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皇族より偉い臣下

皇族の身位に『王』っていうのがありますよね? そこで質問なんですが、「正四位の王」と「正二位の臣下」ってどっちが偉いのでしょう? 皇族だから「正四位の王」のほうが偉いのでしょうか? それとも、臣下とはいえ位階の高い「正二位の臣下」のほうが偉いんですか? できれば、情報源もお教えください。(ウェブサイト、書籍や論文、○○という専門家から聞いた、など)

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回答No.4

律令制の原則としてですが 「君に事(つか)へて功を積み、然る後に爵位を得て然る後に官を受ける」 と官位令集解にもあるように、まず位階を受けることから始まるんですね。 その位階を受けるために律令官人機構においての実績をつむべく公務を担い、やがて勤務評定が行われて位階が定められる(選叙令十四叙舎人史生条など) そのような背景の中で五位以上を勅授、六位以下~八位・外七位以上を奏授、それ以下を判授とし、官人の成績考課は毎年太政官に送られます。それらは式部・兵部の二省に送られ勘考され、それに基づいて五位以上については太政官で天皇に奏し裁定を受け正式に叙任という形ですから、制度的には公平とされております。 ですから原則としては、天皇の裁定による位階は優先されますので「正四位の王」と「正二位の臣下」では「正二位の臣下」の方が上になります。 そして後には、蔭位制などを利用して高位高官が世襲されてゆきますからね、勅授とは考課令の規定とは別に恣意的に位階を授ける部分はありました。現実として天長八年(831年)嵯峨天皇皇子・源信二十二歳でいきなり参議に名を連ねますから、皇親というアドバンテージは相当のものです。 ただし選年の位階に限れば天皇の裁可でしょうからそこは尊重されていたでしょう。 そのあたりは安田政彦『平安時代の皇親の研究』吉川弘文館に詳しいですよ。

YJY3
質問者

お礼

ありがとうございます。 私がこの質問を思い付いたきっかけは『戦前・戦中の皇族が軍隊に入っていた』という話です。 皇族とはいえ、入隊した途端に“大将”やら“元帥”やらになれたわけではなく、やはり低い階級の仕事を経験していたそうですね。 しかし、だからといって、「高い階級の非皇族」が「低い階級の皇族」より“偉かった”とは思えません。 非皇族の軍人は、自分の部下に皇族がいたら、部下であろうとほとんど敬語で接していたのではないでしょうか。ましてや暴力なんて絶対にふるわなかったでしょう。 皇族は危険な任務からは外されていたでしょう。それに、いよいよとなれば、「非皇族である上司」が身を挺して「皇族である部下」を守るくらいの覚悟はあったのではないでしょうか。 これらのことは、 建前上は、皇族は「より高い階級の非皇族」より下だが、実態はそうではない。 …って話ではなく、建前からしてすでに『皇族はどの非皇族よりも偉い』だったんじゃないでしょうか? だって、上で書いたようなことに反したら、公然と責任を問われると思うのです。 ちなみに、華族軍人に対する優遇措置は無かったと聞いています。 そこでこの質問をしたわけです。 今更こんな事を書いてすみません。これは質問をした時に書いておくべき内容でした。 お答えいただければ幸いです。それから、できれば親王についても――親王よりも“偉い”王や臣下は存在しうるのか――知りたいです。 失礼しました。

その他の回答 (5)

回答No.6

昔山下清という画家が、兵隊の位でどのくらいえらいと聞いたという話し(事実は知りません)を思い出しました。 > 「高い階級の非皇族」が「低い階級の皇族」より“偉かった”とは思えません。   社長や首相、大統領が、父や祖母をどう扱うかということを尋ねているのではないでしょう。 叔母と伯父とどっちがえらい。義兄と隣のお姉さんとどっちがえらい。ダイエーの社長とヤクルトの会長とどっちがえらい。私と父の秘書とどっちがえらい。 厚生大臣と皇太子とどっちがえらい。王制の下で王と王母とどちらがえらい。天皇と上皇でどちらがえらい。 えらいって、何を質問していますか。 徳川時代に新井白石という人がいて、旗本で政治家ですが、学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐で、詩人で多くの漢詩もつくったえらい人です。従五位下で、本丸寄合=無役の旗本なので、御用部屋に入も入れない地位でしたが、大きく政治を動かし、宮家の関係では、三宮家だったものを、閑院宮家を創設させました。 http://chushingura.biz/p_nihonsi/episodo/101_150/123_01.htm えらいってなんでしょう。   光孝天皇の第二皇子是貞王は、源姓を賜与され臣籍降下し源是貞となり、その後皇族復帰が決定されて光孝天皇の第二皇子として四品親王に叙され、またその後、左近衛中将や大宰帥を歴任し三品親王になっています。  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AF%E8%B2%9E%E8%A6%AA%E7%8E%8B 大宰帥は従三位相当の官職です。四品は従三位に相当する格式扱いなのでしょう。  http://ja.wikipedia.org/wiki/Template:%E5%AE%98%E4%BD%8D%E7%9B%B8%E5%BD%93%E8%A1%A8_%28%E9%A4%8A%E8%80%81%E4%BB%A42%29 一品の家令は従五位下、二品の家令は正六位上、三品の家令は従六位上が就職?したそうですから、主である宮はその叙位よりも上の扱いであることは間違いないです。しかしその子がどいう叙位を受けるか無位になることも十分にあるのですから、位の上下はなんともいいようがないでしょう。社長の息子や娘が、総務部長より格が上という取扱原則はないのですから。   格式扱いで上位だとえらいというように考えるなら、それはそれで構いませんが、軍隊でも大将、中将などの位と、司令官などの指揮権や権限を行使し、色々な会議や機密にタッチできる扱いを受けるか等とはまったく別です。

回答No.5

あの… 「教えてgoo」でも「yhoo知恵袋」でもそうなんでしょうが、歴史に関して様々な時代を網羅的に回答する人はいますが(僕もその傾向がある)基本的には得意な時代ってあるんです。 僕の場合は大和朝廷~平安前期といった、古代とよばれる時代を中心に回答したいなと思っています。ですから律令制のその後という意味で、ある程度カバーできる部分があるのかな?と思い回答させていただいただけでした。 質問者様が望む回答範囲は、僕の得意とする時代と背景が違うので、詳しいことが僕にはわかりませんので、できれば質問しなおした方がよい回答に恵まれると思います。 少なくとも僕は兵隊さんのお話には、正直くわしくないです<m(__)m>

YJY3
質問者

お礼

曖昧な書き方をしてすみません。 兵隊のことを聞きたかったのではありません。兵隊のことは、『例』として挙げたのです。 別の例を挙げるなら、 仮に今、秋篠宮文仁親王がX社という民間企業で“係長”として働き始めたとしますよね? でもそれを理由に、X社の“部長”は秋篠宮より偉い、とは言えないですよね? つまり、皇族には「皇族であること」自体による“偉さ”があり、それは、他の基準から見た偉さ(軍の階級、会社のポストなど)よりも『本質的』と見なされることがあるということですよね? そこで思ったんです。「位階」と、「皇族と臣下の別」とでは、どっちが『本質的』なんだろうか? というふうに。 重ね重ね申し訳ありません。

  • tanuki4u
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回答No.3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A0%E4%BD%8D%E3%83%BB%E4%BD%8D%E9%9A%8E%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7 大宝律令における位階制 奈良時代くらいは、皇族が政治に参加するというのがあったけど、平安時代以降は基本的に政治参加はないみたいですね。

  • tanuki4u
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回答No.2

No1の補足 一品親王 で ≒ 一位 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%93%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B 一品~四品につけない 王 でしたら 単に 位 で決着です。 No1の例は、親王でも 摂関家当主より下とされた 江戸時代の実例です

YJY3
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 では、四品親王と「正二位の王」は、どっちが偉いのでしょう? また、四品親王は位階でいうとどのくらいですか? それから、無品親王についてはどうでしょうか?

  • tanuki4u
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回答No.1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E5%8F%B7%E4%B8%80%E4%BB%B6 江戸時代の尊号一件事件 光孝天皇の実父は「親王」でしたが、宮中の席次が 天皇ー摂関家ー親王 となっていた。 これでは いやだというので 実父を上皇にしようとしたが、幕府の反対で実現できなかったという事件。

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