まず、「二六八六」というのは、太平洋戦争時の日本陸軍の部隊通称号といって、部隊の固有名の代わりに番号でよんだものです。
で、この部隊の固有名は「高射砲第25連隊」で、正式通称号は「備第2686部隊」というものです。
同連隊は、1942年(昭和17年)4月大阪の信太山で編成されたのち、同年7月三個大隊編制となり中国東北部(旧満州)へ渡り牡丹江、鞍山に配備され防空任務に従事し、転用令により1944年2月中旬満洲を出発し、朝鮮釜山に集結し3月初旬輸送船に乗り、分散して中部太平洋方面へ出発しました。そうして主力(第3中隊はトラック島)は3月から5月にかけサイパンに上陸し、第43師団長の指揮のもとアスリート飛行場およびチャランカノア地区防空任務に従事し、米軍上陸後は地上戦闘に参加し7月5日付けで玉砕となっております。
「二六八六ノ二」の「二」は、同連隊の第1大隊(第1~第3中隊)の第2中隊を示します。なお第2大隊は第4~第6中隊からなりました。
現在のところわかるのはこれぐらいですが、玉砕部隊関係の資料はほとんどないため、個人名までの追跡は至難のことと思われます。
資料:戦史叢書『中部太平洋陸軍作戦 <1> 』朝雲新聞社
お礼
詳しく教えていただきありがとうございます。 まず、こちらを翻訳して本人にどうしたいのかを相談したいと思います。 本当にありがとうございました。