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「苦痛を避ける者には、愛する意志がかけている」
「苦痛を避ける者には、愛する意志がかけている」 シモーヌ・ヴェイユ (哲学者) という言葉について。 なぜ、苦痛を避ける者には愛する意思がかけてしまうのでしょうか? というかこの言葉の意味がよくわかりません。 それにどういう時に使うのかもわかりません。 読みかえれば、「苦痛をさけない者は愛する意思がある」ってことでしょうか? 嫌な事から逃げない人は、その嫌な事を愛する意思があるってことでしょうか?
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こんにちは。 もし、自分が心から愛した人が、殺人をしてしまったなら。貴方ならどうしますか。 愛した人をかばいますか。それとも、そんな人間だとは思わなかったと、その人から遠ざかりますか。 自分が本気で愛した人だから、何があっても、その人を愛する気持ちは変わらない。どんな事があっても守ってあげたい。という気持ちではないかと思います。そうでなければ上辺だけの、自分にとって損か得かの関係でしかないという事ですし。
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「面倒くせい」と思ってやらないことは、「嫌いなこと」 「嫌いなこと」ばかりでは、結局最後に困るのは「自分」 「自己愛」が育つほど、「嫌なこと」を避けなくなる。 意志を貫いて愛する対象は、「嫌いなこと」そのものでは 無く、「自分自身」のことを言っているのかも知れません。
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- kanakyu-
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こんにちは。 苦痛というのは、人間として成長する痛みではないかと思います。 たとえば、川の石は、上流ではトゲトゲして角がたくさんありますが、 下流まで流されると、まぁるくなっています。 そんな風に、人もぶつかりあって角を落とされて、まぁるくなって愛し合える、ってことなんじゃないなぁ・・と。 苦痛は何でも受ければいいというわけじゃないと思います。 避けるということを学ぶのも大切なことです。 でも、これを避ければ自分の為にならない、あえて火の中に飛び込むことで得るものがあるなら、 やってみたらいいと思います。 愛する意志・・・というか、人は準備ができた時に、成長の苦痛を受け入れることもできるんだと思います。
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- fuefue12
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正解かどうか分かりませんが 私はこう解釈しました↓ 人間関係を築いていくと、良い事も起きれば嫌な事も起きます 大好きな恋人に対して問題が起きたりしますし 大好きな友人と喧嘩してしまったりする事は時々起こります。 喧嘩ももめ事も嫌な事です。 出来たらそんな事を起こらない様に気をつけたいと思っていても、起きてしまうときは起きてしまいます。そんな時どういう対応にでるか? 相手と仲良くしたい、分かり合いたいと向き合おうとするのは「愛情がある」から出来るのではないかと。気持ちは楽しく無いけれど、もっと良い関係になろうと努力する事は多分義務感だけではできないからです。 しかしその時相手の意思を全く無視して自分の意志だけを押し通したり これ以上もめ事をしたくないと問題から逃げるのは「自分の身を守る事」であり、その時点で相手に対する愛情にも見切りをつけたという事では無いかと。 個人的には一口に人間関係と言っても色々な状況がありますし「逃げるからお前は愛情が足りない!」と決めつけなくても良いとは思いますが 問題から逃げる癖がある人は、自分を守る事に精一杯な人は相手を愛するより自分を愛する気持ちが強いんじゃないかなぁと思いました。
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