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「むすんでひらいて」の歌詞について考察
- 「むすんでひらいて」の歌詞について疑問が生じています。
- "むすんでひらいて手を打ってむすんで"というフレーズについて、その意味や背景について考えます。
- さまざまな解釈が可能な「むすんでひらいて」の歌詞について、正しい解釈が存在するのか考えます。
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古い歌(童謡)を現代語にとらわれて理解すると意味が分からなくなることがあります。 「むすぶ」にはいろいろな意味があります。女性と将来を約束して「契りをむすぶ」、おにぎりを結ぶなど。 又固く口を結ぶ、結んだ手の平で水を飲む(すくって飲む)。手を結ぶも用法のひとつです。赤ちゃんが手足を動かせるようになると、母親は手の指をを動かす練習に、この結んで開いてを繰り返し教えます。この童謡は 歌うための歌ではなく、赤ちゃんの第一段階のお遊戯の歌です。保育園ぐらいまで歌うと思います。従ってむすんで開いての主語は不要なのでしょう。 古い童謡の歌詞の誤解はこの歌でも「股開いて」(又開いてが正しい)とかアカトンボの「追われて見たのは」 (負われて、おんぶされて見たのはが正しい)などが有名です。
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No.2補足します。 歌の趣旨からこれは命令形でしょう。幼児に対してお母さんが「さ~、お手々を結びましょう、今度は開きましょう・・・」と話しかけていると思います。「唱歌・童謡ものがたり」という本によれば、原曲は賛美歌だそうです。幕末か明治初期に日本へ紹介され、後に歌詞がつけられたが、今の歌詞ではなかったと説明されています。
お礼
全部依頼用法だったのですね。 原曲は賛美歌というより、哲学者として有名なジャン・ジャック・ルソーが作曲したオペラの中の曲であり、それがいろいろな国に広まった結果、賛美歌になったり、日本では「むすんでひらいて」という歌詞がついた、ということは知っています。 いずれにせよ、ほとんど完全に納得できました。 ありがとうございました。
- recoom
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>なにゆえに3番目の「打つ」になって、「手」であることを明かすのでしょうか。 歌なんだから、ただの語呂合わせでしょう。
お礼
>歌なんだから、ただの語呂合わせでしょう。 「語呂合わせ」というよりは文字数の帳尻合わせという風に言った方が正鵠を射ているように感じられます。 いずれにせよ、ご回答ありがとうございました。
- recoom
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口や手を固く閉じるときにも、「むすぶ」という言葉は使うのです。
補足
いや、それはわかるんですよ。 それならなぜ「手を打って」だけ、「手」を強調する必要があるんでしょうか、ということになりませんか? 「手をむすぶ」「手をひらく」でもよしとしましょう。 ならば、なにゆえに3番目の「打つ」になって、「手」であることを明かすのでしょうか。 そのあたりのシステムがよくわかりません。 納得できる説明があればよろしくお願いします。
お礼
あらかた私の知識の範囲内ですが、結論としては「古い遊戯の歌ゆえ言葉にとらわれるな」ということになるんでしょうか。 「むすぶ」にも「ひらく」にも、「拳をにぎりしめる」「手をひらく」という意味素があるが、「打つ」には「手をたたく」という意味素がないので、「手を打つ」という表現をするしかない、という解釈も可能かなと思うようになりました。 それと、「むすんでひらいて」の主語は「わたし」なんでしょうか「あなた」なんでしょうか。それも気になりはじめました。この「で」「て」は動作を時間軸上に並べる役割かと思っていましたが、 「ちょっとこれ結んで」のような依頼と解釈することもできるなと思いまして。まあ、主語に関してはそれほど深く追究する必要はないと思いますが。 ご回答ありがとうございました。