• 締切済み

うつ(鬱)であることっては恥ずかしいことですか?楽なことですか

こんにちは。 世間的に鬱でひきこもっているということは恥ずかしいことなのでしょうか? 僕は鬱ですごく苦しんでいます。死にたいとも思うぐらいの状態です。 申し訳なくて情けなく思ってます。 だから苦しんでいます でも必死に自分では闘っているつもりです。 でもなぜ鬱ではずかしいと思わなくてはいけないのだろうと思います こんな苦しい思いをしているのに、笑うことすらできないのになぜ世間では鬱は「はずべきこと」として認知されているのでしょうか? たとえば体の病気で入院している人は世間では「気の毒に」とか「一生懸命たたかっているんだ」と「大丈夫?」思われる。 退院したときは「病気を克服して偉い」でしょう。 仲間内の過去話の中でも「あんな病気にかかった」といえるでしょう。 でも鬱でひきこもっていると「甘えてる」「楽している」「情けない奴だ」「理解できない」とか一般的に思われていると思うんです。 ひきこもりから脱却しても「暗い奴だ」「そういうやつなんだ」みたいなかんじに言われそうなんです。 「鬱、ひきこもりから脱却するなんてえらい」なんて間違っても言われないでしょう。堂々とひきこもっていたともいえないでしょう。 最近鬱が恥ずかしいものだと特に思うようになりました。 それはネットの掲示板みたいなところの影響です。インターネット上ではなぜあんなにひどいことが言えるのだろうという人がいます。ああいう人たちはどんなひとたちなのしょうか?引きこもっているだけにああいう意見が世間の全ての意見のように思い込んできてますます落ち込みます それともやはり鬱とはそのように批判されてしかるべきものなのでしょうか? だれかにそうじゃないっていって欲しいんです。 どなたか回答お願いします。

みんなの回答

  • oinieaga
  • ベストアンサー率12% (95/779)
回答No.18

心の何処かで、ヒキコモリそのものを認めてないから苦しいのでは? 社会の役立たずになってるのが恥ずかしいからでは? 言い換えると、「社会の役立たずを認めたくない!」とか思ってませんか?。 だとしたら、社会に役立たない者を貴方自身は見下しているという証拠になりますよね。 見下す対象が『社会に役立たない者である貴方自身』に該当してしまってるので情けなく感じて当然です。 でも、これはある意味で罰です。 なぜなら、悪人、罪人、無知で人を傷つける者(社会に役立たない者)を心の中で見下してるからです。 無意識ながらも他人を見下し愚弄するという罪を犯しているから罰を受けてるのです。 罪は、まわりめぐって自分に帰ってきます。 他人を見下した報いを『見下されるという苦痛』として自分へと帰って来たのです。 罰を受けてるのだから苦しくて当然です なのに貴方は罰を受けることに納得できてないのだから、その罪から開放される事なんてありません。 罪を受け入れたとき、開放されるのです。  >それともやはり鬱とはそのように批判されてしかるべきものなのでしょうか?  >だれかにそうじゃないっていって欲しいんです。 誰かに言って欲しくても我慢するんです。 弱音を吐かずに批判されてしかるべきものとして受け入れるんです。 るばんがー!

回答No.17

 まず、結論を言います。恥ずべきことではありません。    私はうつ病に対して知識があるわけではありませんが、お答えしたいと思います。うつ病というのは病気ですから、育った環境によっては誰にでもなりうることです。恥ずかしいと思うことではないです。  ただ、私の経験上聞いて欲しいことがあります。私には先天性の軽度の視力障害があります。といっても矯正することで0.4まで視力を上げることができます。この視力は日常生活で特別に苦労するわけではありませんが、小さいものを見たり、少し遠くのものを見たりする時は非常に苦労します。  もっとも身近な体験として、学校での体育です。視力が低いため、野球などの球技全般が苦手です。しかし、野球というのはチームプレイで自分の失敗が人に迷惑をかけることがあります。その他、テニスやバトミントンなどはダブルスをすると人に迷惑をかけてしまいます。シングルスでも、相手にとっては弱すぎるので私のことをつまらない奴だとか思っていると思います。何か共同作業をするときも、普通の人が見えているものが見えないと、差別的な見方をされます。これってけっこうつらいことです。  上記のように述べてきましたが、つまり、私が言いたいのは、「人間は、自分の持っているものさしの長さでしか他人を測れない」ということです。視力の良い人に視力の低い人の気持ちを理解しろといっても無理です。うつ病ではない人にうつ病の人を理解しろといっても同じく無理です。が、理解できなくても理解しようという心を持った人もいるものです。私を差別的な目で見る人はたくさんいますが、その分、見えないことに対して、親切なことをしてくれる人もいるんです。  うつ病も同じです。私はうつ病ではありませんから、あなたの気持ちを本当の意味で理解することはできないでしょう。しかし、私は差別的な目で見られることのつらさを知っているので、あなたを含め、世の中のすべての病気や障害をもった人を差別視することはできないのです。  最後ですが、あなたに対して「がんばってください。」とは言いません。なぜならあなたは十分にがんばっているはずですから。ただ、個人的に「うつ病」に負けてほしくないです。差別の目に負けてほしくないです。あなたのことを理解してくれる人は必ずいるのですから。

  • rinko49
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.16

私は鬱であることを堂々と周りの人に言っていました。 最初はちゃんと考えてくれたようなのですが、鬱を理解してもらえず、傷つくような事を言われたりもしました。 最終的には自殺未遂したせいもあるのですが、ほとんど誰もいなくなりました。 掲示板の書き込みは本音だと思います。 今の時代はどんどん鬱に理解が増えていますが、非難する方もおられますね。 でも、自分が鬱だと言うようになってからも彼氏が出来たり友達が増えたりしていましたよ。 私は自殺行為等他人に迷惑をかける事が増えて友達がいなくなりましたが、正直優しい周囲に甘えていました。 あなたが、周りに極端な迷惑をかけない限り、そこまで不自由な環境にはならないと思いますし、私みたいに誰でもではいけませんが決めた人に話してみても、全然大丈夫だと思いますよ。(無理に隠すと辛いです) 鬱だからへんに思われる。暗いと思われる。等は全く気にしなくて大丈夫です。 年齢が分かりませんが、暗いなんて言う人に悩まされるのは高校くらいまででは?(私も学生時代暗いといっていじめられました) 鬱だからどうのって言ったり暗いという人はいないとはいえないけど、皆ではないです。多数でもないですよ。(環境にもよりますが、そんなところばかりではないです) そういう人を無視しても、全然人は残ります。 友達いなくなった。とか不安にさせるようなことを書いてしまいましたが、気をつければそういうことにもならないということも言いたかったので敢えて書きました。 極端な行動や発言をしなければ絶対大丈夫です。 現に私は死にたいというまで、友達はいなくなりませんでした。 鬱は絶対楽ではありませんが、鬱でも堂々と生きていいと思います。

  • oinieaga
  • ベストアンサー率12% (95/779)
回答No.15

ウツって誰が考えたの? 10年前は、そんな難しい漢字なんて無かったと思います。 無気力とか、脱力とかいう症状に、適当に名前付けただけです。 精神科の医者が、患者から金を巻き上げる為に作っただけです。 病名に振り回されてる人々が、馬鹿に思えます。 旨い物食べて、遊んで、やりたい事やって死ねれば、文句なんて無いと思います。 >それともやはり鬱とはそのように批判されてしかるべきものなのでしょうか? どうあるべきかは、世の中には関係ないし、だったら戦争してんじゃねぇ! と、言いたくなりますわ。

  • code1134
  • ベストアンサー率20% (703/3370)
回答No.14

「我思う、故に我有り」とはデカルトの名言ですが、(質問者が「引篭もっているのを」)「甘えている云々」と思う連中は我(質問者を極悪非道と)思う故に自らの愚かさ有り」なのですから、受け流せば良いのですよ!!  確かに「鬱病」も病気ですが、「精神の病」と捉えずに、「身体の病気」と捉えるのをお勧めします。  何故なら、2005-7-6時点では総合病院で、(それだけを診る)独立した資格は「歯科医」だけであり、他の科は全て「医師の国家試験しか受かっていない」医者が診るからです。 その点では科毎に細分化されている教員の場合とは明らかに異質なのです。  又、病と言う包括的観点からはNO7さん他が指摘されていますが、風邪と何等変りはないのです。 寧ろ風邪(含む、インフルエンザ)の場合第三者へ伝染させるリスクがありえますが、それが「99.98%ない」だけマシだと私は捉えますけどもね。   鬱病が少数派なのは確かでしょう。かく言う私も左利きですが、ソフトバンクの王監督を(「左利き」の一点でだけで)悪人扱しますか?   「しないでしょうし、してはならぬ」と私は信じて疑いません。もし「鬱病に苦悩しておられる(質問者を含む)方々だけを指弾(排斥)し、(王監督や私の様に)左利きの人間を指弾(排斥)しない向きがいるなら、 そういう連中は「矛盾したクズ」とさえ言えるでしょう。  (NO10さんの様にお手柔らかな方もいますが)私は容赦しません。「鬱病に絶対ならないか(or偏見を即、止め死ぬ瞬間迄無偏見を続けるか)に関する保証書」を下さい、と食い下がりますね。  私は「上記の様な言い回しで(少なく共口先だけにせよ)論拠なき偏見を減らして来た」と思っていますから、どうか、質問者の方も自信を持って、生き(時には医師の診断を受け)続けて下さい。    蛇足になりますけど(別の質問の時カキコんだ事なのですが、鬱を含む)「病に苦しむ状況が克服されると喜ぶのは誰だと思いますか?」 質問者自身は当然ですが、医師当人なのです。 何故なら、医師も増収になるからです。  

noname#52875
noname#52875
回答No.13

私の母は長い間鬱です。周りにも鬱になった人が何人もいますし、私自身も躁鬱になったことがあります。 私が幼い頃はまだ鬱=精神病=拘束服という感じで、「メンタルヘルス」なんていう横文字もなかったし、鬱に対する本でさえ大きな書店でないとありませんでした。だから私の母はとんでもない精神病だと思い、周りの明るく元気なお母さんを羨ましく、母を恥ずかしく思い、本当に辛かったです。 しかし今はお昼のCMで「欝に対する理解を!」なんて流れているし、当時からすれば考えられないほどオープンになっています。 >「鬱、ひきこもりから脱却するなんてえらい」なんて間違っても言われないでしょう。 確かに、本人や周りの人間が鬱の人がいないと理解されないかもしれません。ですが、今の世の中、鬱や心の病気を持っている人はとても多いのです。ですから理解者もきっといます。実際、このカテゴリの質問の数でおわかりになるでしょう? とりとめがなくなってしまいすみません。 他の方も言っておられますが、あまり考えないようにするのがいいです。理解しない人もいるし、する人もいます。

noname#80969
noname#80969
回答No.12

現在、ウツ治療中。もう3年目です。休職中でひきこもり。一人暮らしで自宅療養中です。 みなさん、適切な回答をされていらっしゃるので、もういいかなと思いましたが、 ひとつ気になることがあったので、書かせていただきます。 回答は、実際にウツを経験された方のモノを重視して、 お読みになってくださいね。 この単なる、やる気のないだけの状態は、 健康な方の「やる気のないウツな気分」とは、 全く違うということを、ウツ経験者のあなたなら、 わかると思います。甘えなんかでは決してありません。 「私のような境遇の人間はどんな嫌な目にあおうとも、心を強く持ち続けなければなりません。 それをしなくても許してしまう周りと、それに甘えてしまうので世間の風当たりは強くなるのでは?」というお言葉がありましたが、 これは、ウツ病ではありませんから。 (この回答をなさった方、すみません・・・悪意はありません。お許しください。お辛い思いで、働いてらっしゃることは、よくわかります。) それができることならば、どんなに、ラクなことでしょう。 それができないから、どんな境遇にあっても、動けなくなってしまうから、 病気なんです。 私もあなたと同じように思っていた時期がありましたが、 私はウツだと公言していますし、ひきこもりも、 みんな知っています。 そんな私を受け容れてくれる人たちの中で生きていますが、 それで、幸せです。 ひきこもりから出ていくとき、 また、いろいろな摩擦があると思いますが、 理解してくれない人は、ほぉっておけばいいんです。 この数年で、随分、友人が淘汰されましたよ・笑。 随分、すっきりしたと共に、その友人達に、元気になったら、 お返しをしたいと思い、がんばって?ひきこもっています。 まわりにいる人たちの誰よりも本人がつらくて、 頑張らなくてもいいのに頑張っている。。。 それは、ウツを抱える多くの仲間がよく知っています。 あまり、悲観的にならないでくださいね。 いつか、開き直れる日が来ることと思います。 というか、、、受け容れてくれる人たちの中で生きていけないと、 でていけませんよ・笑。 だいぶ、ウツも市民権を得てきましたから、 気楽にいきましょうよ。 一緒にがんばりましょう。

  • I_for_U
  • ベストアンサー率26% (28/105)
回答No.11

>鬱とはそのように批判されてしかるべきものなのでしょうか?  そうは思いません。まだ市民権を得ていないだけです。国民の90%以上がうつやひきこもりだったら、恥ずかしくもなんともないです。非難や中傷は不条理だと思いますが、それはそれこそ「いつか見ていろ」と我慢するしかありません、今のところ。

回答No.10

出勤拒否を起こして近所の心療内科に駆け込んで以来、6年程精神科に通院しています。 別に恥ずかしくとは思いません。誰でも風邪をひくのと同じです。全然恥ずかしいことではありませんよ! 逆に私は開き直っているかも知れません。「鬱だよ。それがどうした」と。 「死にたい」それがまさに鬱の症状です。今は病気療養中と割り切ることはできませんか? 身体の病気と違って、精神の病気は表に出ない分、治ったかどうかもわからなければ症状も他人にはわかりにくいものです。でも、だからこそきちんと治療しなければならないのです。 以前に比べれば、鬱に対する偏見は減りました。でも、無知が故の偏見はまだあります。そういう方々にあれこれと言われるのは辛いでしょう。 そんな偏見を持ち批判する人には、こう言います。 「あなた、自分がこれから先鬱にならないと、本当に断言できますか?」と。 この質問に、本当に「Yes」と答えられる人は、この世の中のどこにもいない、と私は思います。 無理をしないで、ゆっくり休んでください。

回答No.9

でも鬱でひきこもっていると「甘えてる」「楽している」「情けない奴だ」「理解できない」とか一般的に思われていると思うんです。 やはり、一般的に甘えがあると思うからでは? 例えば、私がひきこもりになったとしたら3日で家を追い出されます。(私がきちんと生活費を入れないと暮らしていけないから) なので、どんなに鬱になろうと引きこもってなどいられません。 2週間前人間関係から本当に何もしたくない、引きこもりたいと思いました。 しかし、それでは生きていけないので鬱々した気持ちを何とか抑え、根性で仕事に向かいました。 幸い今は何とか浮上してきています。 (もし、私に出来る環境があったら引きこもっていたでしょう) 私のような境遇の人間はどんな嫌な目にあおうとも、心を強く持ち続けなければなりません。 それをしなくても許してしまう周りと、それに甘えてしまうので世間の風当たりは強くなるのでは? ただし、引きこもりながらも自分の稼ぎのみで生活している人に対しては、私的には差別はありません。

関連するQ&A