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明治時代の養子制度
戸籍をとって見ていると 明治の頃 本人が養子に行ったり また 本戸籍に戻ったりしているのですが この時代に こういう流れになるのは どういった環境が推測されるのでしょうか 昔のことなので 聞ける相手は誰も無く 困っています
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こんにちは。特別に専門家とかではないのですが、明治~大正期の風俗といった方面に非常に興味があり、私の知っている範囲ですが少しだけお答えさせていただきます。 明治うまれの詩人に、室生犀星という人がいますよね。彼には自伝があるのですが、なんと2回、養子に行っています。しかも2回目は「隣のお寺」という、今の感覚からすると軽いノリ(笑)で行っています。 犀星の場合は、両親がともに早くに亡くなってしまったため、ということなのですが。 また、柳田国男なども養子にいっています(彼はもともとは柳田という姓ではありません)。柳田国男の兄弟たちは、皆それぞれ非凡な才能のある人たちでびっくりしてしまうのですが、兄弟なの姓がバラバラです。それぞれが別の家へ養子に入ってしまっているからです。 『この時代に こういう流れになるのは どういった環境が推測されるのでしょうか 』 と、ありますが、 まずひとつには、今よりも子供の数が平均的に多いのだけれども、教育のシステムが今よりも整っていない→優秀な子供の場合、「家の跡をつがせる」という暗黙の了解のもとに養子として学費等を出資する・・というかんじではないかな?と思います。 今と法律なども違います。家父長制が根強く残っていた時代です。家と家との結びつきのための養子というものもあったかもしれません。 また、どのような理由から養子となったのかも、それぞれ違うと思います。「育てられない」という理由いがいに、賢い子を望まれて、名家に養子に出したという場合もあるでしょう。 また、もしかすると今よりも法的な手続きが簡単だったのかもしれません(養子縁組をすることでからんでくる問題(税金等)などのことが複雑ではないのかも?)←ちょっと旧民法等がわからないので、流してください。。 当時を生きていた人の書いたものを読むのがてっとり早いかもしれません。上記にある、室生犀星の自伝は『ある少女の死まで』という本です。 参考URLにあげたのは、当時のひとびとの記録として秀逸の本です。明治という時代がどのように人間を扱っていた時代なのかというのがわかるかもしれません。 (とりあえず、今とは非常に違うということは言えると思います)
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- kounotori3
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養子縁組の理由として考えられるのは 1)生みの親側に経済的理由で育てられなくなった 2)子供に恵まれない人の希望に添って養子に出す 3)夫婦の離婚で養子に出す 4)夫婦間に子供が出来ないと諦めて養子を貰った後、子供が出来た時は養子縁組の解消も起こります 5)養父母が死亡又は離婚の場合も解消することになるでしょう
お礼
ありがとうございます 参考になりました
お礼
ありがとうございます 思っていた以上の回答で 感謝します 室生犀星の書を読み 時代に触れたいと思います