パリ条約が
、1947年2月10日に締結。旧枢軸国イタリア、ルーマニア、フィンランド、ブルガリア、ハンガリーの各国ごとに連合国21か国と結ばれた一連の条約を指す。
軍備制限を受け賠償金を課された
領土
原則的に1939年9月以前の国境線に戻すこととなった。
・イタリアの領土の内、タンドおよびアルプスの国境地域の一部がフランス領となった。
また、戦前に獲得していたフィウーメ(現リエカ)はユーゴスラビアへ、
またトリエステはトリエステ自由地域となった。
ロドス島をはじめとするドデカネス諸島、はギリシャ領となった
。またサセーノ島に関する請求権を放棄し、アルバニア領と認める。
さらにイタリアは、イタリア帝国・rチオピア他
海外植民地の権利をすべて失う。
ただし、最終的な帰属画定は行われず、中でもイタリア領ソマリランドはイギリスの占領下に置かれたものの
1950年にイタリアの信託統治地域となり、1960年のソマリア独立まで続いた。
賠償金
イタリアは、ユーゴスラビア、ギリシャ、ソビエト連邦、エチオピア、アルバニアへ3億6,000万ドルを支払う。
※ムッソリーニは、イタリア王国に反逆し、ナチの傀儡政権イタリア社会共和国を作った
反逆者売国奴として、パルチザンの即決裁判で処刑、、さらしものに、された。
イタリアは、ファシスト党と王室に責任を押し付け、共和国になり、
連合国の指導で、一応、自主的に戦犯裁判を行う。
皮肉なことに、ファシスト体制では抑圧されていたシチリア・マフィアの活動が
戦後、活発化した。
お礼
シチリアね