- ベストアンサー
うつだった皆さんアンケートです。
わたしは、うつだったのですが、このごろうつ克服した方法が、みな一様にちがうような気がします。皆さんどうやってうつを克服しましたか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
40代女性。克服したかどうかはまだわかりませんが、 現在ほぼ1年間、いい状態が続いていますので・・・回答します。 自分の場合、家庭環境もあまりよくなく、小学校の時にはいじめに遭い、中学の時から社会不安障害気味でした。 部活の人間関係を非常に気に病んで、思うように行動できないことが多かったです。高校の時には友人ができず孤立していました。思ったことをパッと口にしたり、忘れっぽいところがあり、発達障害傾向があったと思っています。 19歳の時に発症しまして、今考えれば重症のうつでしたが、その時は知識が無くうつ病だと思っていませんでした。 心気症、離人症もあり、半年ほど大学のカウンセラーに診ていただきました。 最後の頃に「先生は毎回私の同じ話ばかり聞いて飽きませんか?」と尋ねたら、先生が「それは病気がよくなっている証拠ですね」とおっしゃり、ほどなくして治りました。 今考えれば、原因は「孤独」だったと思います。大学に友人もおらず、相談相手がいなかったのです。 その後しばらくは、よい状態が続きました。 大学4年生の最後の半年は、就職が怖く思い悩んでいました。うつ病までは行かないものの、軽いうつ状態だったと思います。 就職→結婚→出産→職場復帰 自己主張の強い人(わがまま)だと思われていたようです。 しかし、人間関係は悪くはありませんでした。周りの理解や環境もよかったのでしょう。発症することはありませんでした。 30歳の時に、人事異動で別の事業所に。営業成績も芳しくなく、かなりつらく、精神科にかかることになりました。 その後、パワーハラスメントやセクハラに遭い、告発したことで上司のパワハラはなくなりましたが、周囲の環境が急激に悪化し、うつ状態に。 小学校に進学した子どもの不登校(その後発達障害と診断)、夫の出社拒否などもあり、かなりつらい状況でした。 3ヶ月休職→ 営業職で復帰(1年弱働く) → 4ヶ月休職 → 店舗スタッフで復職(半年働く) →事務職に異動 休職すると一時的に楽になるのですが、働き出すと精神的な負担を感じました。 日々状態は不安定で、気分に波があり、「今は調子がいいけれど、午後はだめかもしれない。週末までもつかわからない」という状態でした。 職場では、サボっている・甘えていると見られ、自己愛性の人からいじめを受けたりありもしない噂を流されたりもしました。 老獪ないじめで、その人のひとばを真に受ける人が多く、本当の意味で自分の味方になってくれる人はいませんでした。 詳しくは書きませんが、精神科の医師の中にもとんでもない人がいるものだということもわかりました。 (他県に引越して開業したようですが、気にいらない患者を簡単に切り捨てる人でした。) ここまでは、療養といえば「ただ薬を飲んで休みを取るだけ」でした。 そのうちに、「認知行動療法」を知るにいたりました。 ネットで知ったのか、テレビで知ったのか忘れてしまいましたが、薬のような副作用もなく薬のようによく効くと知り、主治医の紹介で地元の保健センターでやっている認知療法の講座を受けました。 講座を受ける中で、認知療法はある程度うつが良くなった人で無いと続けられない。再発防止のための治療だということもわかりました。 薬の処方のほうも、SSRIからSNRI、NaSSAなど新薬を次々と試す状況。ただし「すごく効いた」という薬には出会えませんでした。 状態のほうは日々波があり、自殺はしないけれどいつ死んでもかまわない、生きることは死ぬより苦しいことで、死ねることは幸せだとまで思っていました。 その後主治医に、「認知療法を一人で続けるのは難しいので、カウンセリングを受けたい」と話しました。その紹介でカウンセリングを2年ほど受けました。保険適用だったので安くて助かりました。 カウンセリングでは、結局認知療法はほんのちょっとだけでしたが、話を聞いていただけることや、カウンセラーさんも研究熱心で新しい治療法をいろいろ教えてくれたりしまして、とてもためになりました。 仏教の本(ひろさちやを中心に。これはかなり良かったです。)を読んだり、ほめ日記を書いたり、ほかにも手当たり次第いろいろなことを試して、認知のゆがみもだいぶ矯正されたと思っています。 その間、薬の処方がSSRIのレクサプロに。これが私には非常に効果があり、かなりいい状態が継続するようになりました。 職場でも笑顔が増え、「普通の人のように」楽しく日々を送れるようになりました。 それまでは生き甲斐など考えたことが無かったのですが、老親の世話をすることが自分の幸せであると認識しました。 先日、カウンセラーさんから「もう大丈夫そうですね」と話があり、カウンセリングは終了となりました。 まだ、状態が良くなって1年ですので、このまま再発しなければいいのですが、悪くなることもあるかもしれません。 こうやって改めて書き出してみると、わたしの場合環境がキーワードみたいですね。
その他の回答 (2)
私はうつでした 3年前病気になったことがきっかけで 周りからいろいろなストレスをうけ、それからというもの いつのまにか徐々に自分が自分でなくなって行きました。 笑えない、以前面白いと思っていたものが全く面白くもなんともない 自分に感情が感じられない、夜になると泣く 人が信用できない、眠れない、眠剤を多用する 何も考えたくない、自分がすべて悪い 面白くない、自分の爪をはいでみる 自分の足にあざをつけてみる、死にたいと考えると楽になる 私にも逃げ道があるんだと わたしの心はみんなに見透かされている こわい、みんなに見られている、笑われている 上記のような状態がおよそ1年半 毎日毎日・・・とても辛かったです 病気自体は回復したものの 私の精神状態はなかなか回復しませんでした。 克服できた理由は すみません・・・はっきりとは解らないんです ですが、 心から信頼できる一人の友人がささえになってくれたのだと思います それから 人を徐々に信頼できるようになりました ひとりひとり そして私も変わってゆきました 気づいたことがありました 同じ空間、同じ環境、同じ風景でも 私自信の考え方をすこしかえることで 全く違う風景に見えることを。 今でもなにかでパニックになりそうなときや悩んだときは 鏡で自分の顔を見て 笑顔で「大丈夫、私は大丈夫」 不思議と落ち着くんですよね・・・
お礼
いいお話ですね。心がなごみます。優しさは、大好きです。自分を追いやらなくてもいい人がそばにいてくれさえいれば、あんなことにならなかったんだといまでも思います。ありがとうございます。
- MrBOOM
- ベストアンサー率0% (0/1)
私は1年ほど、重度のうつで苦しみました。 その間、家族も嫁以外は拒絶していました。 子供すら私に近づくことができませんでした。 誰にも会いたくない、外にも出たくない、毎日が嫌で嫌でたまりませんでした。 夜中寝ているときに、突然胸が苦しくなり壁に額を打ち付けていたりしていました。 気が付くと腕が血に染まっていたり・・・ そんな時でも嫁が傍でいつも支えてくれていたのです。 もちろん病院にも通いました。 私の場合は、病院と薬、時間、そして嫁ですね。 何よりも嫁が支えになってくれていました。 仕事も出来ず収入もない1年間でしたが、何も言わず支えてくれました。 そして月日とともに自然と回復出来ました。 今では症状の欠片すら見えません。 腕に傷は残ってしまいましたが、気にせず見ることができます。 支えてくれる人が居ることが一番だと思います。
お礼
ありがとうございます。愛か、偉大です。本当に愛は人間にとって計り知れないものだと思います。わたしは、愛抜きで人生なんてかたれません。
お礼
cocoro6_6vさんありがとうございます。 もっと聞きたいので再質問します。 うつは、つらいですね。あれはなったことがなければわかりませんよね。