少し難しくなりますが、理論的な話をします。
1,憲法では、天皇の地位は国民の総意に基づく、とされています。
ここに言う国民というのは、現在生きている国民のことでは
ありません。
国民概念には2種類あります。
一つは、現在する国民です。
もう一つは、過去、現在、未来を流れる観念的な統一体
としての抽象的な意味での国民です。
いわば「歴史的意味での国民」です。
民主党の小宮山厚生大臣は、これを知りませんでした。
朝生で指摘され、きょとんとしていました。
憲法1条にいう国民というのは、この歴史的意味での国民を
指します。
だから、総意の確認など採りようがないのです。
憲法43条の、国民も同じ意味です。
そうでないと、将来生まれてくる国民に対して、法律を守れ
と言えなくなるからです。
すなわち、何故法に従うのだ、といえば、それは代表者が作った
からだ、つまり国民が作ったと同じだからだ、自分で作った法を
自分が守るのは当然だからだ、ということに基づきます。
しかし、そうなると、その時生まれていなかった人、選挙権を
持っていなかった人が法に従うべきことを説明できません。
生まれてもいないのに、自分が作ったのと同じだ、と言われても
納得できないからです。
それで、歴史的意味の国民だ、とするのです。
ただ、近年では、同一性の理論により、歴史的意味の国民と
現在する国民とを一体的に同視しようという説が強くなっております。
2,この歴史的意味の国民という概念からは、天皇も国民代表に
なり得ます。
単なるアイソロジーによる刷り込みではありません。
きちんとした理論的根拠があるのです。
3,それから天皇を守るために血が流された、天皇が戦争の原因に
なったから、という意見もあります。
しかし、それなら民主制の為に血が流れ、民主制下で戦争が
起きたら、民主制を廃止しろ、というのでしょうか。
第二次大戦において、侵略を始めたのは、欧米の民主制国家で
あったことを忘れてはならないと思いますが、どうでしょう。
天皇制は一見すると、その必要性が乏しいように感じます。
しかし、天皇制は幕末や明治維新を想定して残された訳では
ありません。
国家緊急の時には、国民統合の機能を果たせる力を持っているのです。
米国辺りは、ここのところをよく理解していて、天皇は軍隊に
例えると、17個師団の力をもっている、と分析しています。
理性で政治をやるのが理想だ。
人間の理性を信じ、不要なものは廃止しろとして、伝統や
歴史を無視した政治をやって、失敗したのが社会主義です。
理性てのはよく間違えるのです。
人間はそれほど賢くないのです。
歴史や伝統は大切にする必要があるのです。