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水戸黄門・主題歌の歌詞について
子どもの頃からあの歌を聞くたびに変だなと感じていたところがあります。 それは、二番の「後から来たのに追い越され……」という一節です。 ここで言っている「後から来た」のは、明らかに第三者だと思われます。 だとすると、後から来た人は、追い抜くことはできても、追い越されることは絶対にあり得ないんじゃないんでしょうか? ですので、正しくは 「後から来たのに追い抜いた(失礼なやつ)」 または、 「(私は)先に出たのに追い越され(て悔しい)」 と歌うべきだと思うんですが、私の感覚はおかしいですか? ※「後から来たの」=「後から来た人」という解釈もできるとは思いますが、だとしたら作詞家のセンスはすこぶる悪いとしか言えません。 「おい、そこの若いの」みたいに、人を物みたいに言う言い方は、とうていTV番組の歌詞に使うような正式な日本語とは思えないからです。
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- JW500
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文法的整合性というと なんだかおおげさな気がしますが・・。 あくまでの私見ですので お許しくださいね。 古い歌の歌詞やいわゆる文部省唱歌などは 歌詞の一行の文字数が決まっているものが 多いですよね。 定型詩の形をとっていると行った方が わかりやすいでしょうか。 今回の曲「ああ人生に涙あり」は 歌詞を読みながら文字数を数えると 8,5、8,5,の調子になってますね。 そう考えると あとからきたのに おいこされ 8.5になってませんか。 この定型を崩さずに詩を作り 音をつけるのが曲作りの一つのやり方だと 思います。 そして歌う人や聴く人は 省略された部分を予想して、または味わって 楽しんだのでしょうね。 それから 「の」が人を表すという意見は 他の方と同意見です。 古典の文法ではこのような省略は ときどき見られるのではないでしょうか。 だから正式な日本語でないわけではないでしょう。 「~したのに」ではなく「~した人」と考えれば 意味も通じますしね。 作詞家のセンスが疑わしいのではなく むしろ限られた文字数という制約の中で 表現しているのですね。 質問者様はあまり古い歌をお聴きにならいのでしょうか。 ときどき古い歌では 文字数の関係で省略している歌詞だとか 一つの言葉で2つの意味を持つ(掛詞・かけことば) など、和歌の技法を使ったような歌詞もありますよ。
- memoko
- ベストアンサー率23% (453/1905)
あとから来たのに=あとから来たくせに ではありません。 あとから来た者に……という意味合いです。 (後から来た者に追い越されて、泣くのが嫌なら……) 水戸黄門は古い作品ですので、現代のような作詞とは違っています。 昔は、台詞など差別用語が乱れていたので、現在再放送できない作品も多々あります。タイガーマスクなど、全編「ピー」で意味がわからなくなるから再放送できないみたいですし。 ただ、日本語としての歌詞の乱れを言いだすと、昔よりは現在のほうがひどいです。 聞いていて「はい~?」という歌詞がとても多いです。 視点が途中からあらぬ方向に飛んで行ったり、使いたい言葉をムリヤリ入れたため意味不明になっていたり。 その点では、昔のほうが辻褄が合っていたと感じます。
お礼
きっと回答者さんは、文章の“視点”について理解なさってる方ですね。おっしゃるように、最近の歌の歌詞の方がよっぽどひどいとは思いますが、少し書かせてください。 何人かに、もしあなたが「後から来たのに……」と途中まで聞いたとき、この意味を「後から来たくせに」と「後から来た人に」のどちらだと思いますか?と聞いてみました。 みんな前者と取ると言っていました。 この歌詞は、文の最後まで聞いて、ああ、「後から来た人に」っていう意味だったのかとやっとわかるんです。 聞いている側は、こういう意味なんだろうなと予想して話を聞いているのに、最後にきてコロッと視点を変えられると、ものすごく聞き心地の悪さを感じるんです。 自分が神経質すぎるのかもしれませんが。
- sharako3
- ベストアンサー率29% (333/1130)
センスが悪いかどうかはわかりませんが、「後から来たの」=「後から来た者」だと思います。 歌詞だけ見ず、歌を聴いているとそう聞こえます。
お礼
私もそういう意味だと思います。 でも最後まで聞いて、やっとそうだとわかるんです。
> 作詞家のセンスはすこぶる悪いとしか言えません。 「どんぐりころころ」の歌詞で歌いましょう♪ d(・_・;
お礼
どんぐりを擬人化するのは別にいいんです。 文法的な論理的整合性なんです。
>※「後から来たの」=「後から来た人」という解釈 まさにこれですよ。 歌詞なんですからそれほどめくじらをたてることではないでしょう。 水戸黄門以外にもとんでもない歌詞の歌はたくさんありますよ。
お礼
まあそうなのかも知れませんね。 でも「後から来た人(に)」を「後から来たの(に)」と言い換えるなんて、歌詞の文章にしては無理ありますよね。
後から来たのは「相手」だと思いますので(第三者とは思わない)、問題ないと考えます。
お礼
この歌は、くじけそうになってる人に誰かが語りかけている歌です。スポットライトはその人に当てられているわけです。 仮に、ここで急に、後から来た「相手」が主語になったんだとしても、「追い越され」の述語部分の主語がまた「当人」に戻ってしまっていることに、違和感を感じてしまうんです。 「あの人は後から来たのに追い越された」 なんてふつう言いますか?
お礼
なるほど、確かに8・5調の歌詞になっていますね。そう考えると高度な作詞法ですね。昔の和歌についてはよく知りませんので勉強してみたいと思います。 回答ありがとうございます。