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実在の一休さんの師匠に関する質問です
皆さん御存知、とんちの一休さんですが 私の子供の頃にはアニメが放送されて大ブームでした ただ、当然の事ながら アニメと実在では設定も違うんですが 今回質問したいのは、一休さんの和尚さんの事… つまり一休さんら見れば師匠に関する質問です アニメでは、安国寺での修行のみで終了する訳ですが その安国寺では、一休さんの名前で 和尚さんが外観(がいかん)和尚の設定です しかし実物は、同じ安国寺での修行で始まりますが その安国寺では周建の名前で、和尚さんの名前も ネットで調べると、像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)と載ってます ただ…私が小学生の時に読んだ本では 「ぞうげかん」和尚と書いてた様に記憶してます 勿論、私が小学生の時では もう40年位前の記憶ですから 当然、私の記憶違いの可能性の方が圧倒的に高いと思います でも、この様な歴史上の人物の場合 今で言う、ニックネームとか別名が存在します 例えば…ですが、あの水戸黄門の水戸光圀は 本名(?)は徳川光圀ですが 一般的には水戸光圀で通ってますし 更には、ニックネームで梅里(ばいり) そして、ドラマでは4代目の光圀公だった 石坂浩二氏以外は、道中では 旅の隠居「光右衛門」だったのに対して 石坂氏の時代には「日新斎」と名乗ってましたが 私は、この「日新斎」が「光右衛門」同様に ドラマの設定した名前だと思ってたんですが 最近「梅里」同様の名前だった事も知りました その様に、和尚としての本名が像外集鑑でも 別名等で「ぞうげかん」みたいな名前という事は 無いだろうかと思い、質問しました
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- D-Gabacho
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つまり別名ではなく「集」の字を省いて呼んだだけということ。源左衛門を「源さん」というのと同じ。
- D-Gabacho
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一休さんの伝記の基本史料『東海一休和尚年譜』は、集の字を略して「像外鑑公」としています。~公、~和尚といった敬称をつけるとき、フルネームだと字数が多くてくどくなるので、こういう省略はよくあります。たとえば、真言宗の祖として知られる空海は「海公」「海和尚」と呼ばれています。僧侶の戒名の二字のうち、頭の一字は師弟で同じ字だったりすることが多いので、ふつう、後の一字を使うようです。「像外集鑑」の場合、「像外」は「一休」と同じく禅僧特有の道号で、「集鑑」が戒名ですから、「鑑公」と「鑑和尚」となるわけです。 また、「ぞうげかん」という読みについてですが、「外」を「げ」と読むのは仏教用語ではふつうなので、間違いではないように思います。たとえば、「外道」の読みは「げどう」で、「がいどう」とは読みません。漢字の読みには漢音と呉音があって、外を「がい」と読むのは漢音、「げ」と読むのは呉音です。仏教用語や僧侶の名前は呉音で読む場合が多いですから、むしろ「ぞうがい」という読みのほうに疑問を感じます。
お礼
回答有難う御座います 一応解説は何となく分ったんですが 肝心の結論(?)は、どうなんでしょうか?
お礼
なるほど…そうすると 「ぞうげかん」でも間違いでは無い(?)と言う事と 私の読んだ本でも、今から40年近く前の 更に子供向けの伝記の本と考えれば そう書いてた可能性は 十分に考えられると解釈して良いと言う事でしょうか?