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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:私専用の原子は存在するのだろうか?)

私専用の原子は存在するのだろうか?

このQ&Aのポイント
  • 私専用の原子は存在するのだろうか?炭素原子の例を挙げて考えてみると、物理的・化学的に同じでも存在としては別ものと言えることがわかる。
  • 人間も同様で、同じ人物でも意識を共有していない存在として別人である。つまり、人それぞれの原子が決まっているのではないかと考える。
  • 特に脳や意識を司る部位を構成する原子こそが、私専用の原子やあなた専用の原子だと言える。死者蘇生についても、私専用の原子を使用し完全に同じ原子配置で再構築すれば可能かもしれない。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#175206
noname#175206
回答No.7

 #4です。  Ano.2 tiltilmitil様への補足を拝読しての雑感です。 >生命には両者を成り立たたせる仕組みが存在するのかもしれません。  両者とは、原子の性質と、脳を含む体の性質ですね。  これは「存在するのかもしれません」ではなくて「存在しています」です。  修理では、部品を取り換えて完璧に元に戻すことができることが多いです。部品が新しくなった分、全体の寿命が延びるとかありますが、それは本質を左右しないので置いておきます。  ヒトも怪我をしても、多少であれば完全回復します。脳は、あまり細胞の入れ替えという意味での電新陳代謝はありませんが(以前は全くないと思われていた)、それでも脳神経細胞間の信号伝達に使われる化学物質(セロトニンとかいろいろ)は、使い捨てです。それが思考や感情を決める大きな要素なのに。それでも安定しています。  これらは、原子が同じ種類であれば、完璧な互換性があるからです。  しかし、質問者様のご興味、少なくとも出発点はそこにはないのでしょうね。  先は、自由意思ということで申し上げましたが、ご興味は、そこから成り立つかもしれないと言われる「自我」でしょう。  それには、胡蝶の夢という故事を挙げておきます。古代中国の荘子の言説です。  ある時、蝶になった夢を見た。目が覚めた。夢の中と今と、その違いはあれども、今の人間である自分と、夢の中で蝶であった自分に何も変わりはない。自分と言うものは、何があっても、変わらずに連続しているのではないか。姿かたちと無縁に自我がある。そういう話です。  所変わって古代インドのブッダ。  一見は正反対のことを言っています。心優しい人が、何かのきっかけで、悪鬼のような恐ろしい人に変化する。時間の経過はおろか、一瞬の喜怒哀楽で正しいと思うことが変わる。どこにも「常に変わらぬ我(=自分)」というものは無い。だから無我。  どっちも正しいんですね。そこには「自分が自分であるという意識」、つまり自我があります。超能力を仮定しない限り、自我の問題は自我で答えるしかない。自我の外に求めても分からない。自我の外から答を聞けるはずはない。  無我だと主張するのも、変転する自我です。自我に連続性が無ければ何も言えなくなってしまいます。そうでないと、大勢がざわめく声でしかありません。自立性・自律性を以て個人を統合・維持している何かがある。それが自我ですね。  これは人工知能開発が抱える問題でもあります。知能が自我を持つということが、どういうことか分かっていない。さらには自我が何かが分からない。  こういうことを科学に求められても答えられません。科学は「自我」に役立つ道具であろうとしていて、自我を規定しようとするものではありません。  これは哲学の領域でしょう。事実、人工知能開発には哲学者が多数参加しています。人間の知能は、哲学を知らない科学者の手に負えないからです。  逆に言えば、ご質問のことは(自然)科学の手に余ります。とうてい答えられることではないのです。

その他の回答 (14)

noname#175206
noname#175206
回答No.15

>個人的な考えですが『私』を定義してみたいと思います。  ではブッダと逆を問うてみようか。  あなたの指はあなたではないのか? 自分だけの意思で動かせるのに。  あなたの腕はあなたではないのか?(同上)  あなたの首はあなたではないのか?(同上)  あなたの足はあなたではないのか?(同上)  あなたの膝はあなたではないのか?(同上)  あなたの胃はあなたではないのか? 食べたものを消化してくれるのに。  あなたの腸はあなたではないのか? 食べたものを吸収してくれるのに。  あなたの心臓はあなたではないのか? 止まると死んでしまうのに。  あなたはどこかを刺されて痛みを感じないのか? 火傷は平気か?  あなたは虫歯の痛みは気にしないか? それがあなたのものでないのなら。  あなたの髪の毛はあなたではないのか? そうでないなら捨てて惜しくないはずだ。  どこに、あなたでないものがあなたの体にあるのか?  もう少しましな問いもしておこう。  あなたの脳が疾病でだんだん衰えて行くとしよう。しかしコンピュータがサポートできるとしよう。  あなたの5%をコンピュータがサポートしたら、あなたはあなたでなくなるのか?  コンピュータ化率が10%なら? 30%なら?50%なら 90%なら? 100%なら?  そういうこと原子に求められても困るのだ。そういうことが考えたければ科学に訊いてはいけない。  哲学をやって欲しい。

noname#244477
noname#244477
回答No.14

今の科学力では到底無理だと思いますが、何千年も先には原理的な蘇生実験は実現できるかもしれませんね。 そのことを現代物理の成果から推論してみましょう。 同種の原子を別物として区別する要素があります。集合した原子群は、ある関係性を持った状態になり得ます。それを量子科学ではエンタングルといいます。原子群の状態は、他の原子群と区別できるので、人にたとえれば私の原子、あなたの原子ということになります。 あなたが何かを食べて体内に入った原子は、なんらかの状態になり、あなたの個性・記憶の一部を担うようになるでしょう。代謝によって外へ逃げていったとしても、その原子は貴方の構成要素であったことを微かに覚えていると思われます。 そのことを直接証明する実験はまだ行われたことはありませんが、まじめに扱おうとしている学問があります。量子脳理論といいます。人間は、神経細胞の電気信号回路だけでは到底裏付けられない膨大な記憶を保持していることがわかってきました。たとえばサヴァン症候群の人たちがそうでしょう。そもそも記憶はどこになるのかということを追求した結果、原子レベルの状態が記憶要素になっていると仮定すると裏付けできるようになりました。これも量子科学の進歩のおかげです。生命のはたらきの理解は、生化学だけではたちうちできず、いまでは量子科学で扱われるようになったのです。 一旦関係性を持った原子は、互いの距離を隔ててもその関係性を維持できることも実験でわかってきました。 過去の時間を再現するということは、かつての原子群状態を再現するということです。 もし、原子状態の情報をパソコンに記録しておいて、時間が経った後、情報を取り出して、原子にその状態を書き込むことができれば過去に戻ったということになります。 原子状態を読み取って保存しておく実験はまだ行われたことはありませんが、書き込む技術は完成しています。 原子Aの状態を原子Bにコピーすることが技術的に可能になっています。これを量子テレポートといいます。原子Aの状態を原子Bにコピーすることで両者は双子の関係になり、区別は全くなくなります。 原子Aの状態がかつての原子Bの姿だとするならば、コピーによって、原子Bの過去の状態は再現されたことになるでしょう。 生物のようなマクロな組織でもそれが可能なのかどうかわかりませんが、産声を上げた量子脳理論が格段の進歩を遂げることができれば、ずっと先の未来には可能になるのでしょう。

  • thegenus
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回答No.13

No.6の補足ありがとうございました!! 最初の話とは違う話になっていますがね。その内容ならいいんじゃないですか。 (No.6の補足) >『特に『今この瞬間の自分の原子』を使って自分の体を再構築できれば生死を科学的に再現性のあるものにできるのではないかと考えます、しかし、生命とはそんなに単純ではない可能性だってないわけではないのですが・・・』 出来ますよ。生命が単純とかではなくて、その再構築が不可能なのです。原子を共通の物にしなくていいからという条件でも同じ状態を再現するのは不可能なのです。ご質問が宗教ではなくて科学ならば、以上なのです。 質問者さんの夢は、同義反復なのです。 原子の状態を再構築できれば、原子の状態を再構築できるのです。 1+1=1ならば、1+1=1なのです。1+1=1=1+1よって1+1=1。その1はこの1と同じ1でしょうか…… 堂々巡りを好む性癖を克服されることです。壊れたレコード。無限地獄的でもあります。 意識も原子の状態にすぎないという点だけが科学的意義のある質疑応答になっていますよ。その他は矛盾が無くても同義反復の堂々巡りです。その無駄さに気がついて、自分の堂々巡りの思索を抑制して、そのかわりに、本などの外部から地道に勉強して新しく学んだ科学的知見を整理なさっていく方がよっぽど高尚な科学ですし、この問題を追及される上でも重要です。同義反復の議論それ自体は自然科学的に無価値です。科学カテ以外のカテをお勧めします。

  • 0_asuka
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回答No.12

もし「自分の体を構成する原子の集合」を「私」と定義するなら、その原子を集めて人間として機能する形にすれば「私」を再構成できます。 もし「自分のことを『私』だという意識」が「私」だと定義するなら、かつて「私」を構成したことが無い原子ばかりを集めてきても『自分のことを「私」だという意識』を持った「私」を再構成できます。 「私」とはどのようなものなのか定義しないと、質問者様の悩みは解決しません。 言葉をもてあそぶことに終始するだけです。

noname#213462
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! (5)人は食べ物を食べて新しい体を作ります、その際食べ物を選んでいません、食べ物から自分になるための原子を選んだりはしません、食べ物をランダムに選んでいるのに、でも私は毎日継続されます、だとしたら私という存在は原子的に決まっていないのだろうか? 例えば、パソコンの電源を切ったり入れたりするように、意識も電気的なものでもあるとするなら、意識を成り立たせる電気エネルギーは毎秒毎秒、私という意識を成り立たせては消えていき、絶えず新しい電気エネルギーが私の意識となります、つまり、私という意識すらも不変の存在などではないと言えます、もちろん人体は原子的にも入れ替わりますから、『私』とは原子的にもエネルギー的にも毎秒毎秒、一瞬一瞬が別人です、しかし、意識や記憶は連続的に継続するため私は不変の存在だと錯覚すると考えます、 上記のように一瞬一瞬別人ですが、簡単に説明するため大まかに人生をわけると、(赤ちゃん・子供・大人)全てが私でありながらかつ原子的にそれぞれ別人であるが、そのそれぞれの別人の意識が連続して繋がった意識の総体を『一つの私』だとか『私は不変だと』錯覚していると考えます、またなにより、それぞれ赤ちゃん・子供・大人の原子には対応してそれぞれ別々の意識が確定して宿っている保存されていると考えます、だから原子それぞれには特定の人物の意識や存在性といったものが保存されていて再現性があると考えます(なので、私の赤ちゃんの時の原子を使い、私の赤ちゃんの頃を再構築したら、その存在は紛れもなく過去の私ということになると考えます、でも今の私とは別人になりますが)、だから、赤ちゃん・子供・大人それぞれ原子的にも存在的にもエネルギー的にも意識的にも別人ですが、それら別人が生涯を通して連続的になめらかに繋がるため『一つの私』と錯覚します。 まとめますと、赤ちゃん・子供・大人、の原子集合それぞれに特定の個人の存在が保存されていると考えます、しかし、人間の体は代謝して原子が入れ替わり絶えず別人になっている、意識も別人になっている、だから『私』とはたくさんの別人が連続的に繋がったものであると考えます、連続してなめらかに別人の意識同士が繋がるため不変の私が存在すると錯覚する、食べ物を食べて、ランダムに新しい原子を摂取して別人になっていくのだが、連続的に意識は継続するため、結局新しい別人を私と錯覚するのである、それが最新の私でもある。 例えば、『私』とはパラパラ漫画の棒人間ようなものだと考えます、一ページ一ページゆっくり見ればそれぞれ別人なのだが、一気に全ページをパーッとめくって見れば連続的に繋がるため全てが同一人物だと錯覚してしまうように。 だから、生涯、赤ちゃん・子供・大人、とたくさんの別人の私がいる中で、どれが本当の私なのかと特定しようとするなら、過去の自分は全て別人になるわけですから、『今この瞬間の私を構成する原子』のことだと言うことになります、 だから、今私が死んだとして、死体の原子を使い、私の体の原子配置を完全に一つの元の原子の位置も違わず元通りに再構築できるなら、私は死から、寝て起きるかのように、または全身麻酔から醒めるかのような感覚で、生き返ることが出来るのではないかと考えます、 つまり、『今この瞬間の私を構成する原子』を使い完全な再構築が出来れば、科学的に再現性のある生死を実現できるのではないかと考えます。

noname#213462
質問者

補足

ご回答ありがとうございました! 個人的な考えですが『私』を定義してみたいと思います。 (1)私とは、私の体全体を構成する原子集合のことではなく、私の脳を構成する原子集合のことだと考えます、さらに言えば脳の意識を司る部位を構成する原子集合のことだと考えます(以降、説明を簡単にするため、『体』や『私』といえば脳であるとします)。 (2)人は生き物ですから、人体は代謝して、体の原子は日々入れ替わっていきます、そうであるとするなら、一体どの原子が私なのだろう?という問題がうまれますが、そこで、私が受精卵として生まれた時から、私が老人として死ぬ時まで、つまり、私の体の構成に生涯に携わった全ての原子を『私の原子』と考えます、人体の代謝速度は分からないので、大まかに考えると、 (私が受精卵の時の原子・私が赤ちゃんの時の原子・私が子供の時の原子・私が大人の時の原子・私が老人の時の原子)というふうに大まかに適当に区切って考えると、 私がたくさん存在するということになります、それぞれは私でありながら原子的に別人でもあります、つまり原子的に別人な私が複数存在すると考えます。 例えば、私が赤ちゃんの時の原子は、今大人の私の体には一つも無いかもしれません、なので赤ちゃんの時の原子は、もはや今の私とは関係のない別人でもあると考えます。 (3)体の原子が入れ替わって、原子的にも存在的にも別人になっているにも関わらず何故それに気づかないのか?考えが複数あります、 それは、一つに、脳の代謝は体の他の部位に比べ頻繁ではないからなのかもしれません、 また、原子レベルのミクロなスケールでの原子の入れ替わりという極極極極微細な変化を、体の脳というマクロなスケールの組織が果たして気づくことができるのか?気づく仕組みがあるのか?という疑問が逆に沸きます、 また、原子的に別人になっているにも関わらず生涯を通して『この体で存在しているという感覚』や『記憶』や『意識』は連続して継続されるため自分は不変の存在だと錯覚しているのかもしれません、 また、原子それぞれは、化学的にも物理的にも区別する事ができないほどの存在であり、つまり、原子それぞれは完全な互換性を持っていて、人体の原子が入れ替わり原子的に別人になっても、原子の完全な交換性という性質により体(脳)の組織の変化に意識が気づけないのだと考えます。 (4)これは極当たり前のことですが、原子それぞれは『化学的にも物理的にも』それぞれが区別困難な完全な互換性を持っいるのに、原子それぞれは別々の『存在』として区別できます、だからこそ、原子から構成される人間も『自分という存在』と『他人という存在』が別々の存在であると区別できる根源だと考えます、それが他人と自分それぞれの存在または意識の区別の根源だと考えます、しかし、この原子集合はこの人を成り立たせ、あの原子集合はあの人を成り立たせる、ということが決まっている理由は分かりません。 例えば、質問の例に上げた、A君とB君は化学的にも物理的にも完全に同一人物だとします、しかし、A君を叩いてもB君が痛がらないように、それぞれ別人です、その理由はA君とB君の体の『原子の存在』としての違いです。 字数制限のため続きはお礼欄に書かせて頂きます。

noname#175206
noname#175206
回答No.11

>両者を見分けることはできなくとも、炭素Aと炭素Bは『存在』として別の存在だと言えると考える  当たり前です。誰か、そうでないと言っているんですか?

noname#175206
noname#175206
回答No.10

>私が老人の時の原子まで、生まれてから携わった全ての原子が『自分専用の原子』であると考えます  その主張は、たとえば、臓器移植で救われた命、そしては失われた命のご遺族に喧嘩を売りかねないことは、自覚されますよう。

noname#175120
noname#175120
回答No.9

それなら物を食って代謝を行うって原理がわからないじゃないですかね? 人は半年程度で多くの細胞が入れ替わります。 その元は食った物から得ます。 原子自体がオリジナルというならどこかの段階で変換が行われるはずですね。 人も動物も構成するものではなく、その集合体として個性なんだと思います。 (細胞単体や臓器レベルなら別でしょうが…) 個人とは何なのかって問題もありますね。 例えばあなたの脳を取り出して機械の体に移す。 あなたの体にはコンピュータを入れる… さあ、どっちがあなたでしょうか? 機械の体にあなたの脳、それともあなたの体に機械の脳? 結局、人ってデータじゃないんでしょうかねぇ? 自分はそう考えます。 頭の中身はその人の経験等で構築された自我です。 人に差があるなら根本的にはコレだと思います。 例えDNAが全く同じクローンが出来きたとしても、同じ経験は出来ないのですから… 逆に言えばこの自我を何らかの方法で取り出してコピー出来ればそれは同一人物だと言えるでしょう。 ただ、コピーした時点で分岐して別の人間になりますが… いつか経験すら共有出来るシステムが出来れば多分、「個」と言う概念は消え去るでしょう。 「我は個であり全体である…」

回答No.8

 たとえでいうなら、この質問文は確かに質問者様の考えている内容であり質問者様の思想といえますね。でも、それを構成している文字はただの記号であり何ら特別なものではない。仮に別のフォントで置き換えたとしても内容は変わることなく質問者様の思想のまま。そんな感じで捉えられませんか。

  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.6

(質問文) >『しかし、疑問もあります、私達は生きて代謝するからには体を構成している原子が日々入れ替わっています、もしかしたら、赤ちゃんの時の私の原子は一つも今の私の体には無いかもしれません、』 だから私専用の原子がないんですよ。 私専用の原子を毎日保存できていないのですよ。あなたの定義だと、毎秒、別人なんですよ。 呼吸も小便もしないのですか? あなたの場合は、長い文章は必要ないんですよ。質問は以下の事ですよね。 (質問文) >『質問になります、私専用の原子は存在するのだろうか?ならば死者蘇生は可能か?という質問を中心に回答や、またご意見などお待ちしております。』 あなたの原子を保存できていないでしょ。水分子、水素原子、酸素原子など保存できていますか?ナトリウム・カリウム保存できていますか? 区別しても保存できていますか? 地球上をかきあつめるんですか?あなたを離れて、空の雲になったり下水のヘドロになったりしている原子があなた専用ですか。その原子を集めてあなたになりますか? 保存されて他の物が使っていない場合、それがあなた専用の原子です。保存できるようになってから質問してください。 ※AとBの「区別」とA「特別」を混同している悩みです。

noname#213462
質問者

補足

ご回答ありがとうございました! >だから私専用の原子がないんですよ。 ※『私専用の原子』の『専用』という言葉は誤解を生むので省略し改めて以降は『私の原子』と呼ぶことにします。 ※『私の原子』とは私の体全体の原子集団のことではなく、特に私の脳の原子集合に限り『私の原子』だとしましょう、また、体に存在するあまり重要でない水分子などは取り替えがきくので私ではないとします。 では、、何秒何分単位で私の脳の物質が代謝し入れ替わっているのか正確には把握できないのでとりあえず大まかに考えて、 私が受精卵の時の原子→私が赤ちゃんの時の脳の原子→私が子供の時の脳の原子→私が大人の時の脳の原子→私が老人の時の脳の原子と考えます これら全てが『私の原子』つまり『私』であり、かつそれぞれは原子的に別人でもあります、つまり複数の原子的に別人の自分が存在すると考えます、 では何故、年をとり代謝して原子的には別人にはなって行くにも関わらずそれに気づかないのか、個人的な考えですが、それは、記憶や意識は生涯に渡り連続して継続するために、変わっていることに気づかず自分という存在は不変なのだと錯覚しているのだ考えます、 そして、今この瞬間を生きる私の脳を構成する原子集団こそが『真の私の原子』だと考えます。 私は受精卵の時の原子、赤ちゃんの時の原子、子供の時の原子、大人の時の原子、とたくさんの原子的には別人の自分が存在しますが 例えば、私が赤ちゃんの時の原子を使い、私が赤ちゃんだった頃の体を完全に再構築できれば、その存在はまさしく私が赤ちゃんだった頃の自分であると考えるのですが、今大人の私からすれば私とその赤ちゃんは別人ということになると考えます、 しかし、今この瞬間私が死んだとして、私の死体の原子から、私の体を完全に再構築できれば、私の意識で生きかえることができるのではないかと考えます、 つまり、『今この瞬間の自分の原子』を使い、自分の体の完全な元通りの配置で原子を再構築出来れば、自分は何度でも死んだり生きかえったりできるのではないだろうかと考えます、意識の感覚としては寝て起きるかのように、死んで生きかえることが何度でもできるのではないかなんて考えます、 赤ちゃんの頃の私の原子は今や別人なわけですから、特に『今この瞬間の自分の原子』を使って自分の体を再構築できれば生死を科学的に再現性のあるものにできるのではないかと考えます、しかし、生命とはそんなに単純ではない可能性だってないわけではないのですが・・・

  • CC_T
  • ベストアンサー率47% (1038/2202)
回答No.5

1)私専用の原子は存在するのだろうか?  体はたんぱく質など原子が組み合わさった物で構成されていますが、老化により日々廃棄され置き換わっています。複数の原子による「配列・組み合わせのパターン」こそ固有のものですが、専用の原子なんて存在するはずがない。 確かに記憶を保持する脳細胞の寿命はかなり長いと見られていますが、いったいどの時点のそれが「自分専用の原子集合」と仮定しますか?少なくとも精子卵子まで遡ってその構成原子を特定できたとして、誕生時点でまだ体内に残っている原子があればそれで十分に驚愕的な事ではないかと想像しますが。 もともと細胞分裂するときにはもとの遺伝子情報を元に「その辺の原子(物質)を集めて複製を作る」ってのが基本です。出来上がった複製とオリジナルの細胞に機能上の差はないからこそ、1個が2個に、2個が4個にと倍々に分裂していけるわけで。 TheOriginの受精卵の構成原子なんて、成人を構成する原子総数の100兆分の1って桁でしょうね。   2)ならば死者蘇生は可能か?  死者の将来における蘇生、蘇りは理屈の上では可能ですが、技術的には不可能です。  つまりそこらへんの原子を使ってでも、ある瞬間のあなたと「完全に同じ原子・電子の配置」を構築することが出来るなら、それは「あなた」以外の何でもないでしょう。「ある瞬間」から後の経験の違いで、誕生直後から後は「別人」となるでしょうが。 一卵性双生児でも元は一つの受精卵。分裂前は一人、分裂後は2人になりますね。アメーバみたいな単細胞生物でもそう。 プラナリアなんかも体をまっ2つに切ったら、それぞれが2つの個体として再生・成長しますが、どっちのプラナリアがもとの「彼」かは当事者にもどうでもいいことでしょう。 あとは魂とは何か、という問いに移っていくのでしょうかね?

noname#213462
質問者

補足

ご回答ありがとうございました! >いったいどの時点のそれが「自分専用の原子集合」と仮定しますか? 自分が受精卵から老人になるまでに携わった全ての原子が『自分専用の原子集合』と考えます、 受精卵の頃の原子→赤ちゃんの頃の原子→子供の頃の原子→大人の頃の原子→老人の頃の原子、それぞれ全てが自分という存在であり、かつそれぞれ原子的に別人でもあると考えます、つまり、自分は複数存在すると考えます、そして特に、今この瞬間を生きる私の体を構成する原子集合こそが『真に自分専用の原子集合』だと考えます。 >専用の原子なんて存在するはずがない >その辺の原子(物質)を集めて複製を作る 確かに、人間が生きるために、細胞が分裂するときも、人が食物を摂取するときも、食べ物をランダムに選んでいますよね、つまり、人体を構成する物質をランダムに選んでいますよね、決して自分専用の原子を選んで摂取しているわけではありませんよね、 でも、ランダムに選んだ原子が結果として自分という存在になったのではないでしょうか、自分という存在になる為に原子を選んだのではなく、結果として自分になったのではないでしょうか。 今回の質問を通して考えがまとまった気がします、正当性などない個人的な考えですが、まとめてみました。 (1)私が受精卵の頃の原子から、私が老人の時の原子まで、生まれてから携わった全ての原子が『自分専用の原子』であると考えます、受精卵の頃の原子→赤ちゃんの頃の原子→子供の頃の原子→大人の頃の原子→老人の頃の原子、これらは全て自分でありかつそれぞれ別人でもあると考えます、つまり、自分は複数存在すると考えます、成長し原子的にも存在的にも別人になっているにも関わらず人生を通して記憶や意識は継続されるため自分は不変だと錯覚すると考えます。 (2)体、とくに脳の原子が入れ替わって、存在として別人になっているにも関わらず何故それに意識は気づかないのか、それは、原子とは化学的にも物理的にも区別が全くないため完全なまでの交換性があり、つまり、原子それぞれにこれといった個性など存在しないため、脳の原子が入れ替わり存在として別人なっているにも関わらず、そのことに意識は気づくことはないのだ考えます、しかし、原子は完全な交換性は持っているが、原子それぞれは別々の存在として区別できるため、それが『自分という存在』と『他人という存在』の区別の原因となっている、さらに自分に複数の自分(受精卵、赤ちゃん、子供、大人、老人)が存在する原因でもある。 (3)そして、複数の自分が存在する中で、『真に自分専用の原子』とは、今この瞬間を生きる私の体を構成する原子の集合のことだと考えます。