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「資産上限法」という法律を設けてはどうか?
- 現代の資本主義社会は「自由競争」により発展を遂げてはきましたが、貧富の差という副作用も引き起こしてしまいました。競争結果が無制限に設定されているという点に問題があると考え、資産の上限を設けることが貧富の差是正に繋がるのではないかと考えました。
- 過去の歴史は、貧富の差が原動力となり革命や反社会的活動が起こる事が多かったです。このまま貧富の差が放置されると民衆の不満が頂点に達し、また同じような事態が起こる危険性があります。
- 現在の政策は「下」の方に注意が向けられており、経済的に不利な人々のための支援策が実施されていますが、根本的な解決には至っていません。貧富の差の根源が「上」にあることを認識し、資産の上限を設けることで解決に繋がる可能性があると考えました。
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#5です。お礼ありがとうございます。 いくつか補足したいとおもいます。 さて、私は零細企業の経営者をやっています。全然儲かっていませんので、私の給与は従業員とほとんど代わりがありません。実例で言うと、最高の給与を払っている従業員の1.3倍が私の給与です。 そしてその従業員は新築住宅が購入できるだけの給料をはらっています。場所は横浜市です。 さてこの点を踏まえて 果たして、本当に、人一人が働く労働として数十倍、数百倍の差が付くのでしょうか。それによって生じている貧富の差は本当に公平な(ただ働かない人が貧乏になるというような)ものでしょうか。もしそうなら、病気になるくらい死に物狂いで働いても決して金持ちにはなれない人がいるのはなぜでしょうか? に答えるとすると、 はい、差がつきます。たとえば同じ会社の労働者であっても、たとえば世界をひっくり返すような特許を開発した人、素晴らしいアイデアを考え付いた人、などは報酬が高くなってしかるべきです。 例で言えば前者は青色LEDを開発した中村修二氏、後者にはiモード絵文字を開発した栗田穣崇氏が居ます(Iモード以前に絵文字はありましたが、栗田穣崇氏の開発した絵文字が爆発的普及を呼んだことは間違いありません) 当然のことならが、これらの仕事は一朝一夕にできるものではありませんし結果として社会を豊かにしています。こういう人たちに払う報酬はたとえば印税や特許権の支払を考えれば、高くなるのは当然です。 また先ほど書いたように私の給料は最高報酬者の1.3に過ぎません。しかし会社代表ですから、銀行に借金をしてお金を借り、資本を投下する形で従業員を雇用しています。 このとき売上が落ちれば、借金を返すことができなくなりますので、連帯保証をしている私は同時に破産します。 このとき従業員は雇用保険で守られますから、仕事がなくなるリスクはあってもそれ以上はありません。このようなリスクの差を考慮したときに1.3倍程度の給料でリスクを取って会社を経営し、従業員を集めるようなことをするでしょうか。 私の会社の従業員は3人ですので、ざっくりと平均してひとりの売上から1割程度いただいてるとして、それが1万人雇用する会社であれば、平均給与の1割(2万ぐらい)×1万人でその経営者の給与は2億円という計算になります。 その人がいただける報酬はリスクと仕事の質、社会に与える影響(原則に売上の多少で評価される)で判断されるべきです。 そうしないで「もらえる報酬と資産に上限を設ける」ということであれば、だれもリスクをとって会社を立ち上げることはしなくなるでしょう。あっても小規模な商店ばかりになります。たとえば飛行機会社のようなものは誰も立ち上げなくなりますから、雇用という面で大きなダメージが生まれることは容易に想像できます。 >金持ちは寝てたら金が増えますか? これはその通り、金があるだけで増やす方法があります。 >金持ちは金を増やすために事業をしてるでしょう。 貧乏人はその事業のもと働いて生活をしているんでしょ。そういう事業をしてる金も違いなくなれば、先に貧乏人がくたばるだけのはなし。 確かに、富裕者が資金を出し、会社を設立、運営し、その下で労働者たちが賃金を得ていることは事実です。しかし、その過程で、資本者たちが労働者たちの上前をはねることによって搾取しているというのも事実です。 「搾取」という言葉が出てきましたが、本質を見ることも重要です。労働者が働いてその上前をはねるためのそもそもの仕事は誰が作ったのか、ということです。 資本家が会社を設立し運営しなければそもそも労働者が働く「仕事」そのものがありません。仕事が無いのに搾取はできませんが、「仕事」を作った資本家は当然投資した資本を回収する必要がありますし、また継続的に(銀行から借りてでも)資本を投下し続ける必要があります。 限度を超えた場合は「搾取」ですが、そもそも労働者の上前をはねるのは当然の権利でもあります。 これが許されないなら、誰も仕事を創出しないでしょう。私が言いたいのはここであり、まさに現代の日本はこの状態である。ということです。 >資産の上限を設けてしまえば、そのような搾取をしてまで金を集めようという貪欲な者がいなくなるので、より公平な社会を見込めます。 はいそのとおりですが、同時にだれも仕事そのものを作らない(リスクをとるのが馬鹿馬鹿しい)ので結局国民全員が貧乏になります。なぜなら外国との競争に負けてしまうからです。 >アメリカを中心とした資本主義社会のほとんどの国々がこのような法律を採用するなら・・ 少なくとも今のアメリカは絶対にこういう「社会主義」的な政策は採用しません。民主主義であっても、いや民主主義だから不可能でしょう。 なぜならオバマ大統領の国民皆保険制度ですら、2010年に成立したものの憲法裁判所で判断する訴訟が起こされ、今年(2012年)にようやく合憲の判断がでるぐらい抵抗が強いからです。 それでもアンケートによると56%の人が国民保険制度に反対していますので、民主主義の原則で言えば、アメリカは絶対に財産を制限することに賛成しないといえます。 (国民皆保険制度は財産権を制限することになります。つまり個人の給与の何割かを「必ず」保険費用にし、法人の利益の何割かを保険費用に当てることを求めているからです。アメリカ人の考え方では、自分が望んで保険をかけるなら、今でも民間保険はあります、それで保険をかけないで自分で使うならそれもいいのです。つまり自己責任で自由ということです) ですので、日本以外の先進国が採用することはほとんどありえませんし、他の国が行わないのに日本だけ行うのは貧困を呼ぶだけです。 >>金持ちは寝てたら金が増えますか? 現実には、現代の「錬金術」とも言えるシステムによって、金持ちが儲ける仕組みがあります。 この点だけは質問者様と同感です。ただし前提として「働いて、アイデアを出して、仕組みを作って儲ける」お金と、「そこにあって、金融的な仕組みで、漫然と」増えていくお金(マネー)は分けて考えていただいたほうがいいと思います。 その点でマネーで富裕層がさらに富裕になっていくのは止める方策が必要だし、現実に欧米の余ったマネーが途上国の経済危機をもたらしているのが現状だからです。 まずマネーがなぜ増えるか。これが重要です。実際にマネーというのは虚実だといわれいます。たとえば世界の資産をすべて集めて世界のすべての富とつき合わせたときに、マネーのほうが過大だといわれて久しいのです。 つまり実際の「資産」にそったお金ではなく、銀行や証券会社の帳簿だけで利息として増えているお金がたくさん在るのです。 これは現実に即していかないと、途上国だけでなく先進国も被害をうけます。実際にこの被害をうけているのが現状のギリシャでもあるわけです。 このマネーの問題の解決についてミヒャエル・エンデなどは「腐るお金:減価通貨or自由貨幣」を提唱しています。個人的に「資産を制限する」ならこの方法が一番よいのではないか、とおもっています。 前回から書いているように、資産なり報酬なりに「上限」を設けることは、仕事を作り出そうとする人にマイナスに働きます。仕事が作り出さなければ労働者が賃金を稼ぐ仕事そのものが奪われることになります。ですからリスクテイクとリターンという資本主義に「資産上限」という考え方はそもそもなじみません。 それよりも「いくらでも儲けていいから、その代わり儲けて貰ったお金はどんどん目減りしていくよ。だから早く使ってね」という事実上の上限のほうが社会の活性化につながります。 すごく儲けたなら使ってもらうのです。何十億と儲ければ飛行機1機ぽんと買うこともできるでしょう。飛行機を買うことによって富裕者は資産を固定(但し減価滅損はある)できますし、飛行機を作っている会社は儲かり、飛行機を維持している飛行場も雇用を創出することができます。 こうすれば富裕者が得たお金を無駄に溜め込むことがなくなりますので、常にお金は動き続け労働者のところに降りてくることになります(もちろん労働者も目減りしないうちに使う必要があります
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- xx x(@hateha2_goo)
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_ 現在のあなたがたの科学技術を、暴力や軍備、少数者の個人的利益といった誤った目的にではなく、人々の幸福のために使うなら、あなたがたは、すぐに本当の意味でのエデンの園、つまり地上の楽園に住むことができるでしょう。科学技術によって、人類は世界中で飢えの心配から完全に開放されるばかりでなく、働かなくても十分暮らしていけるようになるのです。日々の退屈な仕事は、オートメーション化のおかげで、機械がすべてきちんと片づけてくれます。すでに地球上でも、最新式の設備を誇るいくつかの工場では、ついこの間まで、一台の車をつくるのに数百人を要していたにもかかわらず、今ではコンピュータの監視員がひとりいれば十分なまでに進歩しています。一台のコンピュータが、車を組み立てるためのすべての操作を指令し、管理しているのです。将来、この最後のひとりもいらなくなる日が来るでしょう。これは、労働組合にとってはあまりうれしいことではありません。企業は以前ほど多くの人員を必要とせず、首切りが続出するでしょうから。 しかし、これがそもそもおかしいのです。何百人分もの仕事をこなせるような素晴らしい機械は、経営者というひとりの人間を富ますためにではなく、その何百人かの生活を支えるために使われるべきなのです。だれも、人に仕えたり給料のために働いたりしてはなりません。 ラエル著 不死の惑星への旅 _ _ 私有の財産制度の廃止 ‐ 政府が建てた家またはアパートを、四十九年間賃借する。 ‐ ある事業を創始したなら、それは生涯彼のもので、貸すこともできますが、四十九年間だけです。 ‐ 農民も同じで四十九年間、耕作地を借りてそれを耕すことはできますが、そのあとはすべて政府のものとなり、政府は再び四十九年間貸し付けることになります。子供たちも、その土地を四十九年間借りられます。 ‐ 株・金・事業・現金・不動産など、価値を生み出せるすべての財産は共同社会に属していますが、自分の能力と労働で獲得した人たちに、それらは四十九年間貸し与えられるのです。 ‐ そのあとは、この賃貸からのお金は共同社会に返還されます。 http://okwave.jp/qa/q6808758.html _ _ 所得格差の是正から貨幣の廃止へ 貨幣に関して、貴族政治の時代、すなわち農民から搾取した領主たちの時代では、農民を一とすると小領主が約千、大領主が一万、そして、その国を治める国王が十万以上という所得格差が存在した。今日この格差は著しく縮小している。フランスだけをとってみても、「フランス革命」の際には暴力的に、それ以降は漸進的に格差縮小がなされて、法定最低賃金制の導入にまで至っている。かつての国王に相当する国家の頂上にたつ人物、すなわちフランス共和国大統領も、現物給付される官舎や公用車といった特典を考慮しても、一九七七年度におけるその所得は、法定最低賃金の約三十倍以上はないのである。わずか二百年という年月を考えても、その格差はいまだに大きいが、格差は引き続き縮小していくことであろう。 また、大領主に相当するものとして代議士、将軍あるいは実業家をあげることができるが、かれらも平均して最低賃金の約十五倍以上は得ておらず、前述した、かつての一万倍に比べると比較にならない数である。 最後に、小領主に相当するものとして、市町村長あるいは小企業の経営者をあげることができるが、かれらも最低賃金の約七倍以上は得ていない。 世界中のあらゆる政府が、所得格差を減少させるための計画を立案している。フランスではその差は六倍以内に、またスウェーデンでは、既に格差を四倍以内におさえ、さらに近い将来は所得の最大格差を三倍以内に、つまり最低賃金の三倍以上の所得を得る人を無くす方向で検討している。 そして、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がOになる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」 配給経済 「終身強制労働」の廃止は、配給経済の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。 この経済システムは、諸生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。 もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロポットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。 例えば、芸術家はその作品が売れるかどうかを、気にかけることなく絵を描くことができ、そしてその作品を、通人気取りや欲がらみではなく、本当に評価してくれていると思う人たちにのみ、与えることができる。 ある一つの発明が興味深いとみなされるやいなや、たとえそれが無益なものであっても、その作品は大量に生産され、一つ持ちたいと望むすべての人びとに配給されることになる。 また、希少品についてはどうだろうか。二十一世紀の文明は、人間の天才以外の希少品を知ることはないであろう。キャビア、シャンペン、ダイアモンド、何であれ、これらすべての物は実験室で合成され、好きなだけ生産することが可能になる。ぶどう酒、ダイアモンド、キャビア、肉、香水等々、すべては化学的なものである。つまり、あらゆる化学式は、科学的に再生産され得るのだ。生命そして人間でさえも、その遺伝子コードの中にその個性のすべてを含んでいる、D・N・A の分子に他ならないのである。 ラエル著 天才政治 _ 上記一連に、 全人類の生活は、オートメーション化により、その総てを達成できること_ 私有の財産制度の廃止_ 所得格差の是正_ 配給経済_ 等が、記されていますが、 延々と何時までも、資本が一部の所有になること、 全くの悪質 と言う事ではないでしょうか。 それらが、人々の生活の大障害_足止めとなること、それは、最早、明白であり疑う余地はない。 私有財産等は、49年一代限りとして、その後、 共同社会 に返還されること、それが新しい時代の 常設テーマ となるのではないでしょうか。 それにより、全世界の全社会は、 そのすべての人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産して供給する_何の代償もなしに供給される オートメーション世界 の幕開け となるのでは。 でなければ、おっしゃられる通り、その政治_政策_地域行政_不法不正地域金権による犠牲者が頻発すること、日常ではないでしょうか。 そうしないため、資本の一部への利権化を阻止すること、是が非でも必要では。 大改善の姿勢として、世界のすべての人々の全消費を全面全域シュミレートすること、それが必要ではないでしょうか。 世界の気象など、スパコンにて何十年先まで予想シュミレートされる現在、その世界のすべての人々の全消費を全面全域シュミレートすることは、その気象予想よりは、十分に容易に見て取れ安定数値化とすること可能ではないでしょうか。 一部の利権感覚その不正資本感覚管理に、悪戯に時間と不正能力を費やすこと、すでにそれは、現既存社会の悪に手を染めて人々とその社会に騒動俗悪の種を撒き散らしている、そのことそれを理解し、改革に挑むことが必須ではないでしょうか。 改革の兆候に、期待したいものです。
お礼
詳しいご回答ありがとうございます。 この49年というのは、旧約聖書の考えに基づいているのですね。確か、モーセの律法では、イスラエルがカナンの地を征服し、各部族に土地を配分した時に、各人に与えられた土地は「世襲所有地」または「嗣業の土地」として、その子孫に相続されたのかと思います。 ですから、聖書の神はイスラエルの場合、各人に土地を与えたわけですので、土地はどれも個人所有のものだったのかと思います。ただ、この49年というのは、土地を代価と引き換えに貸した場合のことで、土地は他の者に恒久的に売られるべきでなく、その子孫に相続されるべきであることを示すものだったのではないでしょうか。 しかし、この聖書に書かれている社会システムの構想は大変参考になりますね。 土地、つまり地球は人間が作ったものではないことは誰の目からも明白です。ですから、「この土地は私のものだ」と正当に言い得る人間は一人もいないはずです。しかし、天地の創造者である神が地球を人間に与えてくださったことが認められないなら、聖書に基づくこのような社会システムを各国政府が実施することはないでしょう。 むしろ、各国政府は神とキリストに敵対し、ハルマゲドンによって滅ぼされることが聖書によって預言されています。その後に樹立されるイエス・キリストによる神の王国の下でなら、そのようなシステムが実施され、エデンのような地上の楽園が復興されることでしょう。 ところで、オートメーション化によって最小限の労働が可能になるという構想ですが、それは厳密には聖書のものとは違うような気がします。聖書の神はイスラエルの場合、各人に土地を与え、そこから得られる産物から生活できるようにされました。要するに自給自足の生活であったということです。 農産物にしても、鉱物資源にしても、結局は「土地」に帰結します。土地を平等に分配し、その配分率が変わらないようにしたのが、ヨベルの制度なのだと思います。 それにしても、現段階の人間の政府で、これらの制度の実施は恐らく不可能だろうと私は考えます。しかし、貧富の差はなくならなければなりません。なぜなら、すべての人は福音を聞く必要があるからです。(私はクリスチャンです。) 自由と余裕がない場合、人は福音を聞かないでしょう。生きているだけで精一杯だからです。 それで、ポイントは完全な政府や社会の構築ではありません。それは神の王国によって実現されます。しかし、ハルマゲドンの前に人々は福音を聞く必要があり、そのためにはある程度の貧富の差がなくなっていなければならない、ということです。現段階においては、人々が福音を聞く下地ができればそれで十分です。 飽くまで、これはクリスチャン視点の話なので、他の方々には関係ない話だとは思いますが、しかし、貧富の差の問題はクリスチャンのみならず、すべての人の生活に関わる問題ですので、今回、取り上げることにした次第です。
#7です。 なるほど、我々一般庶民が成し得ないレベルであれば個人的にはWelcomeな政策ですね。 ところで、あなたのお考えになる「成し得ないレベル」というのは、どの程度のレベルを言うのでしょう?仕事に対するモチベーションという意味でも、その点が一番重要です。討論しながら煮詰めていくということのようですので具体的な数値等は無いのだと思いますが、あなたこの件を議論したいのであれば「大体この位」というザックリとした物があってしかるべきだと思います。実現可否を検討する上で、この情報は重要な物でしょうから。 個人的に思うのは、少なくとも我々が新聞等一般的に見聞きする名前や、一部上場企業の社長レベルで規制されるのでは納得は出来ないなと思います。そういった方々を妬み羨む気持ちはもちろんありますが、一方ではそういう方々を見ることで「いつかは私もこうなるんだ!」という夢を見ながら、厳しい日常を生きる糧としている部分もあります。 それ以上の資産家ということであれば、確かに到底達成することはできないでしょうからドンドンとやってほしいと思います。 如何でしょう?
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、具体的な数値は必要ですね。「日本の資産家一覧」というページがhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%B3%87%E7%94%A3%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7にありました。 1ドル=100円とした時、純資産が1番は8100億円から25番の1000億円とのことでした。 また、別のページでは「一人当たりの平均で約1,126万円の資産と、約261万円負債」ともありました。 それを考えると、平均からしても、25番目の資産家の1000億円、またそれ以上はだいたい1万倍以上の差があるということになります。線を引くとすれば、少なくともそれよりもさらに下でしょう。 それにしても、仮に資産の上限を定めたとしても、その上限を超えた分をどのように回収するか、という難しい問題もあります。他の回答者さんがいろいろいい答えを出してくださっていますので、そちらをご参照ください。例えば、上のNo.13など。
無能な奴が大金持ちになれるのがおかしいのでは。鳩山なんか、相当だけど、親が金持ちだからね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 それは、金持ちが金持ちでい続けることができるシステムが現存しているからだと思います。確かに、必ずしも社会への貢献度にしたがって富を得ることができるというわけではないかもしれませんね。 ところで、No.4のお礼後半の私の案についてはどうお考えでしょうか?
- kaorinzzzz
- ベストアンサー率9% (115/1194)
皆が書いているように、日本は既に質問者の提案を実現してきたし(社会主義国はもっと)、それを嫌気した一部の富裕層、高所得層は海外に出ているよ。 うちもその事だけじゃないけど一因として移住した。 このような主張する人の頭の中は、未だに鎖国時代なのかな、と思ったりする。 日本の中だけで終始する経済ならわかるけど、今農業だけとってもどんだけの自給率?資源だって昔から弱いしさ。 他国との競争にも優位性が出せるから、この生活レベルを維持できてるわけでさ。 野球やサッカーチームにたとえて考えてみれば(ひところのイチローがいた弱小マリナースがいい例)。 抜きん出た奴がケシカラン、って、出来の悪いのがよってたかって自分と同じレベルに引きずり下ろしたら? 誰が集客の目玉になるのさ、もともとそんな力があったら、もっと高い年俸ついてるだろう。 力なき人々ほど、より力ある人あってのその給料、だったりするんだよ。 自分らと同じ凡庸な選手しかいないチームに行ったら、おそらく今より給料激減するよ。 花形選手の邪魔したり、追い出したりは、平凡選手のプラスにはならないんだ。 昔が良かった(昭和の一時期)っていう人いるけど、あの時代のテクノロジーが何だったか考えて。 アイロン、冷蔵庫、電車、飛行機、自動車・・・ これって中程度の技術者と、製造者、販売者がそれなりに沢山いて成り立つもので、極端に貢献度の差はなかった。 だから、処遇に差をつける意味がなかったし、それで自然に成り立った。 今はどう? もはや上記は最先端ではなくコモディティ化の象徴で、後追いも用意になって、人々が大枚はたいて買う時代は終わった。 すなわち中間層が主力となる時代が終わったのであり、もうかつてのように大量の中間層は、産業構造的に必要とされない。 労働力の希少性に差がありすぎるから、自然に格差がついてしまった面がある。 ある人が有名学者の弁を借りて「格差は作られた」と書いてるのを見たが、そればかりじゃないわけよ。 勘違いしていないかな、花形選手の足を引っ張れば、他が同等の活躍できるって?そんなわけないじゃない。 特に今の傾向として、トップ選手がチームに何人いるかで勝敗決まる面あるから。 安易に大衆迎合はいかがなものかと思うよ。 それを続けたら、本当に力ある人は更に出て行き、どこからも呼ばれない人のみのチームができる。 競争力のないチームが生み出すものを、どこが買うのといったら、その国より更に競争力の低いチームだけだろうよね。 そうしてどんどん、下降ループが続いていくよ。 質問者はそれでもいいのかもしれないが。 日本の成長を抑圧すれば、ボツワナ等最貧国との「格差」が縮まって喜ばしいことだとね?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >勘違いしていないかな、花形選手の足を引っ張れば、他が同等の活躍できるって?そんなわけないじゃない。 なるほど、興味深い例えだと思います。 しかし、現実には昨今、大企業に仕事と富が一極集中化したために、中小零細企業や地元の商店などを圧倒し、それらの経営者たちは逆に仕事とモチベーションを失いました。中には倒産し、自殺した人もいました。今回の法律の実施の結果はその逆となるかと思います。 けん引役の花形選手も、他を圧迫するほどにビッグになりすぎるのも困るというのが現在の状況でしょうか? その他の人々にも持つべきポジションがあるはずです。それを一選手だけが独占するのは正しくはないと考えます。 よければ、No.5のお礼もご覧ください。
発想が途中から飛躍してるので、何が問題なんだろうなぁと考えていたのですが、、、 >資産と権力はほぼイコールだからです。 これですね。で、あとは自分の都合の良い様、かなりご都合主義的に進めてますね。 権力者は資産をもっている事は多いでしょうが、同じ土俵に立たせるには性質が違い過ぎます。何故同じななかの説明があればまだ納得できますけど、なんの説明もありませんしね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 しかし、多くの資産を持っていない権力者が果たしているのでしょうか? 資産とは、「人々の労働に対する報酬を支払う能力」とも言い換えることができます。つまり、資産がある者ほど「人を動かす」ことができるのです。これを「権力」の一形態と言わず、何と言いましょうか。
- xx x(@hateha2_goo)
- ベストアンサー率14% (104/711)
人々およびその生活に、足止めを強いるものとして、 健康(病気)、お金、職業、 自然災害、気象天候、事故、人々の無策等、があるみたいですが、 たしかに、難病治療とか放射能事故それらを解決解消とし人類人々に明るい未来を築くこと、偉大な業績と言えるのではないでしょうか。 貧富の差、にしても、それを解消して、人々を、その足止めから解放すること、偉大な事業と言えるのでは。 「資産上限法」という法律を設けてはどうか? 「各個人または各法人・組織・団体等が所有する資産の上限を設ける」 確かに、人々に足止め・障害をもたらす、不正金権および資産、自粛が検討されて然るべきではないでしょうか。 人々を、それら人々の足止め・障害から、解放すること、それが今後目指す社会資本の意義とも見える。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かにそうですね。天災や疫病など、まだ人間では制御し得ない問題もありますが(例えば、温暖化など原因が人為的なところにあるものもあるが)、人間にできることは何であれ努力して改善すべきだと私も思います。 しかし、この社会の不平等が是正されてこなかったのにも理由があり、それを打破するだけの大きな社会的変化をもたらす「起爆剤」が必要だとも思います。
学生さんですか?自分の稼ぎだけで生活したり、誰かを養ったりしたことありますか? 何も不当に儲けているわけでなし、上限なんて設けられたら労働意欲がなくなりますね。良い暮らしを実現させるために頑張っているのに、それが収入に反映されないのではたまりません。それに、ろくなアウトプットも出さずに最低限の収入が確保されるなら、そこそこの仕事しかしないでしょうね。頑張る意味もありません。私ならそうします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 基本的に、私が今回提案した案は、ほとんどの労働者が達成し得ないほどの資産額を上限とするはずですので、上記のような心配はないと思います。富が一部の富豪者だけに一極集中するのを防止するという観点でお考えいただければと思います。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"最近の不況により、「貧富の差」という社会問題の深刻さを実感することが多くなった" ↑ ジニ係数が上昇したのは、人口構成において年寄りの 比率が増えたからです。 年寄りは、人生が累積されますから、格差が大きく なるのです。 ”現代の資本主義社会は「自由競争」により発展を遂げてはきましたが、先程述べたように 貧富の差という副作用も引き起こしてしまいました” ↑ そうやって、社会主義が出てきた訳ですが、無様に 失敗しましたね。 社会主義が産んだのは、貧困と独裁だけでしたね。 人は、楽園を造ろうとして、地獄を造ってきたことを 忘れてはいけません。 ”過去において、権力者は権力を無制限に行使して民衆を苦しめました” ↑ 江戸時代においては、農民が生産性を上げたり、 隠し田などをつくり、5公5民だったのを事実上4公6民ないし 3公7民にしています。 これは現代よりも低いぐらいです。 増税しようとしても、百姓の力が強くできませんでした。 それで支配階級である武士が貧窮しました。 ”過去の歴史は、民衆の不満が爆発し、革命が起き、体制が転覆し、新しい体制へと 変換するということを繰り返してきたように思えます” ↑ そのような歴史は我が国では発生していません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まず、具体的なご意見に感謝します。 >ジニ係数が上昇したのは・・・ しかし、実際に、その実感は失業率の低下などにも反映されていると思います。 >そうやって、社会主義が出てきた訳ですが・・・ 社会主義はすべてを国が管理するというシステムでした。しかし、今回、私が提案しているのは、現状の社会システムを温存しつつも、ただ自由競争による競争結果を無制限に放置するのではなく、制限を設けるということだけです。ですから、この比較は当たっていないかと思います。 >江戸時代においては、農民が生産性を上げたり・・・ そうでしたか。私はその点詳しくないのですが、歴史は好きですし、参考に勉強してみたいと思います。 >そのような歴史は我が国では発生していません。 確かに。日本では「革命」と言えるほどの全国的暴動はなかったかもしれません。しかし、アメリカとかフランスなどの国々でそのような革命が発生したとしら、それに追随する形で日本でも革命が起こることもあるかもしれません。それを可能にするのは、グローバル化とメール・ネット環境など、過去になかった要素が関係しているので、予断はなりません。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
共産主義はまさしく「資産を制限」した社会システムでしたので、このシステムを採用した国家がことごとく失敗したことを考えれば「資産上限の設定」はそれが可能であっても有効に機能するとは思えませんし、それ以上にデメリットが大きいであろうことが想像できます。 そもそも共産主義が失敗した最大の理由は以下の点です。 ・努力していい暮らしをするというモチベーションが機能しないため、すべての基準が最低基準を達成すること、になってしまった。 ・その基準を策定し、達成する為の組織(実質的には官僚組織)が肥大し、資産が有効な基準となりえないため、組織のヒエラルキーが唯一の価値観となってしまった。 ということです。 これによりソ連は崩壊しましたし、中国は資本主義政策に移行したものの、官僚組織が巨大に成り過ぎていたため、中央政府が地方をコントロールすることがいまだに出来ていません。 もし世界中の国がすべて同時にこの方式に移れるなら、それは一つ価値のある実験だと思います。それによりすべての人々が低レベル成長ではありますが、最低限の生活が送れるようになるかもしれないからです。 しかし、日本だけこの方式に移るならそれはまちがいなく生産性の停滞と国家破綻を引き起こします。本来ならモチベーションが高く生産性を上げ、その結果金持ちのなる人々がまったくその努力を放棄するからです。(少なくとも経済活動としては放棄するでしょう) 日本が貧困から脱するには「経済成長」が必要なのです。むしろ今の累進課税制度を撤廃して、消費税を20%ぐらいにし、本当に貧困な人々にはお金でなくて現物支給や教育サービスという実補給をして、それでも生活が困る層に対しては補助金で保障すればいいでしょう。 >「下」の方に注意を向けても根本的な解決には至っていないのが現状です。やはり、ここは思い切って「上」の方にも目を向け、いやむしろ、そこにこそ問題の根元があるということを再認識すべきではないかと私は考えました。 認識としては質問者様と目線が同じですが、そもそも「上」の人々は「自助努力」が出来る人たちなのですから、その人々が努力して活性化する政策をするべきだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >もし世界中の国がすべて同時にこの方式に移れるなら、それは一つ価値のある実験だと思います。それによりすべての人々が低レベル成長ではありますが、最低限の生活が送れるようになるかもしれないからです。 確かに。その点はNo.3のお礼で述べましたが、私は、この日本が先陣を切ってこのような法律を制定するとはちょっと考えられません。したがって、このような法律は民主主義の中心とも言えるアメリカから生じて然るべきだと考えます。 したがって、もしアメリカを中心とした資本主義社会のほとんどの国々がこのような法律を採用するなら、資本主義社会はさらに公平な社会へと進歩することが見込めます。 それから、私は、もう「どれだけ金をたくさん稼ぐか」ということによる果てのない競争をそろそろ終わらせるべきではないかと思います。その競争がなくならないのは、何度も言うように、競争結果の上限を設けていないからではないでしょうか。 富豪者にとって富はどれだけ集めても足りないようです。それで、富豪者たちはどうすればより効率よく金を集めることができるかを考えています。どうすればいいでしょうか。それは要するに労働者たちの上前をいかにして上手にはねるかということに帰結します。しかし、資産の上限を設けてしまえば、そのような搾取をしてまで金を集めようという貪欲な者がいなくなるので、より公平な社会を見込めます。 モチベーションについても、現実には昨今、大企業に仕事と富が一極集中化したために、中小零細企業や地元の商店などを圧倒し、それらの経営者たちは逆にモチベーションを失いました。今回の法律の実施の結果はその逆となるはずです。 また、No.4のお礼後半にて、資産の上限を実施する際に工夫できる点を書きました。よければ、そちらもご覧ください。
- ojisan-man
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質問者さんの「ご提言」をもう少しお聞きしたいと思いますが、文章の中ではあいまいな部分があるので補足をお願いします。 1.「資産」とは何を表わすか? 単にB/Sの左側の合計金額を言うのであれば、100%借金で資産形成している人も対象になるってことですか。その場合、見せ掛けの資産があっても実際はすべて借金で賄っているので、その人は決して裕福とは言えませんね。 2.「資産」が「純資産」を表わす場合 これならある程度分からないでもないですが、含み益や含み損はどのように考慮しますか。時価会計の持ち方が難しいのでは。 3.損益はどうするか? 「所得税」というのは「利益」に対してかかるものです。つまりB/SではなくP/Lが対象となります。我国の所得税は「たくさん設けた人ほど税率が高い」累進課税制度を採用していますが、質問者さんの言う資産上限制度とはどのように整合させますか。 資産にかかる税金だと「固定資産税」とか「自動車税」などがありますが。 4.「上限」とは具体的にどうすることか? 意味不明です。 金持ちは金持ちなりに苦労して金持ちになっています。というより常人には出来ないような苦労を重ね、何百万分の一の幸運にも恵まれて初めて成功者になれます。 何の苦労もせず努力もしない人間と同列に扱う国だと、きっと金持ちはそんな国には住みたいと思わないでしょうね。たぶん家族と全資産を持って他の国に移住するでしょう。 そうすると日本は貧乏人だけが残る寂しい国になってしまうのではないですか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 1、2について 例えば、2000万円の家をローンで購入、ローンの残金が1000万円という場合、しかし、その家を実際に売却するとなると、1200万円にしかならないというのであれば、残りの資産は200万円ということになると思います。大変大ざっぱですが。 結局、その人が最大どれくらいのお金を自由に動かすことができるのかということに帰結すると思います。しかし、この指摘は大変重要ですね。もう少し、この点は深く考慮する必要があると思いました。 3について 所得税、固定資産税、自動車税などはこれまでと同じく現状維持は可能だと思います。 4について ここが最も重要な点ですね。調べてみると、日本の1世帯当たりの平均資産総額は3900万円とのことです。また、日本一の資産家はユニクロの柳井会長で約8400億円ともありました。 実に、最高者から平均はざっと2万倍の差があるということです。しかも、平均以下の人々がかなりいると思いますので。その差はさらに。 それで、例えば、一個人が所有できる資産を1億円までとしたとします。この数字には今のところ全く根拠がありませんが。そうすると、今まで金持ちに一極集中していた金が多極分散化されます。またそれは、富豪者が一手に手がけていた事業が分散化されるということでもあります。つまり、金も仕事もより大勢の人により公平に行き渡るということです。 これは、どちらかと言えば、所有資産というよりも所得の上限を設けるということの方で実現できるかもしれないとも思いました。というのも、現在すでに富豪者が所有している資産を没収するというのは困難かつ混乱をもたらすものと思われるからです。 それで、私は、やはり資産の上限を設けるとしても、条件付きで特例を出し、つまり、例えば、10人の生活保護者を扶養すれば資産の制限最高額の10倍の所有を認めるという形で、富豪者に負担を求めるということにするのはどうか、とも考えました。ずいぶん、話が進展してしまいましたが。 後半の資産家の流出の問題については、No.3のお礼でも述べました。そちらをご参照ください。
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お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 果たして、本当に、人一人が働く労働として数十倍、数百倍の差が付くのでしょうか・・・ >はい、差がつきます。 確かに、労働の重さや責任者としての精神的な重責度、リスクなどを考慮してある程度の賃金の格差があってしかるべきだと私も思います。その点は異議ありません。問題はその差の幅です。 確かに、特許などを取る人たちなどに多額の給与が与えられるかもしれません。その研究やその努力など「それに応じた」ふさわしい金額は与えられるべきなのは上記と同じですが、しかし、それも上限なしの無制限というところに問題があると思います。 しかし、資産や給与の上限を設けることにより、勤労意欲が下がるという懸念もあるかと思います。しかし、この上限はほとんどの労働者が達成し得ないほどの額ですので、ほとんどの労働者の、つまり社会全体としての勤労意欲の低下はないかと思います。 また、富豪者がリスクを犯してまでも大規模な事業を展開しなくなるのでは、ともご懸念でした。確かに、この点でも、別件として、たとえ会社が倒産した場合でも責任者だけが過度のリスクを背負わなくてもよいような仕組みを設ける必要があると思います。企業保険みたいな制度とか。 あと、大企業がなくなり、会社が小粒になるというのは当然あるかと思います。そして、それは経済や科学の発展に支障をきたすと。しかし、たとえ月や火星に行くだけの科学力を持ちながら不公平な社会を続けるのと、ある程度の技術でよしとする代わりにより公平な社会の実現させるのとではどちらが優れているかと考えることができます。 もし、前者のように、さらなる経済・科学の発展を続けるために現システムを強行し続けるなら、その発展というのは、貧富の差など不公平によって苦しむ人たちの犠牲の上に成り立っているのだということを考えるべきかと思います。例えば、私たちが100円ショップで安い品を買える背景には、途上国の人たちを安い賃金で働かせているという事実があるように。 >結局国民全員が貧乏になります。なぜなら外国との競争に負けてしまうからです これは先回述べたとおり、アメリカを中心とした資本主義全体が考慮すべき問題だということでした。 >少なくとも今のアメリカは絶対にこういう「社会主義」的な政策は採用しません。・・・ 保険制度に対して反対があったのは、一般の労働者にさらなる負担を求めることになるという要因が大きかったのではないかと思います。今回の制度ではほとんどの労働者には負担が求められません。したがって、彼らが反対する理由は基本的にないと思います。むしろ、それに反対するのは一部の富豪者です。しかし、富豪者の数はごく少数なわけですので、民主主義の原則からすれば、このような法律は成立する可能性は高いと思います。政治的な障害は多々あるとは思いますが。決して不可能ではないという意味です。 >資産なり報酬なりに「上限」を設けることは、仕事を作り出そうとする人にマイナスに働きます。・・・ たとえ上限を設けても(その設ける額については、No.12のお礼でも書きました)、仕事を作り出す人がいなくなるということはないと思います。今の会社の経営者というは、競争社会を生き残った結果、存在しているわけです。競争に敗れた会社も決して技術が劣っていたとも言えません。ですから、機会さえあれば、会社を立ち上げようという人たちはたくさんおり、むしろ、今回の法律によって、一極集中化している仕事と富をより多く人により公平に分配できることになるでしょう。 >それよりも「いくらでも儲けていいから、その代わり儲けて貰ったお金はどんどん目減りしていくよ。だから早く使ってね」という事実上の上限のほうが社会の活性化につながります。 これは、大変興味深い考えだと思います。要するにお金にも賞味期限を付けるということですね。そもそもこの法律の実施の問題点の一つは、実際に上限以上の富を富豪者からどのように回収するかということがありました。その点で、上限以上の金額については、別途帳簿に載せて、それに期限を付けるなら、「強制徴収」をせずに済みます。お金の循環もよくなるでしょうし。 ところで、会社の責任者の荷が重いということを私もそばから見てきました。以前、私がアルバイトで勤めていた新聞販売所の所長さんは奥さんと小学生ぐらいの子3人がいたのですが、結局、経営が行き詰まって、一人で無理心中してしまいました。それから、その販売所で何人もの所長が始めては辞めていきました。それから、以前、市役所の「事業所・企業統計調査」に携わっていたことがあって、繁華街のスナックを100軒ほど回った時も、かなりつぶれる店が多いんだなと実感したものです。 phjさんもお忙しい中ご回答ありがとうございます。もしよければ、上記の見解で正すべき点をまた教えてください。