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日本語の乱れ
経団連がオリンパスや大王製紙に対して「活動自粛処分」 というニュースがありました。 活動禁止処分なら分かるんですが、 自粛って、自分から進んで、行いや態度を慎むこと、処分されるものではないですよね。 自粛要請って、わけのわからない表現もあります。 「ら」抜き言葉は、可能を、受身や尊敬と区別できる点で、 全く問題ない(五段活用では認められている)のに、 下一段や上一段の「ら」抜き言葉はおかしいと言われます。 活動自粛処分とか、自粛要請とかの方が日本語としてより乱れているのではないでしょうか?
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>活動禁止処分なら分かるんですが、 自粛って、自分から進んで、行いや態度を慎むこと、処分されるものではないですよね。 : 経団連が、一企業を禁止処分にする権限をどこまで持っているのか、ということもあると思います。 経済には疎いのでよく知りませんが、単なる寄り合い所帯であるかもしれませんし、その場合は、自粛を勧告するぐらいしかできないのかもしれません。 それであれば、「活動自粛処分」ではなく「活動自粛勧告処分」などとすべきでしょうが、やはり権威を示さないと体裁が整わないということで、いかにも強制力があるような響きを持たせたかった可能性もあります。 「自浄能力を発揮することを命令される」という処分、ということにでもなるでしょうか。 「活動停止処分」と「活動自粛勧告」の折衷案ということになりそうで苦肉の表現ということなのでしょうが、曖昧性を指摘されることは覚悟の上なのだと斟酌するしかない表現であることは確かでしょう。 >「ら」抜き言葉は、可能を、受身や尊敬と区別できる点で、 全く問題ない(五段活用では認められている)のに、 下一段や上一段の「ら」抜き言葉はおかしいと言われます。 : ら抜き言葉に関して質問を立てたことがあります。 良回答者さんに恵まれまして、端的に言うと、状況可能の場合は「られる」でも、能力可能の場合は「ら抜き」という地域も結構あることが判明しましたし、それが自然ではないかと私も考えます。 詳しい内容はこちらのサイトでご覧いただけます。 http://www6.ninjal.ac.jp/gaj_map/02/04/ このサイトを紹介してくれた回答者さんの要点を、今回のご質問の内容に沿ってご紹介すると、 『標準語というものが東京方言を元に作られたので仕方ありませんが、 「五段動詞では可能動詞、一段動詞では『られる』を使う」、「能力可能と状況可能の 区別などはない」、「ら抜き言葉は異端」といった、「正統な」国語のルールだと思って いたものが、実は関東ローカルのどちらかといえば例外的な特殊な形にすぎないことがわかります。』 ということです。 http://okwave.jp/qa/q6543419.html 個人的にも、 「目が良くて見る能力がある」の場合は「見れる」、 「さえぎるものが無くて見ることが可能な状況である」場合は「見られる」 のような使い分けは可能だと思っています。 ら抜きだから何でもだめ、というのはおかしいという考えです。 逆に、すべてら抜きでも構わないということでは無論ありません。
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- key00001
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日本の財界団体のトップクラスであり、また日本を代表する企業が名を連ねる経団連が、考えた上での言葉ですよ。 国語的な素養が低い若年者などの、「ら抜き言葉」と同列に語るべき問題とは思いません。 モチロン言語学的には奇異ですが、それは百も承知で、敢えてこの言葉を採択した背景・真意を考慮すべきでしょう。 そもそも財界団体は、会員企業の自発的な協力で運営される団体です。 相互に強制や命令、干渉などをし合う組織ではありません。 もし参加企業の団体活動の禁止などをしたら、組織の性格が変わってしまいます。 その様な中で、苦肉の策的に、「自分で粛すと言う判断しなさい」と命じたワケです。 尚、「自粛要請」の場合は奇異性は無いです。 「〇〇を要請する」の「〇〇」は、要請者側の任意・自由です。
補足
ありがとうございます。 >日本の財界団体のトップクラスであり、また日本を代表する企業が名を連ねる経団連が、考えた上での言葉 ではなくて、 日本の財界団体のトップクラスであり、また日本を代表する企業が名を連ねる経団連が、 『責任を逃れるために』 考えた上での 『卑怯な』 言葉 ですね。 他人に命令するなら、責任を取るべきでしょう。 >国語的な素養が低い若年者などの、「ら抜き言葉」と同列に語るべき問題とは思いません 「ら抜き言葉」は、もともと方言で、土佐弁圏、名古屋弁圏、北陸地方、一部の中国地方、岡山でも使われています。昔から使われてきた言葉で、乱れと言うこと自体がおかしいのです。 年寄りも使っていますよ。 国語的な素養が低いから使われているのではありません。 ら抜きは、5段活用動詞では認められています。 むしろ、可能と、受身、尊敬と区別するために、下一段、上一段活用動詞にも認めたよいように感じます。
- Mokuzo100nenn
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解雇ではなく、”依願退職の要請”ちゅうのがまかり通る日本の文化ですから、この文化をそのまま表した日本語ですね。 乱れの根本は、表象としての言語ではなく、日本人の権限、責任の持ちようだとおもいます。 逃げの文化はいい加減によしてもらいたと思います。
お礼
ありがとうございました。
- ?橋 昌也(@fudousin)
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厳密には日本語の乱れとは言えない。 社会的な要請から生まれた新しい日本語か^^; 法や組織の明文化されたルールがあれば、活動内容を明確にした禁止ができるが、違反内容が確定していない、またはルールにないような場合で、しかしなんらかのアクションが必要な場合。自粛の内容は自分で判断して対応しなさいという処分ということで言葉としては成立してるのでしょうね^^。 こうしないと、オリンパスの問題でも出荷自粛要請でもそうだが、権利の制限ということで、後々、補償問題や裁判ざたになる。 自粛という言葉の質問は結構多いようですが、私はそれよりも、行政機関がその業務を補完するボランティアを募集するというような言葉づかいのほうがヘンだと思います。
お礼
ありがとうございました。 出荷自粛要請、ボランティアの募集とか、 矛盾した言葉を使うこと自体が、日本語の乱れではないでしょうか?
- qualheart
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活動自粛処分や自粛要請は、言葉の乱れって言うより、単純に考え方が矛盾していると、ご質問者様は言いたいだけじゃないでしょうか? 確かに、「自粛」を「要請」した時点でそれは「自粛」じゃないだろと言われればその通りかも知れませんが、実際その矛盾を実行しているのは確かであり、言葉としての「自粛処分」や「自粛要請」はその行動を的を射て表現していると思います。 言葉そのものが乱れているわけではなく、「自粛」を「要請」するという考え方自体が矛盾しており、乱れていると言うだけだと思います。 ご参考まで。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 可能には、能力可能と状況可能を教えて頂きました。