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ビンラディンはムジャヒディーンと対立?
ビンラディンは、タリバンの食客としてアフガニスタンに戻ってきました。 ということは、ビンラディンは昔の仲間をせん滅しようとした勢力に身を 寄せたということなんでしょうか。 タリバンは、軍閥化したムジャヒディーンと死闘を繰り広げており、ビンラディン はもともとソ連軍と戦うムジャヒディーンを支援するためにアフガンに来ました よね? なんだか、本を読んでも、ビンラディンをとりまく人たちの敵味方の関係がよく わかりません。ご存知の方教えてください。
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まず、ムスリム情勢全般の前提知識が必要なのだが、それは割愛しておく とりあえず、ムジャヒドゥンという概念は、実は定義しにくい。 いわゆるムスリムのミリシアと考えるのが通俗的な意味としては通用するが、 厳格な意味としては、ムスリムの軍事性のある組織を指す傾向が強い したがって、タリバーンもムジャヒドゥンと解するのが妥当なのだが、タリバーンと固有名詞が一人歩きして、それに追随して、アフガン紛争時に活躍したムジャヒドゥンという概念が周知された経緯がある。 その経緯の過程で、タリバンとムジャヒドゥンが別物になっているようである 基本的にビン・ラーディンを取り巻く関係は流動的なものであって、それは当然である 彼はいわゆるムスリム原理主義者ではなく、単なる反米・反自由主義社会の思想の持ち主に過ぎないのであって、さしあたって、その目的と合致しえる暫定組織と紐帯するだけに過ぎない 要は敵味方という概念に縛られることなく、利害関係で常にリアリズムに所属する陣営を渡り歩くだけの才覚・度量・人望があったのである 典型的なムスリムのインテリである彼が、イスラム主義に傾斜するのは、1979年のムスリム政変全般を見れば致し方ない部分も多いだろう もっとも、サウディ家からパキスタンに放り出された経緯など思慮すれば、彼自身が自発的に敵味方を選別したのではなく、流れのようなものから行き着いたという経緯を指摘できるだろう とりあえず、注意するべきは、アフガニスタン情勢に関しては、戦国時代の群雄割拠であり、利害関係次第は簡単に軍閥の勢力情勢も変わりうることであって、敵味方という概念捉えることが煩雑であることである ましてや、アフガニスタンは国際政治の介入によって更に複雑化しているのであるから、専門書ですら事態の経緯が怪しいものもある(らしい)
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- 畑山 隆志(@deltalon)
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概念がずれている タリバンというのはキミの言う通りだとして、ムジャヒディーンは戦士という意味だったと思うが、これでは比較しようがないんじゃないのかな。つまりタリバンでありムジャヒディーンというのもいれば、タリバンではなくムジャヒディーンというのもいるはずだよね。 さらにああいった文明が及んでいない地域は部族単位で考え方や利害が全く違う場合がほとんど。 なので(タリバンかどうか)×(出身部族)×(ムジャヒディーの立場)だけの組み合わせがあることになる(まだ他に考えられる要素はたくさんある。)から、キミの設問自体が回答不能。 もう一つ、ああいった地域では敵味方というのは、日本の戦国時代と同じで、一族の利益になれば味方、ならなければ敵になるし、そもそも国民や国家というのがなきに等しい。 だから今のわれわれの立場から考えているうちは答えは出ない。
お礼
ありがとうございました。
- nacam
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ムジャヒディーンのほとんどは、タリバンに吸収されています。 そもそもタリバンも、ムジャヒディーンのひとつです。 ソ連軍が撤退した後、ムジャヒディーン同士の勢力争いが全土で起こりました。 その時パキスタンでサウジアラビアの支援を受けた勢力が、アフガニスタンを統一しました。 それがタリバンです。 軍閥どうしの抗争に嫌気をさしていたアフガニスタン住民が、タリバンに同調したため、各地のムジャヒディーンを統合して、急速に勢力を増大しました。 しかし、ソ連系のイスラム勢力は、タリバンに従わず、抗争をつづけました。 アフガニスタン北部を支配していたため、北部同盟といいます。 北部同盟は、タジキスタンやウズベキスタンの支援を得ていました。 それ以外にも、イランの支援を受けていたハザラ人組織もありました。 アメリカのアフガン侵攻には、そえした反タリバン系のイスラム組織が大きく係わり、タリバン追放後のアフガニスタン政権は、それらの反タリバン系のイスラム武装組織が中心となっています。 しかし、北部同盟の中心となっているタジク人やウズベク人、さらにハザラ人を足しても、アフガニスタンの最大の民族パシュトゥン人に人口的に劣るため、多くのパシュトゥン人が、タリバン支持となってしまっているのです。
補足
さっそく有難うございました。 >そもそもタリバンも、ムジャヒディーンのひとつです。 いくつか本を読んだんですが、この点が全く理解できて いませんでした。もともとマドラサで勉強していた学生たち が延々と内戦を続ける元ムジャヒディーンの軍閥に嫌気がさして、 武器を持って決起した、という風に理解していました。すなわち、 どこの軍閥にも属したことのない学生たちがはじめて武器をとって 新たな武装勢力となった、という理解でした。 重ねてお聞きしますが、そういったタリバンが成立した経緯などが わかる本をご存知でしょうか? 恥ずかしながらアマヘド・ラシッド の「タリバン」は未読です。田中宇の「タリバン」と進藤雄介の 「タリバンの復活」は読みました。
お礼
ビンラディンが、反米・反自由主義思想の持ち主であり、リアリストのアプローチを持った人物、と解釈すると、スッキリしました。ありがとうございました。