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大名行列の「毛槍投げ受け」
「観光ショー」では見事な妙技を見せてくれますが、江戸時代の実際の大名行列でも「槍の投げ受け」をしたのでしょうか。 観光ショーであれば、最初に「毛槍投げ受け」を思いついた知恵者はだれですか。 よろしくお願いします。
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再度お騒がせして誠に申し訳ありませんm(_"_)m 前々回No.3の前半部の金沢の「奴踊り」につきまして、 前回No.5で現代の風物詩?とカキコミましたが、 …年の瀬ゆえ図書館や大規模書店に出向く余裕もないため ネット検索内での確認に過ぎませんが、って何時もの事ですが^^… ◇五郎の金沢と千駄木>大名行列 http://www5b.biglobe.ne.jp/~fujigoro/sendagi/8daimyougyouretsu.htm には、 …西(←原文のまま)田敏男氏の「参勤交代道中記・加賀藩資料を読む」の中に、 春になり、江戸への参勤が近づくと、金沢の町の辻では足軽達が毛槍の稽古を始めていた、 … の記述と『華頂博物館学研究 5/華頂短期大学/1998-12』(27-44頁) 「参勤交代について/渡邊容子」の内容の一部が符合し、<18/18>の参考文献に 『参勤交代道中記-加賀藩史料を読む-』(平凡社)が含まれていることから、 忠田敏男『参勤交代道中記-加賀藩史料を読む-』が典拠の様子が伺えますので、 どうやら江戸期当時の金沢の描写のようです。 以上 御報告まで
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お読みになった本を紹介して、恐縮しております。 内容は仰るとおりです。 私は、徳川期に限って歴史学者の山本博文氏を信頼しております。 為に、引用させていただきました。 また、別の視点、考証があるのかも知れません。 元気にお過ごしください。後輩の還暦よりです(笑)。
お礼
ボケ防止のためにパソコンに向かっています。 多くの回答者様のお蔭です。 今後ともよろしくお願いします。
- dayone
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前回No.3のカキコミ後半部の補足をさせて頂きます。 下記のとおり、Wikipedia「奴振り」項目の中「奴振りの歴史」の 「明和8(1771)年の触れ」は「明和8年12月晦日」の達しを指しているようですから、 遅くとも明和8(1771)年時点までには、少なくとも代わり合いの際には 投鎗投傘などの所作が行われていたことだけは確かなようです。 ◇東京都公文書館>刊行物>東京市史稿>市街篇>第27目次 によりますと、 http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/0601shigai27.htm 「附記/投鎗投傘/市街27-1028/1771(明和8)年12月晦日/柳営日次記」 の記述がありましたので、 ◇東京大学史料編纂所>データベース選択> http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html できごとを主題に-[近世編年データベース]にて、 キーワード「投鎗投傘」検索したところ、下記1件がヒットしました。 【史料群名】東京市史稿 市街篇 27巻1028頁 【和暦年月日】明和8年12月晦日(17710120310)1条 【綱文内容】〔附記四〕老中松平右近将監「松平武元」より 大目付正木志摩守「正木康恒」へ、投鎗投傘に関する申し達あり、 【出典名】柳営日次記 画像を見たところ「左様無L之様」と「代り合之節」の投鎗投傘を禁ずる 達しではありますが、門外漢ゆえ一部判読出来ない箇所もありますので、 具体的な内容は「東京市史稿 市街篇第廿七巻(1028・1029頁)」の画像 [附記、四]投鎗投傘 を直接御覧いただければ幸いです。 あと、前半部の金沢の「奴踊り」箇所につきましては、 あらためて原本を読み返すと現代の風物詩?とも受け取れ、 直後に『江戸参府旅行日記/ケンペル』を取り上げて典拠を明らかにしている ことと比較すると、全く曖昧な部分ですから、正直頭の中が混乱しております。 投稿板を汚して誠に申し訳ありませんm(_"_)m 最後に余談ですが… 「百人一首」の謎に挑まれていらっしゃる お三方 goo-par1732 様、 SPS700 様、 Pinhole-09 様が 奇しくもここに勢揃いとは何とも興味深いです^^
これは東大教授の山本博文氏の著書「参勤交代」が、 詳しいです。 お暇がありましたら、一読をお薦めします。 鑓持奴は江戸に入る前に雇われました。 大名と奴のパフォーマンスです。 いわゆる大名行列のショーですね。 でも奴の日当が高くて、貧乏大名には無理だったようです。 観光ショーの知恵者はわかりません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 その本は数年前に読みましたが、「槍投げ受け」に関して書いてあったのか、覚えていません。 鑓持奴が江戸に入る前に雇われた、という記述は覚えています。 参勤交代は、服属儀礼であり、幕府が大名の経済力を弱体化させようとした説は俗説である、との主旨だったと思います。 その視点で考えると、武具を投げるというとんでもないことを、殿が容認した理由も解ったような気がします。 お蔭様で、この本を思い出すことができました。ご回答に感謝します。
- dayone
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残念ながら典拠やいつ頃かも明確ではありませんが、 『華頂博物館学研究 5/華頂短期大学/1998-12』(27-44頁) ◇「参勤交代について/渡邊容子」によれば、 http://ci.nii.ac.jp/naid/110001192274 <15/18>(41頁) (ト)鎗 行列の移り変わり 新緑の四月(旧暦)の参勤の時期が近づくと、 金沢のあちこちの辻で行列の練習風景が見られた。 それというのも、奴さんは手足を振り、拍子をとって飾柄を廻すなど、 二人が呼吸を合わせて、くるりと空中に投げあった鎗を、 お互いに片手で受け止めて、まるで軽業の道化者のような「奴踊り」を 見せながら進んだからで、相当の熟練が必要であった。 との記述があります。 また、こちらも典拠が明確ではありませんが、 ◇Wikipedia「奴振り」項目の中の「奴振りの歴史」によれば、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E6%8C%AF%E3%82%8A 明和8(1771)年には「近ごろ行列の途中で、 槍持(毛槍)や長柄の傘持ち(立傘)が手替りの者へ交代するときに、投げ渡している。 怪我などしては問題なので、取りやめるように」といった触れが出されており、 18世紀中ごろには毛槍などを投げ渡す所作が成立していたことがわかる。 との記述も見えます。 以上 少しでもヒントになれば幸いです^^
- Pinhole-09
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槍持奴の一人が投げると、もう一人が見事に受け取るという 槍投げ儀式は、出立つの時と、道中の城下町の中と、江戸 市中だけ行われたとのこと。 「歴史読本 特集 参勤交代大名旅」 1989年12月号より。 誰が始めたかは判っていません。 槍持ち交代の時退屈凌ぎに、自然発生的に始まったのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 『歴史読本 特集 参勤交代大名旅』に出ているのですか。 往来の真ん中で、あんな悠長なことをやっていると、通行の邪魔になるので、まさか本当に「槍投げ受け」をしているとは思いませんでした。 「槍持ち交代の時退屈凌ぎに、自然発生的に始まったのでしょう。」 確かにそうですね。同感です。
- SPS700
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全国各地に大名行列は形を変えて残っています。 その一例は九州の佐賀地方、長崎地方の「浮立(ふりゅう)」です。この中に、実際の棒の2倍の人数が棒係(土地によって名前が違います)として配備され、「やまいろ(=では参ろう)」というかけ声とともに、受け渡しが行われます。 僕は、実際の大名行列で、一人の人が始めから終わりまでこう言う物を持つのは重労働で、交替要員がいて、定期的に入れ替わった習慣があり、単なるショーではなく、実際長い道中のことを考えての極めて実用的な仕組みの名残りではないかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「浮立」、初めて聞きました。You tube で映像を見ました。 佐賀県・長崎県には、たくさんの「浮立」があるのですね。 伝統芸能には興味津々ですので、大変面白い映像でした。 「単なるショーではなく、実際長い道中のことを考えての極めて実用的な仕組みの名残りではないかと思います」とのご見解に、私も同感です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は、アタマっから「毛槍の投げ受け」は観光ショーと思っていました。 大事な武具を投げるということ、それも「槍」ですから、正に「なげやり」にすることは、禁じられた行為のはずです。 しかも、江戸時代の道は狭かったですから、通行の妨げになると思っていました。 そこで、ロクに調べもせず質問しましたが、すぐさま、「そうではない」ということを知らされました。 「教えて!goo」の凄さに驚きです。 『華頂博物館学研究』「参勤交代について/渡邊容子」を読みました。 これだけで、私の疑問は吹っ飛びました。 参勤する前に行列の練習をしていたのですね。 実は、忠田敏男著『参勤交代道中記-加賀藩史料を読む-』を数年前に読んでいます。 そのときは、費用に注目して読んだので、 「春になり、江戸への参勤が近づくと、金沢の町の辻では足軽達が毛槍の稽古を始めていた」 なんて、書いてあるとはまったく気付きませんでした。 私には、もったいないほどの丁寧な回答を頂きまして恐縮しています。