・中華民国臨時政府
1937年12月14日に北支那方面軍の要請で北京に、元清朝科挙官僚から日仏留学し
銀行家となった王克敏を首班と成立した日本の傀儡政府。
北京・天津、青島、河北省、山東省、河南省、山西省の華北四省を勢力範囲とした。
かって、中華民国北京政府(軍閥系)にいた清朝残党や旧軍閥系の官僚が多かった。
・中華民国維新政府
中支那方面軍が、1938年3月28日に、北支那方面軍が組織した維新政府に対抗して南京で成立させた日本の傀儡政権。
江蘇省、浙江省、安徽省の三省と、南京及び上海の両直轄市を勢力範囲とする。
首班である、北洋軍閥系の梁鴻志行政院院長(首相)はじめとして、旧軍閥や、国民党で冷や飯組で
南京に残留した政治家が、おおかった。
・日本政府は1938年の近衛首相の「国民政府を相手にせず」発言のように
当初、北京の臨時政府に中国を統治させ、南京の維新政府などを合流させ
中国を親日国とすることを意図したが、旧軍閥や機会主義的小物政治家からなる
臨時政府・維新政府は、国民党支持者など多くの中国人の支持は得られず、
結局、蒋介石に匹敵する知名度もつ国民党の幹部汪精衛を南京に招き、
蒋介石が重慶に避難させた国民政府の還都式を行い、
もう一つの国民政府である親日系の中華民国南京国民政府を組織させた。
以後、終戦まで抗日を叫び連合国の一員となった重慶の蒋介石首班の国民党・国民政府と、
南京の汪精衛首班の国民党・国民政府が、中国に並立した。
維新政府は、南京国民政府に合流し、
臨時政府は、南京国民政府の地方部局である華北政務委員会に改編された。