えーと「地動説は教義に反するからコペルニクスは発表しなかった」と言う説明は違います。
まず、コペルニクスが教会関係の職にあったのは、信仰心によるのではなく、亡くなった父に代わって叔父(司教)が育てたからです。留学して教会法を学んだけど天文観測や医学の方に熱心で、卒業後は開業医を営んで貧者救済医療に励んでいました。
しかし叔父が亡くなり、教会職(教会イコール行政でもあって最高に美味しい特権階級)地位の跡目相続のために職を継ぎました。家系のためですね。
しかし、歴史書に記されてる通り、ひそかに、天動説より合理的な太陽中心理論を作っていました。敬虔であったが蒙昧な信者ではまったく無かったのです。だが、火炙り刑のブルーノや自宅幽閉のガリレオの事件を知っているので用心深く隠し通しました。江戸時代の隠れキリシタンのようにですね。
死の十年前頃(約60歳)にようやく論文を書き、それは学者間に秘かに回覧されました。やがてその画期性によってヨーロッパ中に知れ渡り、進取な支持者と罵倒する反対者を生みます。その後、数学者(コペルニクスの弟子)が出版した解説書をローマ法王が読んで、本編の出版を許しました。喜んだコペルニクスは法王へ感謝の前文を付けようとしたが、その話が伝わった反対者(教会)は激怒し、ガリレオと同じ災難を恐れて出版は遅れ、コペルニクスの死のまぎわに弟子の友人(プロテスタント牧師)によって「言い訳めいた前文」で偽装されて出版されました。
なお、太陽中心説はギリシャ時代にすでにあった事でコペルニクスがオリジンではありません。
コペルニクス没後60年、ケプラーが良い仕事をします。教会権力が滅びつつあった時代の「神の神秘の美オタク」と言いたくなるドツボ信者だったケプラーが、コペルニクス著書の円軌道を「この理論が真理なら、神のミワザだから軌道は美しい完全な円のはずだ、それは神がある事の証明だ」と、火星の観測データから真円を探しました。が、真円でなく楕円ならほぼ完璧に観測と合う事を発見します。なのに「楕円は美しくないから神の作品ではない」と現実を放棄して審美感の世界に留まって余生を過ごしました。
世間は、このケプラーの「実証」によって、コペルニクスの著書を「天動説賛美の前文」のために誤解してた事に気付き、地動説が広まりました。
すなわち、神のミワザオタクのおかげで「教会の権威」のヒットポイントが激減しました。
お礼
お礼が大変遅くなりました。 ありがとうございました。 そういう経緯があったんですね。