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インスピレイションを失うことへの怖れ
インスピレイションに依存している芸術家にとって インスピレイションを失うことは致命的です。 描けない、書けないという致命傷です。 インスピレイションを失うことへの怖れとは、自己喪失への怖れなのでしょうか?
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noname#194289
回答No.1
私は、インスピレーションというのは偶然に対する敏感性だと思います。一瞬眼前を横切ったかすかな現象をすかさずとらえる感覚というようなものです。つまり関心を自分以外のものに向けるための不断の努力のたまものとしてインスピレーションが与えられると思います。言葉のあやにすぎないかもしれませんが、むしろ自己喪失はある面からみればインスピレーションを得るための必須条件ではないでしょうか。
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お礼
ありがとうございます。 >インスピレーションというのは偶然に対する敏感性だと思います。 インスピレーションとは偶然に与えられるものである、というご意見は広く一般的な感覚だと思われますが 芸術的な仕事、特にデザイン関係の仕事をしている人にとっては インスピレーションを得ることは、ごく普通のことに過ぎないといった感覚があると思います。 そこには経験情報に留まらない未知の情報を含めたものを、ある程度意識的にコントロールできるという自負心があるようです。 言い換えれば、デザイン能力とはインスピレーションを自由に活用できる能力だという感じもします。 インスピレーションをどう捉えるか、という段階から、インスピレーションをどのように活用するか、という段階に入っているものと思います。 このような状態において、いずれは必ず訪れてくるのが いわゆる「行き詰まり」です。 感性の鋭さは変わらないと思っていても、新鮮なインスピレーションを得ることができなければ 徐々に自己喪失感を味わうようになってくるのではないでしょうか。 この事は、インスピレーションは偶然のたまものと思っている人においても 無意識のうちに自覚されているようにも思えます。 ヒラめかない、ときめかない、無感覚・・・といった 一種の精神的な老い、なのかもしれません。 感性の喪失の怖れは、自己喪失の怖れかもしれない・・・ そんな気がするのですが・・・