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天国など誰も望んではおりません
ある男が死に、三途の川に向かって歩いておった。 すると三途の川の手前で道が二つに分かれ、道の真ん中に御代官様が立っておった。 御代官様は男に訊いた。 あんたは極楽に行って永遠の命を楽しみたいか、それが望みであれば右の道を行くがよい。 それとも全てを終わりにして無になりたいか、それが望みであれば左の道を行くがよい。 男は極楽へ行けると聞いて迷わず右の道に向かいかけた。 そのとき御代官様が念を押して訊いた。 この道を行けば極楽へ行き永遠に生き続けることになるがそれでよいか。 そこで男は暫く考えた。 たとえ極楽であろーと永遠に生き続けてよいのであろーか? すると考えが変わり、向きを変え左の道へと向かった。 これを見て御代官様は胸を撫で下ろし、男に向かって言った。 「今までに極楽に向かって行った者は何人もはいたが、皆途中で恐ろしくなり引き返してきよった。 そしてあんたと同じよーに反対側の道に向かって進んで行ったよ。 わしはそれを見る度に胸を撫で下ろした。 それでえー、それでえー。」 これで天国などとゆーもんは誰も望んではおらんゆーこと、皆も分かったと思う。 あ~、
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- Mokuzo100nenn
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>永遠の生という恐ろしさを一瞬のうちに知るのである。 永遠というフィクションが何を意味するのか考えたことがないからじゃろうて。 数学上にしかない無限の概念が自然界に存在しうると信じて疑わない人のなんと多いことか。 ところで、地球が太陽に飲み込まれる時には、極楽も灼熱地獄になるんじゃないんかいね?
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
ワシなら、まずは極楽に行って、ホンの50億年ほどは過ごさしてもらいます。 地球が太陽に飲み込まれるときに、極楽ッっちゅうところはどのくらい暑くなるもんか、知りたいもんじゃからね。 50億年後に地球が飲みこまれるのを見終わったら、その先も極楽とどまるかどうか、考えようと思うちょるが、駄目かいね?
お礼
>50億年後に地球が飲みこまれるのを見終わったら、その先も極楽とどまるかどうか、考えようと思うちょるが、駄目かいね? 木造さんよ、それは甘いとゆーもの。 わしも最初の10年位なら極楽はえーところであると思う。 何せ毎日昼は旨いものが食えて、酒が飲めて、夜はぷりんぷりんのお姉さんたちと一緒におねんねできるのであるからこれ以上えーところはない。 ただし、一度この極楽に入ると二度とそこから出ることは出来ない決まりである。 人は死んだ後、三途の川を渡る前に極楽に行くか、そのまま消えて無くなるか決めねばならんのである。 極楽の光景は三途の川に近づくにつれ段々とその姿を現す。 極楽を目指した人は三途の川の手前に来るとこの極楽の光景を目にする。 それは光り輝くほど眩しい世界である。 一度その中に立ち入れば現世で味わえる最高の世界を味わえることを知るのである。 しかし、極楽を目指した人誰もがここに来て極楽に入ることをためらうのである。 なぜならこの光り輝く極楽を前にして、その恐ろしさを本能的に察知するからである。 永遠の生という恐ろしさを一瞬のうちに知るのである。 そして三途の川を渡ることを諦め引き返す。 殆どの人間はそーすることになる。 そしてもとの道に引き返し、そのまま消えて無くなるのである。
>>あなたは創△学会の人ですか。 私は特定の宗教に属した者ではありません。 ただ、原始仏教の阿含経を読んでそこに書かれていることを述べています。
- 雪中庵(@psytex)
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現代人は、誰も先のことを「望んで」生きている訳ではない。 目先の利益や出世、虚栄心など(あるいは食欲・性欲など 短絡的衝動)によって、結果的に生かされているのであり、 天国も地獄も関係ない。
人間は極楽に行くことはできません。 その理由は人間は誰でも『欲望』を持っているからです。 その『欲望』が人間の世界に生まれさせているのです。 人間は永遠に生きています。 ただ、欲界という12の世界を生まれ死に生まれ死にを繰り返しています。 したがって、永遠に生きていることには間違いないのです。 もし、生まれ死にを繰り返したくなく、永遠に同じ世界で生きていたいなら、『欲望』を滅尽しなければならないのです。 その『欲望』というのは『貪瞋癡』です。 貪 =欲望(性欲・物欲・金銭欲・自己顕示欲) 瞋 =怒り・恨み・嫉妬・不満など 癡 =無知(空を知らない・十二因縁を知らない)
お礼
>ただ、欲界という12の世界を生まれ死に生まれ死にを繰り返しています。 1つ訊きます。 あなたは創△学会の人ですか。
- kurinal
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・・・信教の自由ですね
お礼
>数学上にしかない無限の概念が自然界に存在しうると信じて疑わない人のなんと多いことか。 数学上の概念が真にこの自然界とその哲理を表しているのである。 これを数理哲学とゆー。