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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人の良心)

日本人の良心と国家間賠償

このQ&Aのポイント
  • 「昭和史20の争点」(秦郁彦編 文春文庫)によると、日本の戦後補償はドイツに及ばず、ドイツでは良心に基づいた補償をしていないことが明かされている。
  • 日本は国家間の賠償で決着させたため、戦争被害者個人には不満が残っている。また、日本では問題が国内から持ち出され、慰安婦問題も国内で問題化した。
  • しかし、実際には日本国内にも多数の日本人従軍慰安婦が存在し、彼らは無視されてきた。このことから、国家間賠償で決着させたにもかかわらず、日本人の良心は国内で問題提起されたのだろうか。

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  • amaguappa
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回答No.19

日本における共産主義の知性というべきマルクス経済学者の森嶋通夫ですが、さっと、岩波から森嶋が出ててくるとは、ましゅまろさんはすごいですね。 引用された部分からでは森嶋の思想の全容はわかりませんが、 この部分は、平和的競争というべき暗闘のもとに事務軍人や事務政治家が入れ替わるばかりでやってきた日本への警鐘であると読みます。 わたしにはフランス人の民俗・民族社会学者の友人がいますが、彼らは日本という国は面白いと言い、政治から目が離せないと言います。クーデターもなく政治家がころころと変わりながら民衆がそのことに冷ややかで、先進国としての体制を維持発展してきていることが、彼らから見れば驚愕なのですね。もちろん政治学者なら面白がったりしないでしょう。西欧近代型の政治そのものが未熟だと感じて肩をすくめることでしょうね。 まさに森嶋の指摘の"和"の良し悪しは、見る角度によりけりになってしまうのですが、たぶん、森嶋の論の方向は、より合理的な競争が可能になるよう、構造的な解体や転覆を経てなおかつ独裁にならない、実力行使の闘争とバランスを求めるものかなと思います。経済分野は実際そのように動いていますでしょう。 この"和"をピックアップして慰安婦問題にからめると、けっこう水面下の駆け引きの問題が浮上してきますね。国際関係の平和的処理という名目で、金の流れや権力の流れに目配りの利いた事務が、慰安婦問題を形成してきたとみることもできるでしょう。森嶋が呼吸するように浴びたイギリスの政治からすれば、未熟な外交カードであるということになりそうです。 ここが日本の左派のねじれたところで、"生ぬるい左派"は"和"に与しているという、「面白い日本」の見取り図でしょうか。 こうしてみると二つの"良心"が浮き彫りになってきたかにみえます。 日本の戦後民主主義における総括つまり軍国日本の徹底批判が、自己批判であるためには、責めをおこなうところの他者が明らかでなければならないという心情、  (恥、暗闇、隠蔽を、清明に対置する概念として重んじた文化背景) それから、安保が障壁となりつつ、アジアでの関係修復と経済バランスに配慮して隣国感情を平和に処理したいという心情、  (カリスマの意思や判断を持たず、国家の意思もあいまいにし、国民もまとまった意思を示さず、事務方が後手を打ったり水面下の調整をはかったりするので、外向きの顔は作っているが、内向きの顔は作っていない) ところで森嶋は、リベラルの社会学者、関嘉彦と防衛論争を繰り広げたことがあったのですよね。 わたしは読んでいませんが、ましゅまろさんはお読みになりましたか? せっかくこんなきっかけをいただきましたので、そのうち読んでみようと思います。

noname#161274
質問者

お礼

amaguappa様、このたびのご回答は格別に参考になりました。 「日本の左派のねじれたところで、"生ぬるい左派"は"和"に与している」は、読み解くカギのようですね。 また、「二つの"良心"」についてもまとめて下さり、あらためて感謝致します。 そのうちの後者にあたる >安保が障壁となりつつ、アジアでの関係修復と経済バランスに配慮して隣国感情を平和に処理したいという心情 については、森嶋は歴史の共同理解と東北アジア共同体の設立を主張しています。 海外が日本に期待しているのは経済であって政治ではない。 G7のメンバーとして一流国の仲間入りをしているつもりでも、その中の重要なメンバーではない。 政治がダメなのに経済でもっているに過ぎない。 政治がダメでも国民が時勢に目覚めていなくても、国自体が経済的に貧困でないことは充分あり得る。 明治維新の際にはその階級差や地方差が世を憂うる志士を輩出し、彼らの奮起が日本を牽引し、結果として社会の歯車が勢いよく回転した。 一方現代は高学歴総白痴化という平等主義の弊害により、牽引車たるエリートの欠如が深刻である。 まして経済的に恵まれているほどに人々は安逸を打破しないであろう。 いずれ単なるケインズ型の政策などではどうにもならないほど日本の事態は深刻になり没落する。 ゆえに歴史の共同理解と東北アジア共同体が必要なのである。 (さもなくば日本は孤立する。) >関嘉彦と防衛論争 いいえ、拝見しておりません。 ですので、このたびのご教示をとても嬉しく思います。 経済学者らしく森嶋は周辺国との経済協力や交流でもって「防衛」し、リベラルな関は共産主義に対する不信が先立ち、日本の自衛、補足としての日米同盟による「防衛」を主張したのでしょうか。 未だに色褪せない論争のように察せられるのは、共産主義も中華思想主義も、主義思想に基づく拡大拡張していくイメージがあるからでしょうか。

noname#161274
質問者

補足

雷による停電があって以来、ルーターの故障やらトラブル続きですっかりお礼が遅れてしまいました。すみません。。

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その他の回答 (25)

回答No.16

 ★(No.14お礼欄) ~~~  6.についてです。  日本人として、半島に出向いて行くのはいったい誰でしょうか。  政治家ですか。  それとも民間人なら、誰が最適でしょうか。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ 有志です。誰でも行きたいという人が行きます。  ましゅまろさん こんばんは。  ごらんのように たじたじです。  この種の――戦争関連のたぐいの――話題も主題もどうも性に合いません。  ひとりで本を読んでまなんでおこうという気がおこりません。  このような場でまなばせてもらっています。  ありがとうございました。

noname#161274
質問者

お礼

bragelonne様、何度も丁寧にご回答を有難うございました。 >有志です。誰でも行きたいという人が行きます。 承知しました。 ちなみに、bragelonne様は行きたいとお思いになりますか? 渡韓する有志の方々が抱く「行きたい」というその心こそが「日本人の良心」なのでしょうか。。。? >この種の――戦争関連のたぐいの――話題も主題もどうも性に合いません。 はい。この話題も主題もどうも性に合う人なんて、きっといないと思います。 個人の認識の程度がどうあれ、私達日本人がずうっと背負っていかねばならない歴史の問題ですから。 目を背けずに敢えてご回答くださった皆様に私はとても感謝しております。 もちろん、あなたにもです。 本当に有難うございました。

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回答No.15

>交戦権を持たない日本にとって、唯一振える外交上の武器とは言葉にほかなりません。 ドイツが言葉だけで欧州のリーダーシップを握っているわけではなく、立派な軍隊(日本よりは小さいが)と交戦権を保持している現実を直視しましょう。 なぜ、日本だけ、ハンディキャップット・ゲームを強いられなくてはならないのでしょうか?

noname#161274
質問者

お礼

Mokuzo100nenn様、再度のご回答を有り難うございます。 >ドイツが言葉だけで欧州のリーダーシップを握っているわけではなく、立派な軍隊(日本よりは小さいが)と交戦権を保持している現実を直視しましょう。 仰せの通りです。 ただ、息子たちがいる上で申し上げますが、私は何が何でも護憲派ではありません。 「日本だけ、ハンディキャップット・ゲームを強いられなくてはならない」とも思いません。 他の方のお礼で私は岩波の書籍を引用しました。 その内容に納得しかねる箇所もあれど、著者の教育論は読みごたえがありました。 交戦権の権利を行使するに値するリーダーを確実に育成することのほうが先だと思います。いかがでしょうか。

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回答No.14

 No.10です。ご返答をいただきました。  現代史・特に安全保障関係を中心とした国際関係について苦手な人間がしゃしゃり出てしまいました。  ★(No.10お礼欄) ~~~~~   >いいほうに解釈すれば まだまだ省みなければならないことが残っているという感覚が そうさせたのでしょう。まちがったかたちででも。  仰せの内容は、いいほうに解釈すればとありましたので、人道的な見地による日本人の誠実な反省の心と受け取りました。  まちがったかたちというのは、主張が行き過ぎて、結果的に国益にそぐわないという意味でしょうか。  それとも、共産主義などの思想がまずありきで、あくまでその目的化のために「まだまだ省みなければならないことが残っている」かのように活動するという意味でしょうか。  ちょっと伺ってみたくなりました。  前者なら仰せの通り「それは 日本人だからとか何国人だからという問題ではない」のですが、後者なら日本人をもろ阻害しかねない、究極的にはクルド人化しかねないのではないかなと思いまして。  ~~~~~~~~~~  ☆ 前者のつもりでした。そして おっしゃるのなら 後者もからんでいると思われます。  ★ ~~~~   >そもそも《殺し合いに行け》と命令することこそ 反省せねばならないことではないでしょうか?  これは昭和天皇による大詔を指していらっしゃるのでしょうか。  ~~~~~~~  ☆ これは そのように天皇をして行動せしめた周りの人間たちのことでしょうし 全国民のことでしょうし けっきょく全世界の人びとすべてのことだと思います。  ○ 「日本とはどういう国なんだろう」   (第8章 救済案への障害 『なぜ日本は没落するか』 森嶋道夫 岩波書店 p173-179)  ☆ これについて漠然と思ったことをつづります。  1. とにもかくにも欧米流の競争型にもとづく広い意味でのコミュニケーションの場に明治維新で出たからには 植民地行動にも出たでしょうし ドンパチをもやらかさねばならなかった。  1-1. その延長として 慰安婦問題があると捉えるしかないのではないか?  2. 国民の義務として 召集令状を受けたら兵役に就かねばならないということが 認められていたのなら そしてその軍隊の動員に もし慰安所が必要であるというのならば その慰安婦をどのようにかき集めるかは 人の意志をないがしろにしないという自由の命題を前にしては 最重要の問題であるとともに しかもその募集なり連行なりのかき集め方を問題にするだけでは 話が成り立たない。のではないか?  3. 日本人は 明治人以来のこととして どうなんでしょう 果たしてほんとうに欧米諸国と肩をならべて渡り合うために 軍事的にも強国になりたかったのでしょうか? 生きてゆくためにはやむを得なかったのでしょうか。  3-1. 欧米流の国際秩序のあり方・運営の仕方 これがマチガイではないのか?  4. 戦争末期において もし降伏を飲むあるいはその前にもこちらから降参をするとなると 軍部のクーデタが起きて その意味で軍部独裁が成立すると予想され しかもこの動きは 天皇も止められない流れだったと聞かされますが これは どうしてそうなのか?  4-1. 天皇の権限もチカラも それほど弱かったのか? あるいは 天皇は 戦争推進派だったか?  4-2. もともとほんとうに戦争を終えるというシナリオは 持たなかったのか?    5. ◆(森嶋道夫)  先ず日本の基本的社会原理は「和」である。  ◆ さて聖徳太子が17条の憲法で明らかにしたように、集団が和を保つには独裁制が排除され、集団の長は模範的な近代官僚のように振舞わねばならない。  ☆ これは (1) もともと 一階の市民たちが 互いにけんかが絶えないほど仲が良かった。  (2) 聖徳太子は 政敵をたおしてから 市民たちのナラワシに倣って 《和》をかかげた。それは まづ二階と一階との和ということであり 一階のおまえらは われらにさからうな・文句なしにしたがえと言っている。   (3) 同じく二階の面々のあいだでの和としては 二階と一階との和を保つためには・つまりは一階を二階の支配のもとにおさめるためには われわれお二階の面々は いざというとき何を差し置いても一階を治めるために結束をしなければならないと言っている。  (4) 一階から苦情や文句が来ない限りでは 二階において派閥をつくり互いに泥仕合でも何でもいいから人心掌握術を身につけるために絶えず競争をしなければならない。一件落着したら みな和の内にあるのでなければならない。と言っている。  6. 慰安婦であった人たちには 民間の人びとが じっさいに話し合ってなぐさめるしかない。日本人として 半島へ出向いて行くしかない。

noname#161274
質問者

お礼

bragelonne様、重ねてのご回答を有り難うございます。 たしか私の母と同じ御歳と記憶しております。 自ら体験していない戦争、しかもその戦争責任を語り伝えていくことの難しさを痛感します。いかがでしょうか。 4-1.については先の著書にこのように触れてありました。 「事実『昭和天皇独白録』(文藝春秋、1995年)の最後には天皇の結論が次のように書かれている。 「私が若し開戦の決定に対して「ベトー(veto)」したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつたであらうと思ふ。」(同書、文春文庫版、161頁)  同じことを東条もすでに開戦時に述べている。 「此の儘戦争をせず米国の申出に屈した場合には、二・二六事件以上の暴動も起るやも知れず、その際には断乎涙をふるつて之を弾圧する必要があり、之がためには、陸相と警察権を有する内相とを兼任する必要があつたからだ。戦争になり民心が一応落ちついたので、内相を湯沢次官に譲つた次第で、…」(前掲『東條内閣総理大臣機密記録』、478頁)。  以上から天皇も東条も開戦当時に内乱を非常に恐れていたことは明らかである。悪く言えば(特に天皇の場合には)内乱防止のために戦争をしたようなものである。果たして内乱は起こったかどうか、恐らく起らなかった──起こっても鎮圧しえた──と思うが、天皇のように内乱を起こした者が凶暴な戦争を起こし、現実に起こった戦争に数倍する悲惨な戦争が起こったと言い切るのは、勝手な推論(スペキュレーション)に基づく甚だしい自己弁護だと言うべきであろう。  しかしこのことから確実に言えることは、天皇も東条も、あるグループ(陸軍統制派)の支持の下に戦争の決意をしたのであり、開戦が実現していなければ、そのグループは失脚して他のグループ(例えば陸軍皇道派)に──内乱が起るかどうかは別として──覇権を握られてしまうと考えていたのである。そしてトップにある人々は天皇であろうと東条であろうとそのことを確信しており、彼らは自分たちを支持するグループに迎合して、彼らにサービスしていたのである。そういう意味で、彼らは決して欧米的な意味での独裁者ではない。それとはまったく逆である。上が下に迎合していた傀儡(操り人形)たちであったのだ。(p174,175) 2.については、「日本人の良心」にもとづいて日本国内で提起された問題にもかかわらず、自国民である日本人慰安婦への言及を欠いたまま今に至っていることのほうがずっと奇異に映ります。 アジア女性基金のサイトも閲覧したかぎりでは触れていないようですね。 6.についてです。 日本人として、半島に出向いて行くのはいったい誰でしょうか。 政治家ですか。 それとも民間人なら、誰が最適でしょうか。

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回答No.12

韓国ブームを仕掛けた某広告代理店のエライさんのように、 日本には半島シンパが多くいます(もちろん裏でお金をもらって)。 ある者は日本国籍を得た在日の人だし、前首相のように半島系の 資金から献金を受け「たたけばホコリの出る体」になって言いなり の政治家もいます(彼は“外国”のソースだったので騒がれたが、 パチンコなど半島系でも国内の産業由来なら合法的な政治献金 で騒がれない)。 また、日本国籍の在日の人は、完全な日本人として政治や司法、 情報や金融の上層部に浸透して、半島に有利な政策や情報 操作を行っています。 知らぬは平和ボケの日本の若者ばかり、ていう。

noname#161274
質問者

お礼

psytex様、ご回答を有り難うございます。 >知らぬは平和ボケの日本の若者ばかり、ていう。 そのようですね。 若者でない私も大いに平和ボケして、全くお恥ずかしいかぎりです。 >パチンコなど半島系でも国内の産業由来なら合法的な政治献金 で騒がれない そうですね。 この国の政治や思想が国益や国民のために適うものであってほしいと心から願います。 でも、私の抱く考えを偏狭と思う人もまたいるのでしょうね、きっと。

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  • amaguappa
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回答No.11

2です。追記といいますか蛇足ながら、戦後民主主義を牽引した左派知識人とメディアとそれを受け入れた学生および教養市民層という構図が、マシュマロさんにはピンくるものがおありだったとおもうのですが、ここを閲覧している年若い方は疎い方面ではないかと思います。映画でもよくある決まり文句の「総括せよ」なんて聞いたことがない人も多そうです。 慰安婦問題の発端の吉田清治に媒体を与えていたのは赤旗のほかには朝日ですが、極端な意味でなく戦後民主主義の左派の源泉のひとつ、岩波も同時に忘れてはならない存在で、朝日文化人だとか岩波知識人だとかが進歩的文化人と呼び称されていましたし、ご質問の標題どおり、良心的勢力と呼ばれたのですね。戦後民主主義において。 このあたり、コモンセンスとして確認しておいた方がよいのかなと。 先の回答にあります吉本隆明は、こうした左派進歩的文化人を生ぬるいと感じていたようですが、総括のしどころをどこらへんに持ってくるかという論理を吉本隆明に探し出すとなんだか錯綜することでしょうね。わたしなどには、マゾヒズムの程度問題にみえます。

noname#161274
質問者

お礼

amaguappa様、重ねてのご回答を有り難うございます。 このたびも大いに参考になりました。 先のご回答に対するお礼の中で、私は「彼等の主張を理解し相応に評価出来ない」と述べました。 その際に意識していたのは大江健三郎です。 生前の三島が彼を高く評価していたのは周知の通りで、着目するに値する何かがあるのだろうと勝手に思っています。 でも、どうも、というか、かなり苦手です。 もしかすると、はるか遠い旅先で手にしたほうが少しは理解に至りやすいのかもしれません。 日本の旧いもの全てを礼賛する必要などどこにも無いと思います。 そのなかの恥部と思しき何物かに抗うことが日本や日本の国民に対する彼の使命であり、相応に影響を及ぼしてきたことでしょう。 その影響がいったいどれだけ今の日本に関わっているのかなと思いまして。 思えば私が小さかった頃は、実家で朝日新聞も購読していました。 天声人語のほうじゃなくて、4コマ漫画のほうです。うっすら憶えているのは。 で、まともに新聞を読める学生の頃には経済新聞だけになっていました。 知識人とは対極にあるような実家でしたが、何か心境の変化があって、ある時期を境に購読を止めてしまったみたいです。 4コマ漫画の連載終了が原因なら解りやすいものを。。 >総括のしどころをどこらへんに持ってくるかという論理を吉本隆明に探し出すとなんだか錯綜することでしょうね。わたしなどには、マゾヒズムの程度問題にみえます。 承知しました。心得ます。

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回答No.10

 こんにちは。  もし戦争のことすなわち戦後処理の問題を  ★ 日本人の良心  ☆ として捉えるのなら――つまりは そもそも人間の《良心》の問題として捉えるのなら―― 法律も条約もあるいはこれまで成されたいっさいの処置がいかにあるかにかかわらず そもそも《殺し合いに行け》と命令することこそ 反省せねばならないことではないでしょうか?    世界中の人びとがあつまって 話し合いをすればよいでしょう。  ★ 国家間賠償で決着させたにもかかわらず、あえて日本国内で問題提起することで示した「日本人の良心」とはいったい何だったのでしょうか。    ☆ ですから いいほうに解釈すれば まだまだ省みなければならないことが残っているという感覚が そうさせたのでしょう。まちがったかたちででも。  それは 日本人だからとか何国人だからという問題ではないということだったのでしょう。  日本人を裏切ったでしょうが にんげんを裏切りたくなかった。というような。

noname#161274
質問者

お礼

bragelonne様、ご回答を有り難うございます。 >いいほうに解釈すれば まだまだ省みなければならないことが残っているという感覚が そうさせたのでしょう。まちがったかたちででも。 仰せの内容は、いいほうに解釈すればとありましたので、人道的な見地による日本人の誠実な反省の心と受け取りました。 まちがったかたちというのは、主張が行き過ぎて、結果的に国益にそぐわないという意味でしょうか。 それとも、共産主義などの思想がまずありきで、あくまでその目的化のために「まだまだ省みなければならないことが残っている」かのように活動するという意味でしょうか。 ちょっと伺ってみたくなりました。 前者なら仰せの通り「それは 日本人だからとか何国人だからという問題ではない」のですが、後者なら日本人をもろ阻害しかねない、究極的にはクルド人化しかねないのではないかなと思いまして。 >そもそも《殺し合いに行け》と命令することこそ 反省せねばならないことではないでしょうか? これは昭和天皇による大詔を指していらっしゃるのでしょうか。 あま様が岩波をご教示下さったので、最近の日本の政局の参考程度に、100均古本市で得た岩波書店の書籍から転載してみようと思います。 長くなりますが皆様どうかご容赦下さい。 (あなたのライフワークである「和」についても多少触れてありますので。。) 「日本とはどういう国なんだろう   本書を執筆している間、私は日本とはどういう国なのかと考え続けた。もちろん主題は、2050年に日本はどうなっているかだが、日本をどういう国と見るかで、予測も影響され得るからである。    私は日本は独裁者の国であると思う。しかしそれは前述したように、ヒトラーやムソリーニのように自分用の体制に、それまでの国をつくり変えてしまうという独裁者支配の国の意味ではない。いくつかの集団が国内に存在して、互いに暗闘を繰り返し、その内の一つが勝利を占めて独裁を勝ち取った国、いわば競争的独裁制の国なのだが、どの集団のトップも独裁者でなく集団内競争の勝利者に過ぎない。スターリンは党内の競争者を倒して独裁者となった典型的な例だが、彼の党は平和的競争的に他の党を倒して独裁的な党になったのではなく、革命が党に独裁的地位を付与したのである。だから東条は似ているスターリンとも異なっている。  だから西欧の人達によって顕著に独裁者と見られた昭和天皇や東条英機は、東欧や西欧の意味での独裁者ではない。東条は自分の官僚的才能を駆使して、独裁集団となろうとする集団の一つで地位を昇りつめた人であり、集団間の争いはクーデターなどを常にちらつかせたとはいえ、一応平和的な競争の範疇のなかに入れることができる。また昭和天皇はその血筋ゆえに独裁集団に眼を付けられて、彼らの言う通りに行動させられた人である。・・・ ・・・ここで日本的支配形態である競争的独裁制について説明しておこう。先ず日本の基本的社会原理は「和」である。それ故競争的独裁制もまた和と両立する(あるいは和の上に建てられる)のでなければならない。その上に社会は競争的独裁制であるのだから、いくつかの集団ないし派閥があり、そのうちの一つが他に対して独裁的に振舞わねばならない。しかも和が保たれねばならないのであるから、独裁的集団の中で、リーダーが選ばれる仕組みは和の原則に則っていなければならない。  さて聖徳太子が17条の憲法で明らかにしたように、集団が和を保つには独裁制が排除され、集団の長は模範的な近代官僚のように振舞わねばならない。すなわち集団内では官僚制支配が行なわれる。統制派の頂上に立った東条がすぐれた事務軍人であったのは、このような理由に基づく。そしてたとえ軍務軍人でも、トップである以上集団内で絶対的権限をもつ。彼と異なる意見を持つものは捜し出されて、和を乱すものとして排除されるのである。和の精神は、集団の保存装置として異分子の摘発、粛清、処分を行なう機構の存在を正当化する。と同時にトップは政治的イノベーションを提案する「切れ者」を嫌う。  このように和は日本の進歩や発展のために障害となるのである。日本は和の気風を一掃することに成功しなければ、政界に新風は吹かず、新風が吹かなければ、社会も経済も動かない。それだけではなく、窮極的には和の原理に基礎付けられる摘発、粛清、処分の機構が──東条がそうしたように──他の集団に所属する者にも適用されるなら極めて危険である。彼が内務大臣を兼任することの重要性を強調したように、特高、憲兵隊的支配を国全体に行なったのは、競争的独裁の明瞭な一側面である。  官僚的支配に対立するものは伝統的支配を別にすれば、カリスマ的支配である。近代的社会では、すぐれた企画力こそがカリスマの源泉である。すぐ後に述べるように、西欧の民主主義政党政治では、総選挙において人民は公約と呼ばれる政治的企画ないし政治プログラムに対して票を投じるのであるから、党首は党の企画に基づくカリスマを身につけることになる。最近の日本の政治家にカリスマが殆どないのは、党が企画力を持っていないことの表れであり、勲章と軍刀で飾り立てているのに東条にもカリスマがないのは、彼がきちきちと仕事をはかすだけの人だったからである。   ここが日本の競争的独裁制と西欧の競争的政党政治の相違点である。民主的政党政治もまた徒党政治であり、徒党をなす諸グループ間の闘争の形で政治が行われている。両者の違いは、まず第一に各集団のリーダーの選び方にある。イギリスでは党首候補者はそれぞれ自分の政治プログラムを提示して、党員がプログラムの選択をする。問われるのは、プログラムをつくる能力であって、日本のような官僚的能力とか、政党資金集金力とかではない。そして党首が決まれば、党員は彼のプログラムの下に結集し、総選挙で他党のプログラムと争うのである。  そういうプログラムを呈示せずに選挙にのぞむ日本の政党は思想的に貧困である。同様に日本の昔の首相選び──元老ないし重臣の建言で天皇が選んだ──も無責任であった。戦争直前に東条を首相にする決心をした天皇は「開戦後、もし戦況が絶望的になったならば、貴下はどのようにして終戦をするか。その案を述べよ」と東条に戦争全体のプログラムについて質問したのであろうか。もしそうでなければ極めて無責任な人選の仕方だといわねばならない。  天皇は近衛を何回も首相にしている。近衛は、戦争は早期に解決させるといい続けたが、いつも実現はしなかった。ましてや今度は米英という世界の最強国を相手とする戦いである。勝てない場合に、どうして終戦するかの問題は、内乱が起るかどうかの問題よりもずっと優先すべき問題である。私は、選んだ天皇も選ばれた東条も戦争プログラムの問題を真剣に考えたことはなかったと確信する。彼らは開戦をする資格のない戦争企画者であったのだ。  東条に戦争をどう始末するかの案がなかったと同様に、山本五十六にも、その他すべての陸海の将軍提督にも戦争計画は全くなかった。彼らは合戦(バトル)を論じることができても、戦争(ウォー)を論じる能力はなかった。いまの政治家に政治プログラムがないように、日本の軍人には戦争プログラムが全くなかったのである。私は2050年の日本が明かるいことを心から希望するが、このように考えるがゆえにその道は遠くて暗いと言わざるを得ない。  日本の読者は、本書での私を激しすぎると思うであろう。しかし私は、外国人が日本の政治を見れば、「わからない国だ」と結論するに違いないと確信する。誰もわからない国を先進国だとは思わない。この最後のセンテンスはわかっていただけるだろう。  日本の競争的独裁制とイギリスの政党政治の違いは明白である。イギリスでは政党間の勝負は各政党の提案する政治プログラムの優劣で決まる。他方日本では派閥の強さは、彼らがもっている総合実力(おどす力──テロリズムやクーデターをちらつかせて人民を震え上らせる能力をも含む──や集金力や人心買収力その他に依存する)で決まる。もちろん派閥に政治プログラムがあればそれも実力計算に入れられるが、どの派閥もプログラムはないから、実力はプログラムに依存しない。表面上は政党政治をしている戦後の日本でも、政党間の競争は戦前同様、おどしの力を含む総合的実力で決まっている。イギリスの政党の党首はその党のプログラムに最も貢献している人がなるが、日本の党首は事務軍人や事務政治家である。」(第8章 救済案への障害 『なぜ日本は没落するか』 森嶋道夫 岩波書店 p173-179)

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回答No.9

ドイツは今でも売春が合法であり、歴とした職業なので、「慰安婦」という言葉に、女性本人も後ろめたさを感じないのでしょう。 韓国は姦通罪が生きています。合意で従軍慰安婦になったとなれば、夫が訴えれば親告罪が成立します。強姦ならば女性の非はなくなるという発想でしょう。 日本にとっての最大の不幸は、日本国内に日本を誹謗する日本人がいることです。戦時中は共産思想が弾圧されました。敗戦後には戦争を推進する立場をとっていた学者や文化人が一斉に公職から追放され、代わりにそれまで冷や飯を食わされていた共産思想をもった革新的な言論が主流になってきました。言論の自由とともに、日本を敵に譲り渡すかのような中傷が広まってしまったのです。 村山談話や河野談話が象徴ですが、自虐的な発言が「日本人の良心」だと思っていた日本人が多かったのです。意味もなく「遺憾」という言葉を連発したため、諸外国に言質を取られてしまったのです。

noname#161274
質問者

お礼

princelilac様、ご回答を有り難うございます。 >日本にとっての最大の不幸は、日本国内に日本を誹謗する日本人がいることです。 >意味もなく「遺憾」という言葉を連発したため、諸外国に言質を取られてしまったのです。 複合的要因で従軍慰安婦を始めとする諸問題が今に至っていることが理解できます。 仰せの内容全てが参考になりました。 これからいったいどうなるのでしょうね。 前半部分でドイツの合法化された売春や韓国の姦通罪に言及なさっていただいたので、あらためて同著よりナチス・ドイツの慰安婦の実態について更に引用抜粋してみます(詳しくは著書をどうぞ)。 少なからず「良心」を抱く人達がいたにもかかわらず大きな反響が無かったのは何故か。 法制度による意識の問題以外にどんな理由が挙げられるでしょうね。 「ドイツには、国防軍とは別に、ナチス強制収容所の内部にも強制売春宿があった。この問題を調べて本にまとめたクリスタ・パウルさんに、筆者はハンブルクで会って取材した。パウルさんは、アウシュヴィッツを訪れ売春宿があったことを知った。その後、ベルリン在住の日本人女性らと知り合い、日本で慰安婦が問題となっていることに関心を抱いたのも、本を書いた動機のひとつだったという。「ナチスが自分の国の人間に強制的に売春をさせた問題にかぎって研究しました」と語った。推定で少なくとも3万4000人あまりの女性が、ナチスによって収容所内で強制的に売春をさせられたという。  著書が発売されたあとドイツ社会からどんな反響があったかが、筆者には興味があった。「市民団体や行政からのアプローチはまったくありませんでした。被害女性の救済運動はなく、支援グループもありません。」・・・ ・・・’95年11月、パウルさんも協力して、30分のテレビ・ドキュメンタリー「大いなる沈黙」が、公共第一テレビ(ARD)で放映された。「日本では同様のことが政治問題化しているのに、ドイツでは世間の注目を集めなかった。強制収容所に売春宿があったことを否定する者たちさえいる」   番組はこう総括し、告発した。視聴者は200万人近かったと推定されているが、大きな反響はなかった。電波メディアでこのテーマの特集が行われたのは、おそらく最初で最後だった。 強制売春の被害者として、ドイツ政府から補償を受けた例は一件もない。   強制的に売春をさせられたのは、主にドイツに侵略されたポーランドなどの女性だった。しかし、どの国でもこの問題はクローズアップされていない。   ポーランド紙『ジェチュポスポリタ』論説委員のコウォジェイチク女史は、ポーランドで問題とされない理由を筆者にこう語った。  「6年もの間、毎日毎日、残虐行為が続きました。強制売春はドイツ人による迫害のほんの一部にすぎません」(p243-245)

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noname#194996
noname#194996
回答No.8

憎しみによる闘争はお互いの体力が尽きたら自然に収束し、平和が実現することもありますが、精神的な闘争では、そういう限度がありません。したがって幼児的な争いでは忘れることがない限り互いにズタズタになって、共倒れになってしまいます(どこかでブレーキをかけねばならいと思います)。これにブレーキをかけるのは一般には羞恥心とか、大人の価値観とかいうものだろうと思いますが、とことんお互いの恥を突き詰めようという良心派の日本人は、マゾヒストとまではいいませんが、やはり精神や思考力にバランスを欠いたMADサイエンチスト的な面があったのではないでしょうか。

noname#161274
質問者

お礼

komaas88様、ご回答を有り難うございます。 >憎しみによる闘争はお互いの体力が尽きたら自然に収束し、平和が実現することもありますが はい、仰せのような報道が先月ありましたね。 提案者は90歳だそうです。 「英の反日退役軍人が和解式典」 sankei.jp.msn.com/world/news/120812/erp12081223360004-n1.htm このような戦争の記憶がまだ世界各地に残っていることを弁え、またこれからも留めておかねばならないのでしょうね。 (言うは易しかもしれませんが。。) >とことんお互いの恥を突き詰めようという良心派の日本人 >精神や思考力にバランスを欠いたMADサイエンチスト的な面 敗戦後の反動に由来するものなのでしょうか、日本人の恥部をとことん突き詰める「日本人の良心」が往々にして独善的で偏った反日的な言動に映るということですね。 そうなのかもしれません。 参考になりました。

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回答No.7

日本人の良心がもんだいなのではなくて、韓国人の欲と悪意が問題なんだと思う。

noname#161274
質問者

お礼

Mokuzo100nenn様、ご回答を有り難うございます。 仰せの韓国人の欲と悪意については、確かに、いえ、大いに問題アリだと私も思います。 従軍慰安婦の少女の像を遠くアメリカにまで設置するなんて、これみよがしに日本の評判を貶める悪意にしか映りません。 でもそれって「日本人の良心」が煽ったことが発端でもあるわけで。。 日本人にとっての韓国人の欲や悪意というのは非常に理解し難いものですが、当の韓国人にすれば、歴史的に大国の間で生き抜いてきたしたたかな智慧なのでしょうね。 国際社会でも彼等の巧みな言葉遣いや宣伝は好都合に効果を上げているように映ります。 翻って、とりわけ資源に豊かなわけでも無く、交戦権を持たない日本にとって、唯一振える外交上の武器とは言葉にほかなりません。 今はまだ経済的な下支えがありますが、将来もそうとはかぎりません。 これからの若者たちには、言葉の重みを弁え韓国人並みにこの武器を最大限に駆使することで、したたかに生き延びていってほしいと願うばかりです。

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  • foosun
  • ベストアンサー率12% (13/104)
回答No.6

つうかねえ この問題には賛否両論があってしかるべきなのに、中立派がいないのは愚衆がナショナリズムに操作されてる証拠だと思う

noname#161274
質問者

お礼

foosun様、ご回答を有り難うございます。 この問題における賛否両論ですね。 仮に人道的な見地による良心の発露としても、日本人従軍慰安婦がまるっきり無視されてきたということが私には不思議でたまらないのです。 日本人はどうでも良いという考えであれば、それこそ変というか。。 中立派がいないのはどうしてでしょうね。 この件に関する中立派とは、具体的にどのような主張になるとお思いになりますか。 よろしければご教示願い上げます。

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