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ウォーホルについて。
いまレポートを書いていてウォーホルを題材に色々調べていて疑問があるんで教えてください。 ・ウォーホルはアメリカ(ニューヨーク)の美術界ににどんな影響を与えたのか?…僕の調べた本では当時アメリカを支配していたポロックらの抽象的な表現派主義とは違った方向性を見出した的なことが書かれているんですけど専門用語などが多くてよくわかりません。 ・ウォーホルは当時のどのような階級どのような人々に、どう支持されたのか? このほかにもウォーホルを語る上で重要なことがあったら教えてください。よろしくお願いします!
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- ghostbuster
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1940年代以前の現代美術の運動は、ヨーロッパで誕生→アメリカへ、という流れをたどっていますが、抽象表現主義(「抽象的な表現派主義」ではなく、ひとつの運動の名前なので「抽象表現主義」と記述してください)登場以降、相互に影響を及ぼしつつ発展していくような関係になっていきます。 抽象表現主義の特徴を簡単に言ってしまえば、できあがった作品というよりも、むしろ絵を描くという行為そのものが自己を表現するものである、と強く意識された点です。 まず、絵のものが非常に大きなものである。 その大きなキャンバスに向かって、速乾性のアクリル樹脂系絵の具を使って、絵の具をぶちまけたり、全身を叩きつけるようにして描いていったりする(ちょっと前の映画ですが、“ニューヨークストーリー”の第一話、スコセッシ監督の作品の中で、ニック・ノルティ扮する画家が絵を描くシーンがあります。あれがまさに抽象表現主義です。時代的にはちょっとちがうんだけど)のがアクション・ペインティングとよばれるものです。 これと、カラー・フィールド・ペインティング(大画面一面に単一もしくは単純化された線による分割で二、三の色をのせ、平面であることを強調したもの)が抽象表現主義の作品が行きついたふたつの方向性となっていきます。 こうしてアメリカ美術界の主流となった抽象表現主義運動ですが、理論を偏重しすぎるのではないか、という批判が生まれ、その批判として具体的に登場したのがポップ・アートです。 ポップ・アートの発祥の地はイギリスなのですが、'50~'60、アメリカ・イギリスを発信地として世界中に拡がっていきます。 それを代表する画家の一人がウォーホールです。 ポップ・アートは、単に美術の運動としてだけではなく、コマーシャル、印刷、服飾デザインなど、広範な領域に影響を及ぼしたことから、20世紀のもっとも重要な芸術運動ととらえる見方もあります。 ウォーホールに関して、まず重要なのは、彼がコマーシャル・アート出身である、ということ。 イラストレーターとして出発しましたが、間もなく広告デザイナーとして頭角をあらわし、一定の評価を得た後に美術界に入っていったことです。 彼の作品の意義に関しては、#2さんの二点目と三点目、大変よくまとまっていると思います。 あえてつけ加えるとするなら、彼はキャンバスではなく、シルクスクリーンによる印刷を手法の中心に据えることで、反復、大量生産を可能にしました。 この反復・大量生産にどういう意味があるかというと、たとえばいくつも並んだマリリン・モンローの図像は、反復することによって、たとえば従来の絵画のマリア像に見られるイコンの偶像的イメージを無化し、破壊しようとしているわけです。 #2さんの >伝統に対する創造的破壊を行なってきたわけです。 は、具体的にはこうしたウォーホールの特徴である反復のことをおっしゃっておられるのだと思います。 そうしたウォーホールの作品は、非常にわかりやすく、力強く、明確であったため、美術愛好者のみならず、幅広い層に影響を及ぼし、彼は'60年代の「寵児」となっていきます。 >・ウォーホルは当時のどのような階級どのような人々に、どう支持されたのか? あらゆる層に熱狂的に支持された、という以外、ないのではないでしょうか。 『ウォーホル パーティーのあとの孤独』(フレッド・ローレンス・ガイルズ著 文藝春秋)、『イーディ―’60年代のヒロイン』(ジョー・スタイン、ジョージ・プリンプトン 筑摩書房)など読むと、当時の様子などがよくわかります。 他方、美術運動としてのポップ・アートは、'60年代半ば、ミニマル・アートが登場して以降は、前衛芸術の最先端の座をそちらに譲ることになります。
歴史のない国であったアメリカから生まれた 欧州を中心としたブルジョア的な芸術に対するアンチテーゼとして機能したのが 最大の功績だったのではないでしょうか。 3つのポイントがあると思います。 まず、写真の発明によって 写実的な絵画は窮地に陥ります。 そのような状況を打破すべく、まず抽象絵画が発達します。 やがてもうひとつの可能性として ウォーホール等が注目されたわけです。 次に、ダダイズムの代表的な芸術家である マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」を より大衆的にしたことです。 レディ・メイドの最も有名な作品「泉」はご存じでしょうか? ご存じなければググッてみて下さい。 レディ・メイドには 芸術品であろうが、匠の一品であろうが、工業品であろうが どれも、みな人がつくった作品ではないか? そこに貴賎があるのだろうか? という問いかけであったのですが ウォーホールは歴史のないアメリカにおいて あえて、大衆向けの大量生産品や、ハリウッドスター そしてアンダーグランド文化といったものを アートの文脈に置く努力をすることで 伝統に対する創造的破壊を行なってきたわけです。 最後に、ウォーホールは自らの工房を「ファクトリー」 と名付けましたが それも、芸術の制作行程を特権的なものから ストリートに解放した、とでも申しましょうか 芸術を工場でつくる、といったある種の皮肉を 表現したわけです。 後にマーク・コスタビなどがその発想を発展させていきますが 本当にアーティスト本人が書いているのか?といったことを わざわざ疑わしくしてしまうわけです。 そこには作品を誰がつくったか?よりも 「ウォーホール」というサインや名前に金が払われているのでは? といった皮肉が込められています。 これはブランド文化に対する皮肉で そこにマス・メディア時代に対する先見性があったというわけです。 これらを言い換えれば 芸術品/工業製品、オリジナル/コピー ブルジョア文化/ストリート文化、ヨーロッパ/アメリカ といった二項対立を「無化」していった、ということだと思います。
- miri42
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ウォーホルについて前編・中篇・後編と詳しく書かれていますので 参考になるかも知れません。