はしなければならないと思います。 >妊娠して中絶したり 洗礼(改宗)前の罪は問われることはないはずですが これは、カトリックの教会法では、破門に値する罪です。 (そもそも、改宗前の人を破門することはできませんが) >もし、修道院内で精神病に罹った時などはどうなるのでしょうか? 一時的に入院することになると思います。 >また、どういう人が挫折し易いのでしょうか? 性格的特徴とか、動機面での特徴、その他、・・・。 それこそ >厳しい現実から逃げたいという「現実逃避」の一心ではないかと思い、それも心配の種です。 でしょう。 カトリックのシスターから聞いた話では、修道院は一般社会より厳しいそうです。
お礼
将来どうなるか分かりませんが、見守るしかないようですね。 ご回答、ありがとうございました。
自分もいちおう、人の親です。(こう言うと怒られそうですが)団塊の世代ほどではないですが、自分もけっこうな仕事人間で、子供には余り手をかけませんでした。そのぶん母親が苦労したかも知れませんが、母親もけっこう自由奔放なところがあります。じっさい「サラリーマンになる」と言ったら、母親である妻にしこたま説教されました。仕事人間と自由人は何故か離婚していませんが、子供に対して、一つだけ思った事があります。 「自分はどう行きたいのか?」という思いさえ持ってくれれば良いと。思いは言葉に出来るなどのものである必要はなく、たんなる感覚で十分だと思います。それさえあれば、どんなに意志が弱くたって、けっこうもちこたえられます(自分の経験です)。 私の子供も、「普通の大学へ行け」と言ったら「嫌だ」と言って音大に行き、そこで「この音大に音楽性はあるのか?」という言葉を指導教官に投げ付けて音大を勝手に辞め(←このやろぉ~!)、車両整備会社に就職したかと思ったら、ちょっと怒られたくらいで、そこを辞めました(←音楽家を諦めて真面目に働く気はあるのか、このやろぉ~!)。 という具合ですが、どうやら「音楽で行きたい」という思いだけは持ってくれたようです。現在は居酒屋でバイトしながら、その周辺だけの超ローカルライブに出場し、なんとかそれなりに生きてるようです。自分は子供とは違った方向でしたが、そういう時は「明日が無いくせに」、というか「明日が無いからこそ」、毎日が涙が出るくらいに楽かったです。 文面を拝見した限りにおいてですが、娘さんは「どう行きたいか?」という感覚を持てなかった、という印象を受けました。それはきっと、偶然の産物です。 >その後、自力で東京にある単位制高校を卒業し、アメリカに留学しましたが、・・・ たぶんここが転機になるはずだったのに(すごいと思います)、9.11が起きた。9.11がこんなにダイレクトに、人の人生に関わるとは、今まで実感できませんでした。自分は鬱病の後輩を知っています。いったんそういうものに罹患すると、直ったと思えても、その安定性がいかに脆いものであるかを知っているつもりです。 パニック障害という物理的安全弁を、体が覚えてしまった以上、これは心の問題でなく、体の問題と思えます。たぶん「お前は、どう行きたいんだ?」と言葉にしても、心にはとどかないし、プレッシャーとストレスをかけるだけだと思います。さらに悪いには、そんな事ばかり言う奴らは、無視して良いんだと、本人が思ってしまう事です。(本人は気づいてないかも知れませんが)苦しい時に言われる正論は、全部無視したくなります。パニック障害という物理的安全弁を持ってれば、なおさらです。 自分は次の事しか言えません。 突破口は、どこかにあるかも、とは思います。それが修道院生活の可能性も否定はできません。 人間は明らかに動物で、しょうもないですが、思い一つで変わる可能性も持ってる事は否定できないです。 自分はたぶん、あなたより一回り以上若く、まだ体力もあるので、こんな事を言うんだと思いますが、最近思います。 ・37歳なんて、まだまだ若いじゃないか.
お礼
とても含蓄のあるお言葉、ありがとうございます。 >自分は鬱病の後輩を知っています。いったんそういうものに罹患すると、直ったと思えても、その安定性がいかに脆いものであるかを知っているつもりです。 やはり、直ったと思っても、「その安定性は脆い」のですねぇ。 心に刻んでおきます。 >「お前は、どう行きたいんだ?」と言葉にしても、心にはとどかないし、プレッシャーとストレスをかけるだけだと思います。 確かに、そう思えます。 >さらに悪いには、そんな事ばかり言う奴らは、無視して良いんだと、本人が思ってしまう事です。(本人は気づいてないかも知れませんが)苦しい時に言われる正論は、全部無視したくなります。パニック障害という物理的安全弁を持ってれば、なおさらです。 >パニック障害という物理的安全弁を、体が覚えてしまった以上、これは心の問題でなく、体の問題と思えます。 娘に対する考え方を改める必要性を思い知らされました。 >突破口は、どこかにあるかも、とは思います。それが修道院生活の可能性も否定はできません。 人間は明らかに動物で、しょうもないですが、思い一つで変わる可能性も持ってる事は否定できないです。 あなた様個人の貴重な体験までお話し戴き、また真実を突いた貴重なアドヴァイスを戴き、気持ちが幾分晴れたような気が致しました。 娘の可能性を信じて行きたいと思います。 ありがとうございました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
ここは割と解りやすく書いてあると思います。 http://www.pauline.or.jp/vocation/ 一番の問題は娘さんにあるようですので、担当医師に相談してカウンセリングを受けられたらいかがでしょうか? 病院にカウンセラーがおられない場合、カウンセラーがおられる病院を探し そちらに通うか、カウンセリングだけでも受けるか。 もしくは、病院以外でのカウンセラーにかかるか。 まずは医師と相談してみたらいかがでしょうか。
お礼
早速のご回答、ありがとうございました。 お教え戴いたサイト、大変参考になりました。 娘は、7月にパニックになってから、ある精神科の病院の医師に時々診てもらっていましたが、最近は、そこよりも教会でのひと時が本人には一番安らげる場所のようで、あちこちの教会へ頻繁に出かけており、あまり医師のところへは行きたがりません。 信仰もいいが、精神科の医師などのカウンセリングを受けるのが良いと、私も思うのですが、なかなか、思うように行かないのが現実のようです。 ご心配くださり、ありがとうございました。
お礼
ご丁寧で詳しいご説明を戴き、私の心配も大分やわらぎました。 ありがとうございます。 >娘さんには娘さんの人生があり、歩みがあるので、彼女がやりたいようにさせてあげるのが大切です。 そうですよね。 >できないことはできないと彼女にはっきり伝えて、そのうえで、干渉せず、批判せず、心配せず、 「自分の人生を行きなさい」と言ってあげることです。 そう思ってはいるのですが、我々の知らない世界でもあり、いろいろと、余計な心配をしてしまうようです。 でも、あなた様からのこのお言葉を改めて噛み締めて参りたいと思いました。 ありがとうございました。