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外国語教科書
日本の外国語教科書(大学~高校)英語、中国語他。 語学はコミニュケーションが第一であるべきであるのに、 内容が旧態依然とし文法,構文他、即、実践不向きな 教科書内での点数獲得優先主義が改善されていない。 人間構成上、会話能力だけでは無い事は理解できますが、 諸外国(先進国)の外国語教育と余にも 隔たりがあるように思うのです。 皆さんの忌憚の無いご意見をお伺いします。
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#2です。 >外大の卒業生すら採用しても1,2年は使い者にならない。 私は1,2年で使い物になるなら大したものだと思います。 学生がどんな職業に就くのかも分からないのに、すべてにマッチした授業などできるわけがない。 「1,2年で使い物になる」ことこそが学校の目的であるべきだと考えます。 でもこれは外国語に限った話ではありませんね。 経済学部を出たからといってすぐに先物市場で利益が出せるわけもなく、工学部を出たからといって新製品がすぐに開発できるはずもなく、法学部の卒業要件に司法試験合格なんてあり得ない。 #3さんの「「外国人とコミニュケーション」なんてのは学校で教えるレベルではないと考えます」とおっしゃるとおりだと思います。 >要は日本では何が不足しているか知りたい。 授業時間です。 外国語であれ何であれ、集中的に大量の時間と手間をかけるしかありません。 しかし外国語一つに集中してしまうと薄っぺらな人間にしかなりません。 肝心のコミュニケートすべきものがないからです。 すべてとは言わないまでも複数の分野で intensive にやろうとすれば、一般人には縁遠い、精神力と学力の優れたものだけに対するエリート教育にすぎません。 個々人の能力と一日が24時間しかないことを考えれば、ゆとりと集中にどう折り合いをつけさせるか、これは学校教育云々で解決するには難しすぎる問題でしょう。個人差がありすぎます。 >外国人とコミニュケーションが出気ずして創造性を育てる。以前のものが有る、 よく意味が理解できないのですが、コミュニケーション能力と創造性は同時に育てるものではないでしょうか? 自分の伝えたいこと、理解したいことがあってこそ、コミュニケーション能力も伸びるし、そういうものがない限り、コミュニケーション能力は伸びないと思います。
- Ryu831
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私の理解力が足りないのか、イマイチ質問の意図が分かりません。 「日本の外国語教育がおかしい、遅れている」ということでしょうか。 「ゆとり教育」と言われてから、かなり教科書の内容は変わりましたよ。 まぁ、文法中心主義と言われていた非難をかわすためか、今度は一転して会話中心主義。教科書は薄くなり、カラフルかつ大きな文字、内容といえばガイドブックに出ているような旅行会話ばかりになりました。 しかしその弊害も徐々に出てきている気がします。 学力低下の一翼を担っているのが、文法が分からないために、論理的な英文を読めなくなってきているのです。 かといって、以前より英語で会話できる日本人が増えたかと言えば、全くそういう気配はありません。 #2さんもおっしゃっていますが、ijuding96さんが学校教育で望んでいる、外国語のコミュニケーション能力とはなんでしょうか。 ハウマッチ、アイドライクトゥー~程度ですか。 それならはっきりいって、文法無視で、流行のダンス音楽に合わせてひたすら踊りながら、楽しく覚える、フレーズを覚える。幼児英会話でもやっていますよね、そういう授業で良いと思います。 しかし、本当のコミュニケーションって、日本語でも難しいです。 また、薄っぺらな文法しか知らないと、本格的に英語を学ぼうとしたとき、その入口でつまづく確率も多いです。 ヨーロッパや東南アジアでの、英語がしゃべれる国民が多い国のことを想像されての疑問ですか。 日本人は彼らと環境や言語状況が全く違います。 日本人の大半はどうしても英語がしゃべりたい!という高いモチベーションはなく、また、やむなく英語を話さなくてはならない、と言う環境下にありません。 そうなると、ijuding96さんが考える、どんな素晴らしい授業システムがあっても、その他の時間の大多数を日本語で生活する人たちにとっては、ほとんど意味を成しません。 それならどうやって英語を全ての学生に平等に教えるのか。 文法、単語の暗記。それを試験(点数)で評価する。以外にありません。 文法や単語がスラングや旅行会話の暗記に変わったとしても、コミュニケーションにはほど遠いでしょう。 旧態依然であろうと、斬新な外国語授業であろうと、その外国語に興味を持った人は勝手にがんばるし、興味ない人はやる必要もないのは、昔からそうで、将来も同じでしょう。 「外国人とコミニュケーション」なんてのは学校で教えるレベルではないと考えます。 ほとんど実験もしたことない高校化学の知識程度で、いきなり新薬開発をするのと同じくらい難しい要求だと思います。
>語学はコミニュケーションが第一であるべきである 何をコミュニケートするんでしょう? 政治・経済ですか? 新聞くらい読めないとね。 学会発表ですか? 論文が正確に読めて、適切な言い回しを覚えないとね。 ビジネスの値引き交渉ですか? 契約書が読めないとね。 留学ですか? 教科書が読めなきゃ話になりません。 観光旅行ですか? ガイドブックくらい理解できないとね。 これを全部学校でやれと言うのは無茶ですな。 学校でやるべきはすべてに応用が利く基礎力をつけることです。基礎力とはリテラシーの養成、つまり必要な情報を取捨選択しながら己の判断を下せるようにすること。 「文法,構文他、即、実践不向きな」のは、「即、実践」を考えてはいないから。「即、実践」の一歩手前でストップすべきだから。それ以上は自分で努力すべきだから。 学生同士のスラングのように地域限定ですぐに廃れてしまう表現をいくら覚えても仕方ないでしょ。 >諸外国(先進国)の外国語教育と余にも隔たりがある ちょっと神格化してませんか? フランス人の英語は何を言っているのかよく分かりませんよ。 シンガポールでは子供の頃から英語教育しているはずですが、シンガポール英語いわゆるシングリッシュは、ネイティブをも悩ませます。個人的には耳に心地よくて好きですが。
お礼
ご返答に感謝!!。 >学校でやるべきはすべてに応用が利く基礎力をつけることです。 >必要な情報を取捨選択しながら己の判断を下せるようにすること 外大の卒業生すら採用しても1,2年は使い者にならない。 英語に例すれば教育立国シンガポール位な英語教育は必要と思う。 要は日本では何が不足しているか知りたい。
日本で英語を教えるのは英語が日常生活で必要だからではありません。教養と生徒の学習能力の物差しの要素が強いですね。国語でも古文や漢文はそうですね。あんなもの知らなくたって ちっとも不自由しません。 英語も同じように、日本はイギリスやアメリカから色んなものを学んできたので、近代文明開化の足跡を辿る意味もあるでしょうね。それから、英語は得手不得手が非常にはっきり分かれる科目です。そして、生徒の論理力、分析力、推察力、暗記力、演繹力、組織的思考力などを総合的に計れるので、高校や大学の入試では重要視されます。 私は英語だけでなく、日本の学校の制度に問題があると思います。(日本の学校は官僚とサラリーマンを養成するようにできているみたいです。)音楽だって、本来は音を楽しむのが目的なのに、学校の英語で「音が苦」になったら本末転倒とも言うべきです。これは 音楽というのは戦時中はラッパや太鼓の音に合わせて整列や行進の訓練をしていました。戦後は音楽の授業もかなり改善はされましたが、戦時中の教育方針が完全に払拭されていないようですね。小学校の図工だって、あれは生徒の創造性を育てるよりも、工場なので淡々と物を作る訓練の意味もあったでしょう。ですから、手先が器用でテキパキとキレイに物を仕上げる生徒が高く評価され、いつまでも考え込んで 挙句に突拍子もない作品を仕上げても あまり高くは評価されないわけです。 ですから、英語だって外人とコミュニケーションをとるのが第1目的ではないのです。
お礼
早速の返答に感謝します。私が伺いたいのは外人とコミュニケーションをとるのが第1目的ではない。然し現在の教育が教科書優先と教員の指導に問題。教科書は一流。理解度が問題。声調にも問題。外国人とコミニュケーションが出気ずして創造性を育てる。以前のものが有る、と思うのです。
お礼
返答に感謝。 教師の力量にもよる。教科書通りで済ます、こと無かれ主義が多い現状を愁うてのことを提議してのこと。 優秀な生徒を生み出す教授は独自の『教案』作りに秀でている。 >薄っぺらな文法しか知らないと、本格的に英語を学ぼうとしたと・・ >日本人は彼らと環境や言語状況が全く違います。 英語主体に話題が集中しているようですが、日本人の外国語の声調・イントネーション全般を指摘する外国人が多い。文法云々は問題外。 >「外国人とコミニュケーション」なんてのは学校で教えるレベルではないと考えます。 学校で(大学ほか)教師、生徒の目的意識の欠如。点取り蟲。意外の何者でもない。