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色即是空=信頼しないこと?
仏教の考え方について勉強をしています。 その中でも色即是空という考え方、 物事への執着、煩悩を捨てよという考え方は、 とても本質的で素晴らしい考え方であると思っています。 しかし、良い物も悪い物も根源的には全く同じもの、 表裏一体であって、絶対のものではない、 色即是空の教えは、一見本質的ではありますが、 目の前に見える美しい物、楽しい物すら、 それをそういうものであると心から信じるなという考え方にもなりませんか? 目に見えるものを疑ってかかる行為は、 逆に心の中の不安を増加させてしまう行為であるとも思うのですが、 私の色即是空の解釈は間違っているのでしょうか。 色即是空の教えの上では、人は今目に見えているものをそれとして、 心から信じることはできないのでしょうか。 「色即是空の教え」と「信じること」について、 どなたか無知な私にご教授いただけたらと思っております。 よろしくお願い致します。
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般若心経には、「色即是空・空即是色」とあります。 「物質的なモノはそのまま空、つまり、実体はない。しかし、実体を有さないモノが物質的な存在である」。 少し危険な表現になりますけれども、 《存在の無化、無化からふたたび存在へ》 この二つをセットで考えないといけないのではないでしょうか。 般若の智慧、つまり、無分別智を得たからといって、眼の前にあるものが突然消えてなくなるわけではありません。この世の存在はすべて相対的なもので、相互依存的なもの。その真実を知ることによって、自分と他者との区別が消えて、そこから真の慈悲の心が生まれる。他者の苦しみは、そのまま自分の苦しみであり、他者の喜びはそのまま自分の喜びである。 そうしたことを、教えているんじゃないでしょうか。般若波羅蜜に代表される六波羅蜜の完成は、それ自体に目標があるのではなく、利他行のためですから。 美しくないモノの代表例は、ウンチでしょう。 人間にとっては、汚いものですが、ハエなどの昆虫などにとっては、ご飯であるのと同時に安全な産卵場所ともなります。つまり、見方や立場の違いによって意味や価値が変わってきます。だから、そうした差別的な見方をするのではなく、すべてをあるがままに見なければならない。それが般若の智慧、無分別智。 なので、 「逆に心の中の不安を増加させてしまう行為であるとも思うのですが、」 には、ならないと思います。 ~~~~~~ 色即是空の教えの上では、人は今目に見えているものをそれとして、 心から信じることはできないのでしょうか。 ~~~~~~ いえいえ、そこにあるのは、むしろ、全存在・全生命の絶対視の思想でしょう。 ただし、そうした観点に達するには、《差別》という色眼鏡を外して見なければならない、ってことではないでしょうか。 《悟り》とは何かという抹香臭い話は抜きにして、現実生活においても役立つ智慧だと思います。 ~~~~~~ 「色即是空の教え」と「信じること」について、 どなたか無知な私にご教授いただけたらと思っております。 ~~~~~~ 般若心経において、なぜ、《色即是空》だけではなく、《空即是色》が書いてあるのかです。 《色即是空》だけですと、虚無感や厭世的な考え方に陥ります。 わたしは、《色即是空》よりもむしろ《空即是色》の方が大切だと思っています。
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- Lenova2012
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般若心経の一説ですが、物質は実体を具えたものであると考える凡人を教え諭すために、物質は永久に存在するはずはないと、説いているのだと思います。物質の実体は、有るようで無く、無いようで有るという事になります。物質の真理を言っているのであり、信じる信じないは関係のないことでは?
お礼
私も、般若心経は物質の真理を説いたものであると思っています。 しかし、「物質は永久に存在するはずはない」と心得たうえで 日々を生きようとした場合、また別の苦しみが生まれてしまうのではないかと思い、 質問をさせていただきました。 浅はかな知識からの質問で申し訳ありません。 ご回答いただきありがとうございました。
- williumblake
- ベストアンサー率29% (379/1287)
その空虚感は重要です。 まずは、その空の状態をよく感じてください。 その後で、自分という存在を生み、現在も存在させてくれているものたちのことを考え、そのありがたみを感じればいいのではないでしょうか。 こんなにも空虚な、不確かな世界の中で、私という存在は生み出され、生きていることができる。 そう考えれば、つまり全てのものへの感謝が生まれるのではないでしょうか。 これでよい、これで完結している、という納得や確信、このままでよい、と思える精神状態が重要で、現状に不満を感じ外に対して何かをしてやろうと働きかけるのではなく、自分の内面をこそ見つめ、自分の内面を変えることで外の世界を良くしよう、より良く感じられるようにしよう、という考えなのではないか、と思います。 つまり色即是空を突き詰めれば、信じる必要すらなくなる、ということなのではないでしょうか。 私はこの世の無常を知り諦観して空虚感にさいなまれたとき、自分と家族の存在がなんと貴重で有難いものかを実感しました。 この世の中が充実して楽しいことに満ち、目移りしてしまっていては、自分の心の平穏は訪れません。 全く拙い説明で申し訳ありませんが、色即是空とはそういう教えなのではないでしょうか。
お礼
誤って「補足」の方に「お礼」を投稿してしまいました、申し訳ありません^^; ありがとうございました。
補足
色即是空の空虚感を知ってこそ、 普段自分が心の支えとしているものの存在、周りにある感謝すべきものの存在に気付けるということですね! williumblake様には、理屈なく信頼することのできるご家族がそばにいらっしゃり 羨ましく思います。少なくとも今のwilliumblake様にとって、ご家族との間にある信頼感や絆は、 もはや無常なものではないのではないでしょうか。 こんなにも不確かな世界だからこそ、今自分の周りにある全てのものに感謝が生まれる。 本当にその通りだと思いました。衝撃を受けたような感覚です。 本質的なご回答をたいへんありがとうございました。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
実在するものが、自分の中に写っているのを人は感じる訳ですから 色即是空で考えると、美しいものを美しいと感じる自身が美しいのだと思います。 楽しいと受け取る、自身が楽しさを生み出している。 その時、信じるのは目の前にある物質として実在するものより 自分自身ということになるのではないでしょうか。 自分自身を心から信じていればいい。 自分自身が自分の心のよりどころとなり、他者依存や物質依存から抜け出すこととなるでしょう。 実在は実在として存在はしています。 その結果として、花を愛でて、美しいと感じる自身が美しさを享受できる。 女性は素晴らしいと感じると、女性の素晴らしさを享受できる。 逆に自分以外はクソだと思ってると、クソを享受します。 実在は、ただそこにあるものだから変わるものではない。 写す自身の心が決めているだけでしょう。 結果は自分の心が生み出すもの。 自分を信じる力が、結果をも変えていくことができるに繋がる一歩だと思うのです。 信じることは大切ですね(^^)
お礼
「目の前に存在するもの」、というよりは、 それをありのままに受け入れている「自分自身」を信じれば良いのですね! 「 実在は、ただそこにあるものだから変わるものではない。 写す自身の心が決めているだけでしょう。」 その通りだと思いました。 物をどう見るか、また、その物がどういうものとして目に写るか、は全て自分次第ということですね。 考え深いご回答をありがとうございました!
- 徳島 太郎(@oyajitokushima)
- ベストアンサー率9% (8/85)
私も同じ様な質問を投げかけました。 「般若心経の「色即是空、空即是色」とはどう云う意味?」 沢山の方から返事頂きました。 私の投稿履歴を参考にして下さい。公開してますから。 難解過ぎて直接ご返事出来ない事をお許し下さい。
お礼
投稿履歴を拝見させていただきました。 改めて色即是空、空即是色の難しさを実感致しました。 特に、oyajitokushima様の質問の回答の中にありました、 「 実体はない、という虚無感と すべては真理の現れである、という実在感とでは、大きな違いがあると思います。 大きな違いはあっても、そのどちらも真実ではないでしょうか。 現象を仮りのものと見れば虚しく、真理の現れと見れば確かで美しい・・・というものです。 虚無感に留まるだけでは片手落の解釈、という事になるものと思われます。」 という言葉にハッとさせられました。 色即是空、空即是色の考えは難しいですがとても奥深いものですね。 回答いただき助かりました。ありがとうございました。
実在するのは今だけという風に考えられないでしょうか。過去も未来も実在のものではなくただ今だけが実在であるという感じです。信頼という言葉を使うと、信頼できるのは今だけであるということになるように思います。
お礼
「今」そこにあるものを信頼すれば良いということでしょうか。 回答いただき助かりました。ありがとうございました。
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お礼
たいへん分かりやすいご回答をありがとうございました。 感動致しました。 色即是空の教えは、「目に見えるものを信じず疑ってかかれ」ということではなく、 「目に見えるものに自分が抱いてしまう自分本位な価値観(「色眼鏡」)を取り除け」 ということなのですね。 ありのままのものをありのままに見るようにするということであって、 物を疑ってかかるわけではないので、疑心暗鬼な感情に自分自身が支配されることもないのですね。 また、逆に「空即是色」の考えがあるからこそ、 無常で決まった形のないもの、ありのままに見たものを、 ありのままとして人は素直に受け入れられるのですね。 >般若心経において、なぜ、《色即是空》だけではなく、《空即是色》が書いてあるのかです。 >《色即是空》だけですと、虚無感や厭世的な考え方に陥ります。 私もNemurinekoNya様の回答を見て、「空即是色」の大切さを実感致しました。 「空即是色」があることで、人は「色即是空」の虚無感から脱せるのだと思います。 私にとって、最も考え深いお答えであったため、ベストアンサーに選ばせていただきます。 丁寧なご回答、ありがとうございました。