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「木」の書き方 尋常小学校
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No.1です。 お返事ありがとうございます。 さて、質問内容へのお答えですが、 隷書・・→草書 隷書・・・・→行書 隷書・・・・・・・→楷書 で、 隷書・・→草書・・→行書・・→楷書 ではない。 という事で良いんしょうか? はい。そういうことです。 一見、楷書を速く書くことで行書、草書という流れを考える方が多いと思いますが、 古典作品の発見&研究の結果、 隷書から草、行、楷書が生まれたということは確実の様です。 ただ、 草書と行書のどちらが先にできあがったのかは、 現段階でもわかっていません。 書作品は、 当然、その作品を書いた書家がいますので、 その書家が生きた時代=書かれた時代=書体の誕生時期がわかるということや、 後に、その作品を手本として学んだという後の書家が 作品に、「わたしは確かにこの書を学びましたよ」という証として、 自分の印を押しているんです。 その印の持ち主の生きた時代よりも古い時代に書かれていると考えられます。 ……とまぁ、そんなこんなで、 きちんとした方が根拠を持って結論が出てるので、 「ホンマ」の話しですよwww さて、漢字(とくに毛筆)の許容範囲について、 こんなサイトを見つけました。 恐らくですが、 質問者さんと同世代くらいの方が、 質問者さんと同じ疑問を持たれて、 ひとつの結論を述べておられます。 その中に、「木」は跳ねないや、 跳ねたら×と、厳しく判断されたという一文もありました。 私は、昭和57年生まれなので、 昔の書道や漢字教育などの詳細を知りませんので、 そうなんだ~と、 とっても興味深くおもしろかったです。 良ければ、ご覧になってみて下さい。
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- TANUHACHI
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「木ははねない」とのことですが、漢字を含めて仮名文字(真名文字・ひらかな・カタカナ)には筆順があります。 先の方が書体の変遷に関してご説明されていますが、書を学ぶには「臨書」というデッサンに似た模作練習があります。これは題材となる作品を書写する練習であり一つの作品としても成り立ちます。 この際に大切な条件として (1)文字のバランス (2)その文字がどの様に書かれているか (3)筆順としての筆の動き をとらえることです。 「木」の事例に則してみれば、横棒→縦棒→左ハライ→右ハライ、の順になります。つまり筆の運動として「左から右そして上から下へ」と流れ、全体として円運動の形になります。こうした過程で「木のハネ」は左ハライへの筆の移動と見なされます。こうした意味からは厳密な意味で「ハネ」ではないことになります。 学校書道に採用されている鈴木翠軒流(高校時代のテキスト)もあれば他の流派もあります。統一的に「こうでなければならない」との絶対的な基準や約束事などありません。『蘭亭序』は行書ですが、臨書は多数あり一見同じ様に見えても実際には作成者の解釈が伴いますので個性も反映されています。 「様」という字は木偏に羊と永を書いても正解です。むしろお年を召された方には後者の方が自然でしょう。旧字体を書いても間違いではありません。同様に「トメ・ハネ・ハライ」も出るべき所とはねるべき所そしてはらうべき所さえキチンと理解出来ていれば後は書き癖もありますし許容幅もあります。 もっとも日本語固有の仮名文字に関しては先の書体の変遷ルールは通用しません。漢字を崩した形が平仮名であり偏と旁の何れかの部分を採りだしたものがカタカナですから。
お礼
私の漠然とした推論を、論理立てて頂き、とりあえず落着。 落ち着いた・・というところです。 ありがとうございました。 そうですね。臨画臨書。 お手本通りが 「うまい!上手!」と言われた時代の教科書、教えですね。 運筆の流れである止筆の「勢い」は手偏のハネとは違う性質と言うお説。はい、わかります。 また、異体字についても・・。私は人の名前では気にしますが、文章の中に出てくると「ちゃうやん(¬_¬;) 」とザラザラした感じを受ける方です。気をつけます。 あの後、いろいろ調べました。木偏が跳ねてないのもあったんですよ。 しかし、井上千圃氏のお手が活字のようにブレが無いので、返って、なんて言うのか・・紛らわしいですねえ。(*'へ'*)息遣いが見えてこないから・・。 でも、さすがに人格が滲み出るような温かい寛容ないい字ですよねえ(なので、(*^m^*) ひと目で惚れて買いました) ベストアンサーさんをひとりに選ぶのは・・σ(v_v;)難しい。 みなさまそれぞれのいろんな方向からのお力で私なりの答が見えてきましたので・・。 本当にそのご親切博学に改めて感謝申し上げます。 しかし、六歳の子供に許容の範囲という概念を教えるのは、どうなんでしょうねえ。 多分、どこかの段階で、『書写』から『書道』にすんなりいけるような心構えを示してやる必要があるんでしょう。 もっと小中高の縦の流れの中での体系的な指導を考えるべきなんでしょう。 じゃないと、混乱します、わたしみたいに・・。 ま、そういう事言ってると、学校現場も大変ですからね(^_^;) しかぁし! 私にはOK!があって良かったです。 優れた心温かなな師が一晩で集まって助けてくれます。 (^○^)/~~ほんとにありがとうございました~!
- bravo-z
- ベストアンサー率27% (63/233)
私の小学校時代には「木ははねる、本ははねない」と教わった記憶があります。最近の文字を見ると木がはねていないので不思議に思っていました。 私は昭和15年生まれです。記憶が正しければ昭和20年代は木ははねていたと思います。
お礼
どうもありがとうございます。 15年生まれでいらっしゃるとすると、小学1年は昭和21年。 びっみょーな年ですねえ! で、20年代は跳ねてた。とすると・・。 国語審議会は23年頃当用漢字(教育漢字)を決めたらしいですから・・。 その辺なんですかねえ・・。 ・・って、(^◇^;)ゞ私が 推測しても意味ないですよね。
補足
σ(v_v;)何を知りたいのか・・。わからなくなってきちゃいました。すみません。 つらつら・・と・・(v_v) 思うに・・。 <跳ねていた「木」をいつどういう理由で答案用紙に「×」がつけられるまでに厳格に教育するようになったのか?>・・ですかねえ。 だって、指導要領に則って全ての先生は教えるんですから。 先生自身が「木は跳ねる」と覚えていたのを軌道修正して教えたんですものねえ。 なんだったんでしょうねえ。 ますます不思議です。 で、現在のところの私の推測・・(^◇^;)ゞ 「戦前は行書草書が楷書と同じ比重で身近にあり、教育されてもいた。トメハネも厳格に決められたものではなく、筆の流れの中で定まり、その自由度も大きかった。戦後のいつの時期にか、「木」の2画目は跳ねないと指導要領に明らかに記述、なぜなら「根っこが上向いたら枯れちゃうから」ってその説明が納得の衝撃で「絶対」になった。・・つっか先生方が新教育ニューウエーブに張り切り過ぎちゃって跳ねたら「×」つけちゃった。その後、私が高校生になる頃そりゃあ行き過ぎだべ てな事で「あぁ、それでもこれでもありなのよ。許せる範囲よ~。」と、説くようになった。 ・・と、ざっくりですが・・いいですかねぇ。 再度ご指導頂ければ幸いですm(_ _m)
>いつの頃から 「跳ねない」になったんでしょうか? 戦後の間違った漢字教育によります。はねていない教科書体を金科玉条のものと思い込んだのです。 しかしながら楷書でははねて書くのが普通です。
お礼
ありがとうございます。 戦前の方なのでしょうか? 楷書では、「木は跳ねて書く」というご意見。了解です。
補足
教科書体は楷書により近いフォントとして作られた「読みのための書体」なので、楷書とは違う・・と、これは小学生の時に、先生から・・。 「なので、教科書体そのままで書くと間違いの場合もあるよ。もちろん新聞の書体もちがうよね。」と、おっしゃいました。 私は 教科書体を絶対のものとする教育は、受けませんでした(^◇^;)ゞ
- oakbow4490
- ベストアンサー率27% (50/185)
習字のようですから許容範囲のようです。
お礼
ありがとうございます。 私ら小学校の時は、許容範囲などという言葉さえ無く 答案用紙に×が付きました。 高校生の時ですね、知ってびっくりした記憶があります。 それでも、木は跳ねてはいけないものでした。 跳ねると、枯れちゃうから・・(^◇^;)ゞ URLありがとうございます。 <具体的には戦前,教科書体の前身たる文部省活字では木および木偏の縦画の最後ははねてありませんが,習字の手本でははねてある方が多うございました。> <文部省活字が造られる(1937年)前は,習字の手本は井上千圃(いのうえ・せんぽ)が書いていました。> という方のご意見が、今、答のような気がしています。
補足
しかし、本は跳ねない木は跳ねるって・・なんだかなあ 「行書は最終画は繋げる」であれば、(^_^;)木より本の縦画を跳ねたくなりますーっ。(v_v) なぞ・・。
- 310f
- ベストアンサー率53% (630/1185)
こんにちは。 書道の講師をしております。 写真に載せられているお手本ですが、 線と線がつながるような傾向がある字なので、 いわゆる「行書」寄りの文字と考えられます。 とくに「せ」はその傾向が出てますね。 「行書」は、 1画の終わりと、次の画の初めがつながるような流れを要します。 故に、 普段跳ねない場所が跳ねていることもあります。 いつ頃から跳ねなくなったのかに関しては、 詳細はわかりかねます。 今現在でも、 「行書」は使われている書体ですしね。。。 どちらが正しいのかと言われたら、どちらも間違っていないと思います。 特に 日本の教科書などの指導内容は、 年々ころころと、その時々で基準が変更されていますので、 世代によっても教わり方は異なっていても不思議ではないと思います。 『昔の人は跳ねて書くのか』に関してですが、 漢字の書体には、 篆書(てんしょ)、隷書(れいしょ)、草書(そうしょ)、行書(ぎょうしょ)、楷書(かいしょ) の5つがあります。 『楷書』は、現代の私たちが一番よく見たり書いたりしています。 “とめ、ハネ、ハライ”といった、 一点一画がはっきりとカチッと書かれている書体なので、 私たちには、最も身近でなじみのある書体です。 現段階では、 最も古い書体が「篆書」とされ、その後、篆書を簡略化して「隷書」ができています。 「隷書」をさらに簡略化して「草書」、「行書」、「楷書」が形成されたことはわかっており、 中でも、『楷書』が一番最後にできあがった書体ということも研究でわかっています。 つまり、 「行書」のほうが、「楷書」よりも古い書体なので、 昔の人が書いていた字が、 わたし達が書いている字よりも、跳ねたりくっついたりしているというのは確かだと思います^^; なお、ひらがな、カタカナも、元は、漢字で、それを簡略化してできた文字なので、 ひらがなでも「行書風」に書くことは可能です。 漢字を行書寄りで書いた場合は、 一緒に書いたひらがなも、同じように行書風に書くことで、 作品に一体感をもたせるという意味があります。 少し、質問内容の意図とはズレてしまった気もしますが、 最終的にはここに行き着くのではないかな…と思います^^; 少しでもご参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。 専門家から・・恐れ入ります。 戦後生まれは(だかどうかわからないですが)楷書(と教科書体)しか教えてもらわなかったです。 草書行書書けず読めず・・ 変体仮名の看板など、クイズです(;´▽`) >「行書」のほうが、「楷書」よりも古い書体 ●これも、ある人から聞いたとき「ほんとかいな(¬_¬;) 」と思いました。 速く書けるから、略式にして行書になったと思ってましたもん。 質問ですが、↑これって、生まれが古いって事で 隷書・・→草書 隷書・・・・→行書 隷書・・・・・・・→楷書 で、 隷書・・→草書・・→行書・・→楷書 ではない。 という事で良いんしょうか? すみません。お礼が質問になっちゃいました。よろしくお願いします。
補足
尋常3年生って8、9歳位ですよね。 それで、行書とか書くんですか? 行書風楷書なので跳ねてるんですか? すみません。なんかまだよくわかりません。(×_×;)
お礼
再度ご親切にありがとうございます。 篆書隷書草書行書楷書謎だった事がわかりました。 もう少し深く私も勉強してみたいと思いました。 しかし、日本人なのに明治江戸時代の書物が手紙が まったくちんぷんかんぷんって、・・なんか哀しいですよね。 >良ければ、ご覧になってみて下さい。 ●No.2さんに教えて頂いたところと同じでしょうか。 私としてはフォント書体については異論ありなんですが、 おもしろかったですね。 ありがとうございました。