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髪の毛には悪いものがついている?
恋人と別れたら髪を切る、というのは、髪には悪いものがついている、という考え方によるのだそうです。 この考え方が生まれたことに仏教など何らかの宗教は関係あるのでしょうか。 一体いつ頃からどのような理由で髪の毛に悪いものがついているという考え方が生まれたのか知りたいです。 また、参考になる書籍などありましたら教えていただけると嬉しいです。
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- bougainvillea
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髪の毛は煩悩の象徴ですね。切っても切っても次から次へと生えてくる。 なので、お坊さんは煩悩を断つために丸坊主にするわけです。 昔はシャンプーなどなくて、あまり髪を洗わなかったので ニオイもきつかっただろうし、悪いものがついていると 考えられていたんでしょうね。
- NemurinekoNya
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回答の見当がまったくつかないので、いくつかもっともらしい答えをでっち上げてみました。 1 かつてに本では、頭を丸めると、犯罪の処罰が軽くなったから。つまり、罪の軽減説。 かつて、昔の日本では、出家をすると、罪が赦される、軽減されるなどの特典があった。 今でもこの風習残っているんじゃないでしょうか。何かヘマをしでかすと、反省と称して坊主頭にした相手を、すぐに許しちゃうところありますし。 2 身代わり説 髪は、女性にとって命みたいなもの。女性にとって命とも言える髪を自分自身と見なし、髪を切ることによって、自身についた汚(けが)れをはらうことができると考えた。 いわば、切られた髪は自分の身代わり。 3 未練を断つ説 出家するとき、頭を丸める。これは、(世俗への)未練を断つ一つの儀式であり、その人の覚悟。 頭を丸めて、すなわち髪を切って未練を断つという仏教の風習が、世俗の世界へと普及した。 これ、信じちゃ、だめですよ。僕が、でっち上げた説ですから。 あくまで、参考程度に。
お礼
お坊さん丸坊主、女性の長い髪、反省して頭を丸める、どれも過去の日本人の毛髪との付き合い方がよく表れている例ですよね。とっかかりとしてとても参考になりました。 髪は悪いものの象徴として捉えられていたとばかり考えていましたが、もっと具体的に掘り下げる必要がありそうです。 日本に限らず、飼っている動物のタテガミを切られることは屈辱的なことだという捉え方がされたとか、丸坊主にすることは服従を表すとか、聞いたことがあります。 髪と人間の付き合い方をもっとよく調べる必要がありそうです。 ありがとうございました。
回答がつきませんので私見を。 哲学とは何ら関係のないことですが、生物学的には人間は、髪に体内へ入ってきた有害な毒素を集め、体自身の健康を保とうとする働きがあるそうです。したがって ヒ素とか鉛の化合物とかがどれほど摂取されたか、頭髪で分析することもその意味で有効だそうです。 身についた心的な悪い要素が頭、ひいては頭髪に集まるというのは自然な発想でもあります。したがって髪をバッサリ切って心身をリフレッシュし、再出発するという気分もなンとなく理解できます。それに宗教は関係しているのでしょうか? 頭髪は頭のさらに上にありますから、音韻だけでなく神に近いということもいえそうですが、上記の機能を先人が知っていたのなら、神が自分たちを保護しているという考えに至ったということも考えられなくもあありませんね。 髪は体の中で最も汚れる厄介なもののひとつです。それをきらないままで正常に保つというのが日本女性特有のポリしいになっていたのはすごいことだと思います。美学というよりも宗教的な倫理観が関係していたのはまちがいないことでしょう。 べたな印象論でした。
お礼
確かに、一日お風呂に入らないだけでも毛髪の不潔感はとても気になります。厄介な存在です… 体内の悪い要素が髪の毛に集まってくることは知りませんでした。勉強になります。 昔の人が、髪の毛のこういった役割を知識として知っていたとは思えないのですが、生活の中での観察からやんわりと読み取っていたのかもしれませんね。 昔の人々の、髪の毛に対する考え方、捉え方がとても気になります。安易に宗教などが絡んでいるのかなと思ったのですが、決してそれだけではないでしょうし…自分でももっとよく調べてみます。 ありがとうございました。
お礼
なるほど、髪の毛のそういった特性から煩悩の象徴と捉えられていたのですね。 そうですよね、髪の毛はコンスタントに手入れをしないとどんどん汚くなります…厄介ですしね。単純な理由ですがとても納得が行きます。 解答ありがとうございました。