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現代における「万能人」
私はアリストテレスやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ライプニッツといった多数の学問・芸術を修めた「万能人」に憧れるのですが、現代では彼らのような万能人になることは難しいでしょうか? 彼らの時代と違って、現代では学問は細分化されており、一つの学問(例えば経済学)を修めることさえ至難ですよね(経済学でもミクロ経済学・マクロ経済学・経済史・経済学史・会計学・経営史と細分化していますから)。 現代では立花隆が万能人に近いでしょうか(もっとも、最近では彼の言説には結構批判がありますが)。
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- TANUHACHI
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これはある意味「日本の学問状況」を端的に表しているともいえる指摘です。確かに経済学や法律学を含めあらゆる学問分野において細分化は進んでいることは確かです。 ですが、一方で「社会科学論」や「基礎科学論」と称される部分でそれぞれの学問が依って立つべき根源に対する問い掛けが試みられていることも確かです。 僕が学部時代の一年次だったとき入門講座の様な形で「社会科学概論」「社会科学基礎論I・II」が設けられていたことを憶えています。 アリストテレスやダ・ヴィンチそしてライプニッツといった先達の足跡を辿るならば共通する要素がみられます。それは「認識論」としての哲学的スタンスです。こうした考え方は市民革命以後さらに加速する形で継承されていき、それがアダム・スミスをはじめとする近代の巨星として歴史に名を連ねた形となります。 現代(日本それも存命中に限定)で比肩する人物を探すならば、福岡伸一や姜尚中・藤原帰一・小森陽・坂本龍一といった研究室を飛び出すタイプの研究者や寺島実朗・霍見芳浩、岸井成格・星浩、面白いところではNHKの堀潤といったジャーナリズムの世界に生きる方々くらいでしょうか。立花さんは病状の問題もありますのでコメントを避けさせていただきますが田原総一朗や櫻井良子は既に賞味期限切れといったところです。 もし今の時代にヴェーバーやマルクスが生きていたなら、(日本の)学問状況を見てどの様な感慨を抱くか興味のあるところです。 ヨーロッパならエマニュエル・トッドやジョバンニ・アリギ・トニー・ジャットといった歴史家が様々な方角に触手を伸ばしている人物として知られていますが、彼らの元々の出自も政治学や社会学といった専門領域から世界を眺めたらどの様に映って見えるかを具体的な形で表したことに他なりません。こうしたスタイルはかつての日本でも丸山眞男や大塚久雄などには確かにみられました。青臭い議論を正面から受けることのできる懐の深さを兼ね備えた言論人との括りで評価できます。「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」はこうした意味でオモシロイ番組です。
- ennalyt
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大学院に行かなければ、可能なんじゃないでしょうか。 私は専門以外にもいろんな事ができますが、自分でしこたま本を読んで勉強してきたからです。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに「専門家」にならなければ、専門外のことも勉強することができますね。 しかし、それでは「広く浅い」中途半端なゼネラリストになりはしないかと心配です。
お礼
回答ありがとうございます。 > 「社会科学論」や「基礎科学論」 このような学問が存在することは知りませんでした。