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恋愛において本当に必要とされているものとは?
恋愛において「本当に必要とされている要素」は何でしょうか? 今も昔も同じようなことではありますが,恋愛ほど多くの人々の関心を寄せるものはないと思います。現代の日本社会においても,恋愛は多くの人々が関心を寄せるものの第一位として挙がることが多々ありますが,恋愛に関する「テクニック」や,その「あり方」について,わたしはさまざまな疑問を持っています。 それらの疑問について考える為,いくつかの「ヒント」を提示しました。 〇 情熱,約束,親密さや共通性 恋愛に関しては長らく文学,心理学,経済学など,さまざまな学問の見地から論じられてきましたが,(1)パートナーに対する情熱,(2)パートナーとのあいだの約束,そして,(3)パートナーとの親密さや共通性,などが恋愛における最も重要な要素の3つであるとされました。 参考: 恋愛における3つの重要な要素(英語版ウィキペディアより) http://en.wikipedia.org/wiki/Love_triangle (1) モテるための「テクニック」だけが先行 現代の日本社会においては,マスコミ等による影響などから,恋愛に関する「テクニック」が人々の関心の的になりました。恋愛を成就させるためには,これらの「テクニック」を持つことが重要とされました。これらの「テクニック」のなかには,先に挙げた恋愛における3つの重要な要素などを前提としたものがあるので,恋愛を成就させるためには,良い方法であるといえるかもしれません。 しかしながら,「テクニック」だけが必要以上に強調されたため,あたかも「テクニック」がないと恋愛を成就させることが出来ないとされるようになりました。このことは,信頼関係の構築などといった,恋愛を含めた人間関係の構築における重要な要素を尊重することよりも,これらの「テクニック」が最重要視されてしまい,「テクニック」なき人間はいくら信頼関係を構築する能力があっても,「魅力なし」,「モテない」とされてしまいます。 恋愛がしたいのだけど,恋愛ができない。その背景には,これらの「テクニック」の受けとめかたを間違った人々が多くいることによって起きた「悲劇」があると思います?「テクニック至上主義」からの脱却が必要であると思います。 参考: 理系のための恋愛論(マイナビ) http://news.mynavi.jp/column/rikei/index.html (2) 「お兄ちゃんみたいな人」,という「あいまいな定義」 「お兄ちゃんみたいな人」,「優しい人」,など,恋愛能力に関する言説には,非常に「あいまいな定義」を含むものがあります。このような「あいまいな定義」は,どうすればモテるのかという問いに対する回答をつくるにあたって,しばしば障壁になることがあります。 たとえば,「優しい人」とはどんな人のことを指すのでしょうか?そして,「親切な人」と「優しい人」とのあいだには,どのような「違い」があるのでしょうか?これらの「あいまいな定義」が存在することによって,恋愛が「難しいもの」になってしまったと思います。 そして,ついには「東大に入ることよりも,パートナーをつくるほうが難しい」とまで揶揄されるようになってしまいました。 参考: グーグル検索(「お兄ちゃん」,「恋愛対象」で検索) http://www.google.co.jp (詳細なURLは省略しました) (3) 個人の「スペック」に関する言説について 「モテるためには・・・・・・」という主旨の質問に対する回答のなかには,「自己投資」を強調するものがあります。たとえば,スポーツをやること,楽器を演奏すること,外国語を学ぶことなどが挙げられます。 ところが,「スペック」が高い,あるいは,「出来ること」の範囲が広くなれば広くなるほど,人間は他者から「敬遠」されてしまう場合があります。「この人とは距離をおいたほうが身のため・・・・・・」,などと思われてしまう場合があります。 このことに対しては,「物は言い様」,あるいは「能ある鷹は爪を隠す」,「言わぬが花」といった,日本社会における「美徳」とされるものに関連しますが,何事も「カモフラージュ」することが重要であると受けとめる日本人は多くいます。 「スペック」の高さを感じさせない「第一印象」を持つことが,「魅力」であるとされるのですが,それを身につけるための条件などが,非常にあいまいです。 参考: オトメスゴレン(恋愛に関する言説などが掲載されている) http://girl.sugoren.com/ (4) 恋愛が「天賦の能力」と化してしまった「不都合な事実」 現在の日本社会における恋愛事情に関しては,恋愛に関する能力そのものが「天賦の能力」であると多くの人々が認識したことであると思います。「生まれ持ったもの」をもたない限り,モテることがないだろう,ということです。 当然のことですが,いわゆる非モテで活きることを選択した人々も多いかと思われます。しかしながら,なかには非モテ脱出,KIRIN克服という目標を持っている人々がいることも事実です。 恋愛能力そのものを「天賦のもの」であるという考えから脱して,「公平なまなざしをもって他者を評価することの大切さ」が強調されることが好ましいはずです。 恋愛に関する「スキル」のなかにも,「普遍的な何か」があるはずですから,それが適切に強調されることが望ましいのです。 参考: オトメスゴレン(恋愛に関する言説などが掲載されている) http://girl.sugoren.com/ (5) 恋愛と「リスク」に関して 前述の「東大に入ることよりも,パートナーをつくるほうが難しい」という揶揄に関連して,恋愛と「リスク」の関係についても考える必要があります。 個人と個人が恋愛関係にいたるまでには,さまざまな「ステップ」が存在します。そして,ひとつひとつの「ステップ」に,経済的な負担が発生します。パートナーとして選んでくれる為に,さまざまな「リスク」をとります。たとえば,「男性がデート代を負担すべき」という考えが存在しますが,このとき,男性はパートナーになってくれそうな人のために,経済的な「リスク」をとります。 経済的な負担はいかなるかたちであっても「リスク」であり,それは「投資」,「投機」でもあります。パートナーになってくれるだろう人の機嫌が悪くなれば,「大失敗」ということになります。 勉強のための努力とは異なり,恋愛のための努力は「むくわれない」ことが前提となってしまいます。猛勉強をしたので高校に入れた,大学に入れた,試験で100点をとったということとは,大きく異なります。「努力」はしたのだけど,何らかの理不尽な理由で実らなかった,パートナーとなってくれるだろう人が去ってしまった・・・・・・,なんてことはよくあります。 そのような「リスク」があるため,「リスク」から解放されたライフ・スタイルを模索する人々がいます。 参考: 彼女はいないけど・・・(OKWAVEより) http://okwave.jp/qa/q4324915.html
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No7です。お返事ありがとうございます! 再び失礼します。 >いまだにそれらの「言説」を「アクション」(あなたが指摘されたところの“現場実習”)にもっていったことはなく,あたかも「申請される特許の数が膨大なわりには,活用されたケースが指で数えるほどでしかない」状態になっています。いつか,「活用」される「そのとき」が来ることを,願いたいものです。 なるほど。 では今後、機会がありましたら、ぜひ「言説」を「アクション」にもっていかれることをおすすめします。昔から言われる「百聞は一見にしかず」という諺は実に正しい、と私は感じております。 恋愛でもなんでも、自分だけの経験論で物事を語ると確かに極めて主観的になりがちではありますが、臨床は、なかなか悪くないものです。ずたぼろに惨敗する恋愛も良し、パートナーに恵まれて理性を失うほど浮かれ気分になるもまた良し。どちらでもいいので、とにかく実践をしてください。現場では、想定外の様々な事象が体験できるかもしれませんし、もしくはあなたの事前知識が役に立つ時がくるかもしれません。 その後で、またこちらに投稿して頂けたら、さらに実のある、あなた自身にとっても実感を伴った有意義な意見のやり取りができると思います。それに実践後のあなたなりの見解もぜひお聞きしたい。おそらく一朝一夕で得られる結果ではないでしょうが、楽しみにしております。
すごい…。これ卒論か何かで提出されるのでしょうか。achievecharityさんがおいくつか存じませんが。 つっこみどころ満載ではありますが、これはこれで面白いので否定はしません。 ただ、素直に感想を言わせて頂くなら…achievecharityさんは典型的な、情報に踊らされるタイプの方なんだなあという印象です。おそらく恋愛指南本とか沢山お読みなんでしょうね。恋愛をたくさんお勉強されてるご様子。現場実習もちゃんと行われているんでしょうか。 >そして,ついには「東大に入ることよりも,パートナーをつくるほうが難しい」とまで揶揄されるようになってしまいました。 ついには…って笑ってしまいました。申し訳ない。揶揄なので大げさに表現していることは理解できるのですが、もしこれが真理であれば、今や日本は東大合格者で溢れかえっていますね。すごいことになりそうです。 以上の分析が、実戦で生かされる日がくるといいですね。
- angelo77
- ベストアンサー率15% (304/2021)
私にとって一番大事なのは、相手がどれだけ誠実に私を思ってくれるかです。 哲学やリスクなど外側を固めて論破したところで、気持ちが動かなければ意味ありません。
お礼
回答ありがとうございます。 あなたの回答を拝見して,「誠実さ」を重視する人々がいるということに,「少々の安堵感」を得たことを,はじめに書きます。 しかしながら,あなた自身の考えているところの,恋愛関係における「あり方」がどれだけの人々に分かちあわれているかについては,わたしは懐疑的な見方をとっています。ペシミスティックな見方かもしれませが,あなたが提示された「あり方」を持つ人々が,マイノリティになるのではと思うときがあります。
- ponsuke6
- ベストアンサー率27% (40/143)
本当に素敵な素晴らしい人と出会ったら その緻密で隙のない分析がいっぺんで吹き飛びます。 それが恋愛哲学だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 「当事者にしかわからないこと」,あるいは,「当事者でなければ語ることのできないもの」というものがこの世の中に存在するのですが,「恋愛」においても同様のことが当てはまるのだと思います。それは,「当事者」でなければ「説明できない」,「語ることのできない」という「難しさ」をともなうものだと思います。 質問文のなかで参考として挙げたリンクのなかに,“突然事故にあったかのような大恋愛”という言葉があったのですが,そのようなものを「経験」することが,「ヒント」になるのかもしれません。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4324915.html (この20番目の回答になります)
1、同じ価値観であること 2、信頼出来る相手であること 3、コミュニケーションが親密に取れること だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 あなたの回答は,いわゆる「ステインバーグの理論」を基にしたものだと思います。そのなかでも,あなたはおそらくは「インティマシー」の部分を強調されたいのだと思います。 多くの人々が,「インティマシー」を恋愛関係における「重大なアスペクト」として受けとめています。その背景には,「インティマシー」そのものが,人間関係を構築するにあたっての「第一歩」になるからだと思います。 そこから,次なる「命題」なり「課題」になるのは,おそらくは,「インティマシー」における要素のうち,どのような要素が最重要であるかということになると思います。それは,個人によって変化するものであると思いますから,何らかの「パターン」なり「法則」に当てはめるのは,おそらくは,とても難しいものになると思います。 参考: ステインバーグの理論(英語版ウィキペディアより) http://en.wikipedia.org/wiki/Triangular_theory_of_love
- jamamono2
- ベストアンサー率25% (117/463)
質問者様は恋愛される時にこんな難しい事を考えて恋愛しますか?…。 私は頭悪いから無理です。 違うかも知れませんが出て来る答えは有りの儘の自分を如何に、さらけ出し合い、それで居て御互いを尊敬し感謝し触発し心の絆を強く強く結び合えるか?…、 十人十色…当然ですね。皆様方々、理性と感情を自分の中で戦わせながら自分の生命との相性渡合を計り期待し1つに成ろうとする…。 でも現実はどんな難しい恋愛論を展開されても感情に対しては果たして通じる時ばかりでは有りませんね。 日本社会に規範と成る生命哲学が有りますか?…。 政治.経済…何1つ取っても最後に物を言うのは個人の人間を精神的に支える共通した生命哲学!…昔は間違ってたとしても是が有ったが今は無い!…。 マナーだの常識だのデリカシーだの…全ては自分達に都合の良い言葉…。 最後に物を言うのは生命哲学!…。 是無くして恋愛も何も有りませんね。 生命の世紀とも言われる今世紀!…生命軽視!…そんな生命哲学が無い現代に質問者様の仰る恋愛論を高々と掲げても無駄だと言いたいのです。 今のこうした社会を悪世末法!…個人個人の生命の中に私利私欲…不潔.自己中.傲慢.嘘吐き…14誹謗(検索すれば解ります)を中心とした悪い生命が宿った人間達の集まりが今の社会だと言う方々も居ます。 では社会.個人.生命.恋愛…そして今の社会…を根底から変革出来る崇高な大生命哲学とは何ですか?…有るとしたら、どうして社会は、それを正しく見極め受け入れ無いのか?…。 何故、人は争いを好むのですか?…。 私も質問したいです。 質問から物凄く脱線致しました事を深く御詫び致しますが質問から恋愛論に1番必要な物は人間が生きて行く上で信じるに至る最も規範とすべき大生命哲学!…是無くして他に何が有りますか?…。 是だけは解って戴ければ有り難いです。 質問の回答はこの大生命哲学!です。 答えに成ってませんか?…。
お礼
回答ありがとうございます。 あなたがされた「指摘」は,たとえば,過去には作家の遠藤周作氏がみずからの作品である「海と毒薬」において鋭く指摘されました。あるいは,実業家でもあり,そして,官僚でもあった白洲次郎の主張された「プリンシプル」にも通じるものだと思います。 このことについては,さまざまな「議論」が考えられます。極端な考え方なのかもしれませんが,「すべての人類にあてはまること」とは,「時間」のみだと考える人々がいる一方で,他者にたいする「まなざし」や「愛情」などから,「すべての人々に当てはまる“何か”」を見出そうとしている人々がいます。 多様化した社会においてこそ,このような「考え方」なり「概念」が必要なのかもしれません。あなたの回答は恋愛関係のこと以上に,それにも大きく関わりのある,「人間のあり方」に関するものであると思います。今回の質問の回答としては,その意図から大きく外れたものであったことは残念なことではありましたが,哲学に関する質問を出したときに,回答してくだされば幸いです。
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
ご質問者様こんばんは。 ご質問のようなご回答のような(^^;; 恋愛は女性に選択権があると思います。女性は一人一人が独自の世界観を持っていらっしゃるので、男性は受け入れてもらえそうな女性と出会うしかないのかなと思います。 女性には独自の世界観があると書きましたが、それは、どんな男性との間に子供を授かりたいか?というとても個人的な志向の問題から生まれるものだと思います。金がある人、格好いい人、性格がいい人と様々ですね。 僕は恋愛から「自分自身を愛する」ことを学ぶことが出来ると思います。 恋愛では上手くいかないことの連続です。お互いのわがまま、意見やタイミングの食い違い、相手への不信。喧嘩、浮気、無視、そして別れ。このような経験は人と交際すれば誰もが経験することですね。 恋愛が辛い経験に終わるのは、人間性の成長の為です。 恋愛の失敗の大きな原因は、「相手を都合良く利用しよう」という考えです。自分の思い通りに相手を動かしたい、束縛したい、相手を血の通わない「物」のように扱いたいという考え方を根底に持ちます。 このようなサデスティックな対応を他者に、それも好きになった人に出来てしまうのは、人間性が未熟であるからです。自分自身への深い愛情が未熟であるからです。 いくらテクニックがあろうとそれは些末な問題かもしれません。本当に気に入った人に通じなければ意味がないのですから。相手の方をよく知り、思いやりや気配りをこちらからしたいと自然と思えて、尊敬が出来る方を人は心の奥底から望んでいるのだと思います。 自分自身の生命感を高めることから生まれる、否定の否定という強力な思考法を恋愛は辛い経験から私達に与えるのだと思います。 ご参考になれたら幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 あなたは恋愛関係においては女性が「主導権」を持つものとして受けとめていますが,そのような「事例」が多く見受けられるからだと,わたしは思います。この点は,わたしはそのような経験がないので,ひとつの「参考」になると同時に,そのような「考え方」によって,どのような「影響」がもたされるのかについては,わたしはわかりません。もしかしたら,あなたが指摘された「関係のあり方」を実践することが,当事者である男性女性の双方にとって,なにかと「有利」なのかもしれません。 人間性を「育む」ことにおいて,恋愛経験を通してさまざまな「メリット」があるというあなたの意見には,わたしは賛同できます。そして,あなたの考えるところのパートナーへの「態度」や「まなざし」は,多くの人々が理解しなければならないことであると思います。
- huntergogo
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恋愛において本当に必要とされているものとは? →あれやこれやと机上の理屈を色々考えないことが必要です。
お礼
回答ありがとうございます。 多くの人々にとって,「正論的」とされる回答であると思います。 恋愛には,個人の感情や私情がからみますので,「理論」,あるいは「理屈」では説明できない「難しさ」があるのだと思います。 そういった「難しさ」,あるいは「理不尽さ」も含めて,受けいれるべきという考え方もあるということだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 「東大に入ることよりも,パートナーをつくるほうが難しい」は,「面白い揶揄」のひとつだと思います。 そして,これはわたし自身のことでもありますが,エスニック・スタディーズ(学問分野のひとつ)に触れるようになってからというもの,恋愛や結婚については,さまざまな「言説」に触れてきました。 いまだにそれらの「言説」を「アクション」(あなたが指摘されたところの“現場実習”)にもっていったことはなく,あたかも「申請される特許の数が膨大なわりには,活用されたケースが指で数えるほどでしかない」状態になっています。いつか,「活用」される「そのとき」が来ることを,願いたいものです。