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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:みまかるの使い方について教えて下さい。)
死ぬの謙譲語とは?「みまかられました」という言い方の意味と使い方について教えてください
このQ&Aのポイント
- 「みまかられました」という言い方は、謙譲語の一つであり、「死ぬ」を敬意を込めて表現する言葉です。
- 身内が亡くなった場合、決して直接的な表現はせず、丁寧な表現として「みまかられました」と言います。
- また、貴族と仕える者の関係においても、「みまかられました」という表現は妻への敬意を示す謙譲語として使用されます。
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手許の『広辞苑』には、 み‐まか・る【身罷る】 〔自五〕 (身が現世からあの世へ罷り去る意)死ぬ。 とあり、特に「謙譲語」という説明はありませんでした。 確かに、ネットの辞書には「謙譲語」という解説がありますが、「特に中古では」という但し書きがついているものが多いようです。 であるならば、「謙譲語」だけの意味ではなく、普通に「死ぬ」の意味で使われることもあるのでしょうから、「みまかられる」という言い方がおかしいということもないでしょう。 実際、時代劇などをみていたら、「殿様がみまかられた」というようなセリフをよく耳にします。 もう一点。 「亡くなる」が「尊敬語」であるという点についてですが、「亡くなる」は「死ぬ」の婉曲表現であり、「尊敬語」には当たらないというのが一般的な解釈だと思います。 身内が「亡くなる」という言い方が間違っているとは言えないでしょう。 もし「尊敬語」であるならば、目上の人について言う「亡くなられた」という表現は二重敬語になってしまいます。 なく‐な・る【無くなる・亡くなる】 〔自五〕 1.《無》ないようになる。紛失する。尽きる。「時間が―・る」「自信が―・る」 2.《亡》人が死ぬことを婉曲にいう語。 ――『広辞苑』
お礼
回答ありがとうございます! 詳細に渡って、書いて下さり、 大変参考になりました!