国公立受験を18日後に控えた受験生です。
国公立受験を18日後に控えた受験生です。
最後の追い込みです。
幼い頃から成績は上位に位置していましたが大学受験で初めて勉強での高い壁を感じました。
得意な英語に関しては幼い頃からLaboに通っていてspeaking,listeningには相当な自信があり成績も偏差値は70超えでした。
ところがそれがあだとなったのか現在取り組んでいる大学の試験問題では歯が立ちません。
文法でボロボロ点を落とし文構造を見抜けず単語と熟語の蓄えは非常に少なくここにきて相当困っています。
正直今まで学校の英語の先生の能力には満足できませんでした。
「文章全体をつかめてないな、文法見て日本語訳しているだけだな」
しかし三年生になってやっと尊敬できる英語の先生に出会いました。
訳すだけではなく、語られている経済や歴史や政治問題について、深く調べ、教えてくれる先生です。
他の先生は目もつけない(気付いていない?)私も全く疑問詞せず通りすぎていたけれど非常に大切な文のポイントをチェックし、「ああ、すごい!!!」と毎回思わせてくれる素晴らしい先生です。
私は、高校受験時から苦手意識のあった数学に学生生活をかけてとりくみ今では苦手意識もすっかりなくなり成績も上昇中です。
ところが得意だった国語がどんどん下がり自分でも「?」の状態です。
やはり数学をやりすぎたせいでしょうか。
海外へホームステイへ行った時にはあんなに楽しかった英語が今では苦手意識さえ芽生えてきています。
英語に関しては、努力がものをいう教科だと聞きます。
しかし友人を見ていて感じるのはやはり幼い頃から英語に親しんでいるかいないかで、「感覚」的な英語の能力に明らかな差があります。
逐一訳したあとに「この文章何言ってるのかわからない」という話にあきれることもあります。
先生も、英語の先生なのに、発音はカタコトの日本語英語です。
「なんで偏差値70も超えられるの?」と聞かれても、これは「感覚」があるからだと言わざるを得ませんでした。
長文を読んでても、何を言ってるのかわからない、という人の気持ちはあまりわかりませんでした。
言語に関する文章なら言語に関すること、子どもの発達に関する文章なら子どもの発達について書かれている、シンプルなことです。
これまで学校の英語の勉強に苦を感じなかった、実力もあった、というのはやはり私の思いこみでしょうか?
英語教育、受験英語とは、どういうものなのでしょうか?
それとも、私は幼い頃から英語にふれてきただけで、高校で苦しんで英語をこつこつ頑張ってきた人に、いつのまにか抜かされていたのでしょうか?
自分の能力をまだまだ信じている自分です。
これまであまり、しかられしぼられた経験が無いことを非常に恥じています。
厳しい回答でもかまいません。お願いします。
お礼
ありがとうございました! 後で翻訳の結果は友たちの意見を聞きたいです、3Q