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ビッグバン
何もないのにどうして宇宙が生まれたのですか? 普通に考えておかしいですよね? 空間がないのに生じたゆがみとは一体何のゆがみですか?
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有と無の定義は論文によって違います。 また存在の定義も別にあります。 この辺は哲学的(論理的)にはデカルトや、形而上学などが紀元前より説明しています。 科学的(または数学的)には、アインシュタインの時代以降説明がされています。 >何のゆがみですか? 「何」であるかは、実測が不可能ですのでなされていません。 論理的な説ではかなり矛盾が取り除かれた形でいくつかの説があります。(インフレーション、ひも理論など)。 空間以前に、何らかのエネルギー、若しくはそれに類似したものを予見させる理論が多いです。 (予見と言うかもう決め付けてるという理論が多いし、そうなるのはある意味当然かなとも思います)。 なお、ビッグバン理論は根本的には、仮に宇宙の膨張を逆算するとどうなるのか、と言う事を考えた理論で、 別に揺らぎが生じたとかを考える理論ではなく、副次的に(しかも別の理論により)その可能性に至ったにすぎません。 だからビックバン理論は、発表当初と内容が全く違うのに、何の問題もなく未だにビッグバン理論たりえるわけですね。 無と有についてですが、 本当に完全に何も無い状態のみを無とする理論はたぶんないです。 (たとえば弦理論では四次元空間内同士での干渉を及ぼさない物を無として扱います)。 哲学的には先にも上げたデカルトや形而上学がわかりやすくなっています。 例えば形而上学では、人間の扱う言葉や概念、及び認識した物は、 全部人間が勝手に決めた架空の物で妄想だ。真理ではない。 とし、根本的には無も有も区別できない物として扱います。 こう言ったことは、哲学的な論理で証明されたのは紀元前、科学的な論理で説明されたのは100年程度前です。 (科学的には「証明」はされてないかもしれないです。ちょっと分からないです)。
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多分こういうことじゃないかと思うのです。 たとえば夢の世界です。 人間は眠ると夢を見ますが、その夢の世界は一瞬にして現れます。 ゴルフ場の夢を見たとしてもあの広大なゴルフ場が一瞬にして現れるのです。しかし、そこにゴルフ場があるわけではなく、ただ心の中の映像に過ぎません。 このように、一瞬にしてできた宇宙も、そこに空間があるのではなく、人々の心の中に同じ映像があるだけではないかと思います。 つまり、この世界は人類の総合的な夢ではないかと思います。 仏教ではこれを『空』とよばれています。
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ありがとうございます。
#3のお答えが現在のパラダイムからして穏当なお答えです。 #2のお答えは「お答え」と言うより自説の押しつけで、かえってわかりにくくなっています。 #1のお答えのように考えると永遠に何のお答えも出てくるはずはありません。
お礼
分かりました。 参考にします。 ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
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「何もないところから生まれた」ということは、「無から有になった」と考えている訳ですね? しかし、「有る」という事の実態を知ると、それは無とオーバーラップするものである事が分かります。 全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に基づいており、無限につめ込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもので、根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。 実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。 客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。 認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、そこから経験=過去(=超光速)と予測=未来(=光速下)は対発生しているのです。 無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性(時間の流れ)」の相補としての「時空仮説性(空間的広がり)」。 「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを伴う世界、ということです。 即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。 だから「その外」や「その前」は、何もなくて当然です(元々無いのだから)。
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ありがとうございます
- lv4u
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>>何もないのにどうして宇宙が生まれたのですか? 普通に考えておかしいですよね? まだまだ、地球の科学は幼稚です。宇宙の成り立ちなんてなーーんもわかっていません。質問者さんのお考えのとおり、ビッグバン理論はおかしい、デタラメと考えておけばいいと思います。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。 有と無は必ずしも相反するものではない…。胸が躍りますね。