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「殺人の経験をしたい」という心理について
十代の重大犯罪が話題になって久しくなります。 そのなかで、「殺人の経験がしたかったから」という動機で殺人に走る子供たちがいます。 こういう動機は今までになかったのではないかと思います。従来の殺人の動機は「怨恨、異性関係、金」の3つが主なものでした。 ストレスが動機となる通り魔とも違う気がします。 「殺人の経験をしたい」という心理はどこから生まれてくるのでしょうか? インターネットなどの残虐なシーンを見るとそういう気分になるものなのでしょうか? それとも殺人をしたいというのは人間の本能なのでしょうか? 歴史を見ても戦争が絶えることがありません。 殺人は人間の心をとらえる何かがあるのでしょうか? 感じたことなど、なんでもいいですから、書き込みお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
殺人への憧憬。確かに有ると思います。 とても稀な例ですが、ハンニバルなどに代表される人肉への傾倒。他者の命や意志を弄ぶSM的な快感。死姦など猟奇的な世界観に抗えなくなった方々もいるようです。 そして、ご質問の「経験したかった」と言う最近の子供達による殺人の動機は、ある種、自己表現なのだと思います。 それは、臆病な子に多いと思います。臆病な子は、未知の体験を恐れます。失敗を恐れます。だから、教えてもらおうとします。よく子供がこんな事を言うと思います。「習ってないから出来ない。」「やった事無いから判らない。」 こんな子に対して、「何事も経験」とやらせるのが当然だと思います。しかし、今の世の中は何事も経験出来ないのです。特に死に関しては。昔は、葬式もその家でしましたから、年に何回かは隣近所で葬式があったのです。昨日まで家の前を掃除していた隣のばあさんが死んだ。よく叱られた頑固じいさんが死んだ。よく目にしたり会話をした方々が動かなくなる。そんな経験を通して、死を身に付けていくのだと思います。 更に、今は人を敬わなくなりました。年長者にたいしては、ただ長く生きているだけじゃん?政治家などの役職に対しては、運が良かったんでしょ?有名になりたいだけでしょ?権力の亡者?などと全てを覆す雰囲気があります。 こんな中で、人とかかわりの少ない状態で、人を信用しない大人ばかりの中で育った子供たちは、人になれるでしょうか?自分の存在すら曖昧な霧の中の影のよう。です。 だから、殺してみたいのです。人を殺す事で自分が生きていると感じていたのだと思います。彼らにとって、人を殺す経験とは、生きてみたいと言う欲求の自己表現なのではないでしょうか? いずれにせよ、自分の価値観だけが唯一のものと考える、自己中心的な人間が引き起こしているのだと思います。自分は、周りの方々や大いなる時間の中で生かされていると感ずる事が出来ればこんなことにはならないと思います。 だからこそ、普通はそれを感ずるために、人はたまにリゾートと言う名の自然とのふれあいや観光と言う名の非日常の世界へ自分を置く事でバランスをとっているのだと思います。子ども達は自分でバランスをとる術を知りません。 子供たちには、日々の生活の中で生きている自分を感じる場所や時間を作ってあげて、他者を敬う大人の世界を見せる事が肝要だと思います。
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10代の犯罪件数は減少傾向にあり、切れやすい年代は50代だというデータもあるなか、インターネットやゲームなどを一因とするのは視野が狭いと思います。また、メディアの表現は暴力や性的なものを含め、規制が激しくなっていってます。報道されないだけで、昔からあった犯罪心理なのだと思います。 --記事引用-- 少年は「インターネットで殺人サイトを見ていたら、人を殺したくなった」と供述。居間でテレビを見ていた妹の背後から殴りかかったらしい。 --引用終わり-- これが言葉のマジックですが、「人を殺したくなった自分」より、「インターネットで殺人サイトを見ていた自分」の方が脳裏にインプットされやすくなっております。 不思議な書き方ですね。私もそういうバカなサイトを見る趣味があるのですが、人を殺したいと思ったことは一度たりともありません。件の中学生は物真似しか出来ないような想像力に欠けたバカです。言い訳としても苦しいと思います。そして「またインターネットか!」とメディアが触れ回ったりするわけです。
お礼
貴重なご意見ありがとうございます。 >切れやすい年代は50代 たしかに50代も殺人をしています。しかし十代の殺人は最近の傾向なので注目度が高いわけです。 >インターネットやゲームなどを一因とするのは視野が狭いと思います 原因がほかに見当たらないということでしょう。ヴァーチャル世界が心にどのような影響を与えるかの研究は始まったばかりです。 本当の原因は他にあるのかもしれません。マスコミは短絡的に発表する傾向がありますから。また少年犯罪に関してはマスコミも少ない情報から発信するしかありません。 「殺人サイト」を見るのは、好奇心からだと思います。しかし、精神的に未成熟な人の場合はその世界にどっぷりと入り込んでしまうのではないでしょうか。 テレビゲームも一度始めたら飲食を忘れてずっとやっている人がいます。心を奪われてしまったかのように。 「物真似しか出来ないような想像力に欠けたバカ」に育った原因を究明する必要がありそうですね。
- mutti
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#1さんのように、ある程度は好奇心かもしれません。「死」に対しての興味もあるかもしれません。 悲しいですね。 先ほど自分の妹を金属パイプ(?)で頭を殴ったとありましたが・・・・・・やるせない気がありました。 殺人=かっこいい? もしかしたら、そんな方程式があるのかもしれません。 「幼いときに、大切(大事)な人(動物)を亡くす」という、体験がほとんどないのかもしれません。 都市化というものが、かかわっているのかもしれません。 ちょっとでも、「死」を、わかっていれば、そんなことはしないと思います。 「人を殺すは、自分も殺す」 家族や親戚は白い目で見られ、惨めになるでしょうね。 なんか、回答になってないですね。参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。 >「幼いときに、大切(大事)な人(動物)を亡くす」という、体験がほとんどないのかもしれません。 死に直面する経験というのは大切なのでしょうね。都会、核家族、マンション暮しなどでは経験する機会が少ないと思います。 それで漠然と「死に対する歪んだ好奇心」がふくれあがってゆくのでしょうか? >殺人=かっこいい うーん。そんな風に思っているのかもしれませんね。知らないことに対するあこがれのようなものでしょうか。 殺人は悪いことだと授業で教育する必要がある時代になっていまったのでしょうか?
- kyousantou
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自分が感じたことです やったことをやりたくなるのは自然だと思いました
お礼
ありがとうございます。 我慢するという経験が少ないのでは? 欲しいものがすぐ手に入る環境に慣れると、自分の感情をうまく管理することができない人間に育ってしまうのかもしれません。
- gamasan
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実の妹でしたっけ あの事件は 事情を知らない私など では想像するしかないですが 身内だからこそ 鬱積した感情があったのかもしれません 例えば妹ばかり可愛がる親に対する反感などですね 学生時代先生に叩かれたり 親に叩かれて育ってきたり 喧嘩をしてきた私たちの世代は 「痛み」というのを知っています。 一方現代っ子はゲームの世界でバーチャルでの暴力を 当たり前のように育ってきています。 後は家庭環境や 受験などのストレスなども 要因の一つになってるのかもしれませんね 「愛」に対する教育が足りないような気がしますね現代は。
お礼
ありがとうございます。 >例えば妹ばかり可愛がる親に対する反感などですね 強い親に反抗できなければ、その鬱積が弱い妹に向く可能性はありますね。 >ゲームの世界でバーチャルでの暴力を当たり前のように育ってきています やはりゲームやインターネットなどのヴァーチャル世界の影響が大きいのでしょうか。ゲームは気持が発散できると同時に鬱積もしますね。 子供の頃に暴力を見すぎると、暴力のとりこになってしまうのもしれません。 性的虐待を受けた子供が大きくなって性的虐待をするようになることがあるそうです。(虐待の連鎖というらしいです。) >家庭環境や 受験などのストレスなども要因の一つになってるのかもしれませんね ストレスということであれば、親が期待をかけすぎるのでしょうね。「一流大学をでなければ人間として失格だ」というような教育をされたらとても窮屈です。 キャンプや林間学校、ボーイスカウトなど、人間と自然とにじかに触れあうような教育を多く取り入れたほうがよいのかもしれませんね。 「ゆとり教育」はうまくいっていないようです。
- verify
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人間は好奇心がわくと、同時に実感を求める動物なんだと思います。好奇心がわいた対象でも犯罪に関わるようなよくないことなのだと判別する理性を養えなくなってきているのではないでしょうか?特に最近周辺の子ども達に接していてそういう感を受けます。
お礼
貴重な意見ありがとうございます。 好奇心が殺人動機になりうるということですね。 >実感を求める動物なんだと思います。 生きている実感がないからなんでしょうか? 「殺す=生を確かめる」ということでしょうか。 「命の大切さを教える」という言葉をよく聞きますが、これって言葉で教えられるものではないと思うのですが。
お礼
ありがとうございます。 「人を敬わなくなった」ということと、生命を尊重しないということは関係がある気がします。 今は両親さえも心から尊敬できなくなっているのでしょう。 実際に仕事をしている姿を見てませんから。 「人を信用しない」というのも関係がありそうです。 人間同士のつながりが薄いということでしょうか。 今はマスコミの発達により、悪いニュースを毎日シャワーのように聞かされますね。 これが子供の心に悪影響を与えているのかもしれません。 そして「自分の価値観だけが唯一のものと考える、自己中心的な人間」になってしまうのでしょうか。 「生きている自分を感じ」てもらうためには、大人も本気になって子供たちと濃い人間関係を築くようにしないとだめですね。 「殺人への憧憬」をもつのは「臆病な子に多い」という説は新鮮な発見でした。