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貴種流離譚について
これは貴種流離譚と言いますか? ストーリー 主人公はとある国の王子(10歳)で美少年。 ある日城に忍び込んだ賊にさらわれて売り飛ばされる。 外国の貴族が気品のある子を欲しがっていたので主人公を買い取る。 主人公は貴族の娘(8歳)の召使兼屋敷の使用人にされ働かされる。 最初は雑に扱われるが主人公が真面目で大人しいので当主・夫人・他の使用人など皆に気に入られ、主人には兄のように慕われる。 主人の付き人として学校にも行かせて貰い、主人を守る名目で武術も習う。 給料も当然出ている。 使用人生活を続けて十数年後、主人が外国の貴族(主人公の出身国)と結婚することになり、式で主人公に似た青年が話しかけてくる。それは主人公の実の兄だった。 兄は国王に報告し、感動の再会。 主人公は王族に戻り、結婚した主人と本当の家系の者たちと一緒に幸せに暮らしました。 どうでしょうか?
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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浅学のためご目的には合格しないでしょうが: 貴種流離譚は、京などの上方から東北なでへ落魄してながれていき、そこで生活し続けるお話はきいております。 まあぁハッピーエンドの一種かもしれませんが。 今、ちょうどParamahansa YoganandaのBhagavad Gītāの6度目の読書で、0098に進みました。 インドの寓話で王子がかどわかされてスラムの中に住み続け、ある日王宮に帰れることになったお話です。 人は肉体人間という先入観を持ってしまっているが、本当はもっとdevineなそんざいであるということのための寓話です。 こういう話は、鳥とかにされわれるとか、なんとかたくさんありますよね。 子どもの頃はサーカスに売られるとかの話を聞きました。 一部ではイエスたちは人里離れたところに集団で修行する行者の中に育てられたという話もありますね。 彼らは時として、子どもをもらったり、頼まれたりしたとか。 Rāmāyanaやリグヴェーダなどでも、貴種の子を河に流し、老戦士夫妻がそだてるとか。 運命の数奇はいろんな人の運命を変え、その出自と違う生活をさせる。 という話は普通の私たちも何か身につまされる思いを抱かされます。 60,65年前は自分をそんな風にそうぞうしたり、子ども同士で語り合いました。 ご質問のストーリーもまことにそういう貴種流離譚の一つなんですね。 偶然今、Bhagavad Gītāの貴種流離譚を読み、敢えて投稿させていただきます。 なお、稗つき節の那須の大八の相手の姫さまなども一種のそんな人生だったのでしょうね。 悲しいものがおおいですが。
- shirokuro1533
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僕個人としては「貴種流離譚という理解もアリかな?」と思います。この「貴種流離譚」という言葉は折口信夫の命名による、古代伝承の話系のひとつとなっていますよね?具体的な枠組みとしては 「神もしくは神に近い、都の尊い身分の者が、故あって、田舎を流離して歩く、身にしみるような哀れを誘う物語」(池田弥三郎) といった物語が貴種流離譚と呼ばれるものであり、単に悲しい結末なのか?ハッピーエンドなのか?といった物語の結末にだけ、折口のいう「悲しみの発見」を想定するのではなく、今回のように流離の原因たる事態から来る、死と再生の過程が物語の中心にあり、過酷な難儀を負う主人公の姿こそを語る、今回の物語のような構成は、やはり貴種流離譚と言えるのではないか?と思いますが。