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好奇心を満足させるには安心感を捨てなきゃいけない?
スレッドを開いて頂きありがとうございます。 好奇心と安心は両取りできないというのが私の仮説です。 安心=全てが分かりきっていること。 好奇心=知らない事に直面すること。知らない事にチャレンジすること。「全てが分かりきっていること」の反対。 みなさんはどう思われますか?面白い回答をお待ちしております!
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私はそう思いません。 好奇心の方もそうですが、 >安心=全てが分かりきっていること。 この命題に意義があります。 安心が知識によって確保されるなら、知識が増えるにつれて安心度も増大する一方で、不安が少なくなるはずではないですか。しかしこれは経験に反しています。 確かに、未来のことがすべて分かっていれば不安はなくなるかもしれません。 (その代わりに絶望や恐怖が生まれるかも知れませんが) なので 全てが分かりきっている⇒安心 は言えるかもしれませんが、 安心⇒全てが分かりきっている は言えないでしょう。
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- kanto-i
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好奇心と安心は、両立させることができると思います 世の中は、分かることと分からないことが、いつも常に存在します。 分かっていることは、安心を生みだしますが、分からないことは好奇心を使うことができます。 仕事も人間関係も、分かったつもりで安心しきってる時に落とし穴に落ちます。 今分かっていることを土台にして、知らないことを克服するチャレンジや もっとより上を目指すことで、人間として健全でいられるのではないでしょうか。 今のままでいいと思うと仕事や人間関係は、必ず下降線をたどります。 その結果、嫁さんから離婚届を突きつけられたり 左遷やリストラの憂き目にあいます。 安心は、安心しきってると幻のように崩れ去ります。 常に安心であるための足元を固めるサポートと、次へと向かうチャレンジが 同時にバランス良く組み合わされて、楽しい未来へと進む道が見えるのだと思います。
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回答ありがとうございます
そうですね。怖いものを見たがるというのは好奇心のひとつの発現でしょう。 怖いのですから近づかない方が安全なのでしょうが。 古来、好奇心旺盛の勇気ある先輩たちが新天地を見つけ人類の発展を促しました。 動物でも高い危険率を承知しながら、好奇心を持って良い餌場を開拓してきた種が生き残ってきたのではないでしょうか。 安心できるものばかりの間で生きる保守的なものには大きな成功は望めないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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知らない事による安心感は、偽りの安心です。 確かに、目をつぶって歩けば、高い崖の上も怖くありませんが、 落ちる時は落ちるでのす。 好奇心=知らない事を知る欲求は、自己の環境を深く知る事です。 「目を閉じれば怖くない」といっても、喜びも見失うのです。 「好奇心が安心に反する」のは、「目をつぶる安心」の場合です。
お礼
回答ありがとうございます!
安心=とりあえず今の所は己を脅かすものが無い状態。もしくは、分からないものは分からなくても良いと気付き、良い意味で開き直れた状態。 好奇心=前向きな暇潰しを愉しみたいという心。もしくは、己が人生を完全燃焼せしめる対象を見出した時に生じる、特殊な餓えの感情。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど!全てが分かりきっている事に安心を見出す人もいれば、そうでない人もいるという事ですね。 すごくしっくりきました。