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人の性質は周囲との比較で決まるのか
- 人の性質は周囲との比較で決まるのか。恥ずかしがり屋とは、平均よりも恥ずかしがる状態が多い人のことを指すのか。
- 個人の性質は、周囲の環境と比較して平均から外れた少数派である場合に「恥ずかしがり屋」「心配性」と言われる。
- 異質な少数派はさらに排除されやすいが、なぜ少数派の性質が好まれないのか疑問である。
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面白いですね 自分なりに考えて見ました >個人一人ひとりの状態・性質を見て「○○屋」と定義が決まるのではなく、 >周囲の環境と比較して、平均から外れた「少数派」だったら >その時初めて「恥ずかしがり屋」「心配性」などと言われる、 この部分を見たとき「血液型」が思い浮かびました。 血液型から分析する性格診断は科学的になんの根拠も無いのは有名ですが それでも日本人だとある程度「A型はまじめ」「B型は行動的」など ざっくりとそれぞれの血液型のイメージがあると思います。 これらは1つの情報で簡単に人間をカテゴライズしてるという感じじゃないかなと思います。時々「RH-」とか「血液型分からない」って人がいますが、こういう人たちが「少数派」に入るのではないかと。 これを質問主さんが言う「恥ずかしがりや」に当てはめて見ると とりあえず生きていれば恥ずかしがりやさんに会う事は度々ありますよね つまりこれまで出逢ってきた人達自分が無意識に作ってきたカテゴリーにであって入れていくんだと思います。 もし生まれてこの方「恥ずかしがりや」に会った事が無い人の場合「この人はなんでこんなもじもじするんだ?意味わからん」と「少数派」のカテゴリーに入れるんじゃないかと。 >その少数派の中でもさらに少ない「究極の少数派」だったら >異質と呼ばれる、 >これで間違いないですか? そういう感覚は人間の中にあると思います。 今では外国人を見る事は日常茶飯事になっていますが 200年前の日本では外国人は「化け物・鬼」と思っている人が多かったと言う例があるように、見た目も言葉も全然違う人と「同じ人間」と言われてもピンと来ないという感覚はあると思います 簡単に言えば人間は経験した事の無いものと対面するとまず最初に「恐怖心・畏怖心」が出るみたいですね >また、少数派の性質が好まれない事が多いのはなぜでしょうか。 >少数派、異質なものが排除されやすいのはどうしてですか? 人間の話から動物の話になりますが 例えば動物の中には生まれてから死ぬまで1つのコミュニティーで生きていくものがあります。 狼とかライオンもそうかな? 生まれて狩りを覚えて餌を取れるようになって、メスと交配して子どもを生んで・・・ と、どんな動物でもある程度みんなと同じサイクルで生活していく事が決まっています。 ところがこの動物の世界でも「他と交わらず一匹で行動する」「身体が弱くてみんなについていけない」タイプがいるようです。 オス達がどんどんメスと交配するのにいっこうにそうしようとする気配が無い 年を重ねても群れようともしない。 こういう動物は他の動物達より寿命が短いみたいです。 肉体的に問題があるわけでなくても、コミュニティーを利用しない事で同じ種族の動物達より危険にさらされたりする可能性が高くなるからだそうです。 子どもが身体が弱かったり、一緒に行動してもついていけないと分かると、母親でもスパッと見捨てたりする事も自然界にはよくあるケースです 人間社会にもベースにはこの感覚があるんだと感じます。 自分と「似ている」タイプの方が一緒に生きていきやすいと感じ、「異質な人」の方が一緒にいずらいと感じるのではないかと。 ただ人間の場合は自然のサイクルに加え感情が絡み合ってくるので、異質な人とも仲良くなれる人は沢山いますし、勝手な判断で「あの人は異質だ」と押しのけてしまう事もあるので「異質だから押しのけていい」とは言いきれないと思います。 自然界のように「外敵にとって食われる」って事ないですしね。 と、だらだらと語りましたが あくまでも自論です。 参考になれば幸いです。
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- 雪中庵(@psytex)
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社会において「正しい」という場合、それは社会がうまく機能する 性質なのです。 つまり、どんなに特殊な性質であっても、それが社会運営に 有効であれば、社会に広まって「正しい、普通」な性質になります。 逆に言うと、「少数派」という場合、多くの場合は社会的に有用で ない場合が多いので、排除する傾向があるのでしょう。 ただし、その傾向が強いのは集団主義&協調性の強い、アジア の稲作農耕文化圏であって、西欧やアジアでも遊牧文化圏では 自己主張や個性の強さを評価する傾向があります。 (逆に没個性で思った事を言わない日本人を不気味がる)
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。その性質が私達の社会に上手く順応出来たり、有利に働いているのであれば、少数派であっても普及していくのが自然の流れですから「普通」と呼ばれるようになる。 やはり「少数派」なのはそれなりの理由があってのことなんでしょうね。
- eroero1919
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そうですね、私は外国人と話をすると「君は自分の意見をちゃんと持っているね。日本人には珍しい」とよくいわれました。しかし、日本人相手だと「アイツはウザい」といわれることしばしばです。日本社会で生きていくためには日本人に合わせないといけませんから、いつからか私は対日本人と対外国人ではキャラクター(自己主張)を変化させました。相手が日本人の場合はあまり余計なことはいわないようにしています。 では外国人相手のほうが気が楽かというと、自分が悪いと分かっていても「認めたら負け」だから頑として譲らないみたいなのも疲れるなあと思います。アメリカの大学で授業を受けたことがありますが、認められるためには他人を蹴落とさないといけない社会に「タフすぎてついていけないだろうなあ」と感じました。 異質なものを排除しようとするのは、動物の本能的なものかもしれないですね。日本人に比べれば異質なものを受け入れる外国でも移民排斥運動とかはありますからね。 ただ、それがプラスの方向になる異質さ(例えば運動能力の高さとか芸術の才能とか)であれば受け入れられると思います。「幼女が性的対象」みたいな異質さは排除される方向ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 ある場所では「異質」でも、別の場所ではそうではない事ってありますしね。 周囲にある程度上手く合わせられる能力って、生きていく上で大切だとよく感じます。私は昔から苦手で苦労してますが… 平均的、周囲から大きく外れない方が有利だと、私たちは本能的に悟っているのかもしれませんね。 同じ少数派・異質でも、それが持つ特性によって「異端・病的」と捉えられたり逆に貴重がられたり。対極のようで紙一重だと感じます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
こういう基準には、絶対的基準と相対的基準が あります。 解りやすい例として、貧困率があります。 世界銀行では、一日の所得が1米ドル以下を 絶対的貧困と呼んでいます。 そして、その国の所得の中央値の半分に満たない 場合を、相対的貧困と呼びます。 恥ずかしがり屋についても、同じ基準が考えられる と思います。例えばです。 百人中、90人に対して恥ずかしさを感じるのを 絶対的恥ずかしがり屋、その国の中央値(例えば30人) 以上の場合を相対的恥ずかしがり屋、ということも 可能でしょう。 ”もし一般に言われている「恥ずかしがり屋」な性質の人が 地球上で9割を占めていたら、 それは「恥ずかしがり屋」とは言わないですよね?” ↑ 一般的な感情としてはそう言えるかもしれませんが 学術的にはどうでしょう。 例えば、賄賂を取るのが当たり前の国で、一人だけ賄賂を 取らない人がいれば、その人はやはり清潔な人だと言えませんか。 ”少数派の性質が好まれない事が多いのはなぜでしょうか。 少数派、異質なものが排除されやすいのはどうしてですか?” ↑ 多数派の利益を害したり、多数派に理解されなかったり するからでしょう。 セーラー服を着て、下半身丸出しの中年男に話しかけられたら どうでしょう。 この男は普通で無い。何をするか解らないから注意する 怖い。 つまり行動が予測できないので排除されやすくなるのです。 包丁を持った精神異常者が怖いのは、何をするか解らない つまり、行動が予測できないから怖いのです。
お礼
回答ありがとうございます。 絶対的・相対的基準とは初めて知りました。同じ恥ずかしがり屋でも異なった基準があるんですね。 予測不可能で怖いから排除されやすくなるというのは分かります。同じ少数派でも、それがどんな性質なのか内容によって、周囲からの認識や扱いは大分違ってきそうですね。
- merciusako
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「恥ずかしがり屋」を定義する場合、様々な要素がありますよね。 それらのうち、どれだけを持っていれば「恥ずかしがり屋」というのかは人それぞれのはずです。 ところが、多くの人に影響力がある人が、「あの人は恥ずかしがり屋だ」と言うと、それを聞いた人達はそう思い込んでしまいます。 それが連鎖的に拡がっていって、「あの人は恥ずかしがり屋」という評価が定着します。 周りの人が直接その人に会って、それぞれの人が「ああ、この人は恥ずかしがり屋だ」とは思っていません。 その意味では「周囲との比較」で決まるとは言えないと思います。 噂によってその人が「どのような人」という評価を与えられてしまうことは多々ありますから。 自分から離れれば離れるほどそのような評価の仕方になるでしょう。 親、兄弟・姉妹などの対する評価と、俳優、アイドル、政治家などに対する評価の仕方は明らかに違いますね。 >その少数派の中でもさらに少ない「究極の少数派」だったら異質と呼ばれる、 その性質にもよると思いますが、「異端」「病的」と言われる場合もあるでしょう。 >少数派の性質が好まれない事が多いのはなぜでしょうか。 多数派は自分たちがどのようであるのかの共通認識があります。 話が早い、楽。 ところが少数派のことはよく分かりません。 それを理解するには、時間も手間もかかります。 で、ウザイ、めんどくさい、になるのです。 >少数派、異質なものが排除されやすいのはどうしてですか? 少数派を理解することよりも排除してしまうことの方が簡単で楽だからです。 なんてったって、自分たちは多数はですから。 世の中は多数決で決まると思ってますから。 「排除しよう」「そうしよう」 で済みます。 だから世の中って不条理なことが多いんですけどね。
お礼
回答ありがとうございます。 >多くの人に影響力がある人が、「あの人は恥ずかしがり屋だ」と言うと、それを聞いた人達はそう思い込んで 確かにそういう節がありますね。周囲の噂や評価によってその人のなりや性質が形作られていく。私たち個人の捉え方・感性で、周囲と比較して定義づけられているのだと思っていましたが、それ以外にも要素はたくさんありますね。良くも悪くも周りの影響は大きいと感じます。 ただの「少数派・異質」と「異端・病的」の境は何なんでしょう。何を持って私たちはある性質を、悪いものや不要なものに分類しているんでしょうね。 やはり、少数派を理解する時間と手間、それらの労力を払っても良いと思えるものがなければ大抵は多数派に傾いてしまうんですかね。
ポジティブに考えれば少数派は貴重な存在とみなされている可能性も高いです。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。その少数派がどんな性質を持っているかによって変わってくるとは思いますが、「少数派」「異質」は言葉を変えれば「貴重」でもありますしね。
- 9056-9046
- ベストアンサー率31% (236/759)
わたしも同感です。 やっぱり 「平均」 からの逸脱は 「○○屋」 風に グループ化されるのでしょうね。 人間の身長も世の中皆が230Cmもあったらバレーボール選手 も 「背が高い人」 っていう観点は世の中無くなるでしょうね。 最後に記述されている排除に関してですが、 選択する側の感性によるのではないでしょうか。 恥ずかしがり屋さんを良いものと捉える人、 それを理解しない人等々あるので 【それ】に関して 良いのか悪いのか難しいところですね。 でも過度に 【それ】 が激しいようではやはり常識外 と捉えられてしまうのでないかな?
お礼
回答ありがとうございます。 やはり大勢の人が当てはまる状態から大きく外れたものは、何らかの性質が定義づけ・グループ化されますよね。 この人は平均と比べてこうだ、と考えるのは私たちですから、「○○屋」というのは結局私たち一人ひとりの感じ方・心が決めているように思います。 その性質をどう捉えるか、選択する側の感性によるとの回答、凄く納得です。
- pigunosuke
- ベストアンサー率19% (1063/5529)
>「恥ずかしがり屋」な性質の人が >地球上で9割を占めていたら、 >それは「恥ずかしがり屋」とは言わないですよね? 言うと思います 「人に会うのも恥ずかしい」って状態の人ばかりなので 皆、引きこもりになって、世の中静かになりそうです その世の中では、結婚という概念が無く、 精子バンクから購入して、試験管ベィビーばかりになることでしょう
お礼
回答ありがとうございます。 もし仮にその様な世の中になったとしたら、現在のいわゆる「平均」が大幅にずれ仕組みも根本から変わり、「恥ずかしがり屋」など言葉の定義自体も変わるような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 >自分が無意識に作ってきたカテゴリーにであって入れていく そうですね。同じ「恥ずかしがり屋」に出会っても、それを恥ずかしがり屋のカテゴリーに入れるか否かは、個人によって多少なりとも違いますね。最初からある人の性質が決まっているのではなく、私たち一人ひとりの感じ方・これまでの経験や心によってその人が定義づけられているように思います。 動物界での少数派は時に命取りに繋がることもありますし、排除されるのは自然の流れなのかもしれませんね。ただそれが我々の世界でもそのまま通じるかと言ったらそうではないですし… 私自身はおそらく、一般で言う少数派のカテゴリーに入っていると思いますが、人間社会は本当に複雑だと常々感じます。