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「推論」「推理」「推量る」「推定」の意味
『「推論」⇔「推理」』⇔『「推定」⇔「推量る」』 辞書で調べたのですが、4つとも同じような意味に思え、いまいち違いがわからなかったので質問をしました。 ニュアンスが違って、使われる場面が違うのでしょうか。 辞書をひくとよくこういうことにでくわします。(たとえば「事物」「物事」。この場合は、好きなように使えばいいのでしょうか)
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- CC_T
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皆が自分の好きに使っていると意味が変わったりしますから、本当は意味を知って使うべきでしょうね。 言葉の由来など、調べてみるとかなり楽しいものですが、有名な人が勝手に作ったのが広まったとか、一般の誤用が通例化したとかで、文字の並びが変わったり、別の字が割り込んで来たりってのは結構多いらしいですよ。 私の場合、こんな感じで使い分けてます。 「推論」:推測に基づいて組み上げられた理論。 例:『そんなのはただの推論にすぎないじゃないか。真実は別にあるかもしれない。』 「推理」:現象などが起こるに至るまでの理屈を推し量る事。 例:『でも彼の推理に従うなら、犯人は彼女自身ってことになるよね…。』 「推定」:過去の実例などを下敷きとして推し量り、結論を定める事。 例:『彼は彼女が鬱屈した子供時代を過ごしてきたことから彼女のトラウマが原因と推定してるけど、本当なん?』 「推量る/推測る」:似た物事の観察結果を基に、状況の行きつく先を想定すること 例:『どうでもいいって、そんなこと。とにかく今さら彼女の心情を推し量ってみたところでどうにかなるもんもないだろ・』 「推量/推測」:推し量る、推し測る、の短縮形 例:『そうだよ。面白半分の当て推量はそのくらいにして、問題は来週からの公演をどうするか、だ。』 「推察」:心情など見えない物について、観測的事実からこうであろうと予想すること。 例:『何言ってんだ、そもそもお前が最初に「あいつが推察したところ…」なんて言い出したからだろうが』 「類推」:類似点を基に両者が同等であろう推測すること。 例:『どうせ別れた女の事から類推したんだろう。あいつも女癖が悪いから心当たりの1つや2つあったんじゃない?』 「邪推」:他人の心情を悪意を持って推察すること 例:『それこそ邪推ってもんじゃないの?』 こんなところでいかがでしょうか。 それぞれ語源は知りませんが、結局『推す』という言葉自体が考え方を一方向に進めるという意味合いを持っていて、それに状況を表す漢字がくっついて出来た言葉でしょう。 日本で出来た言葉は、音読みで意味が推測できるものが多いですね。 ちなみに物事と事物の例でいえば、私の場合は ・「物事」は形の定まっていないものに対しても使用する。 『物事は、だいていそういう形で始まるものと相場が決まっている。つまり、当人が望むと望まざると…』など ・「事物」は形の定まった非生物の物品を指す時に使う 『そういう事物を指していう場合は、数詞に「個」を使います。』 という使い分けしてます。
推量(推し量る) 今までの状況から、その先の状況を仮定し予測する。 推定 数ある可能性(推量)の中から、可能性が高い物について定義する。 推理 推定したものを、省いていった他の推測と照らし合わせて矛盾がないかの検証をした結果。 推論 推理したものを、他人に余す事なく伝えるために文章化したもの。 ひとつの事象に対して、その先の可能性を考え(推測)、その中から可能性が高い物を選び出し(推定)、それを検証して(推理)、文章化する(推論)。 という順で覚えればいいかな。 例としては 裁判の時に言われるのは「推定」無罪。 有罪が確定するまでは、被告は無罪として扱う事。訴訟した側が相手が有罪である証明をしなければいけないという原則。「無罪である」という可能性から、それを突き崩しなさい、という事やね。 犯罪小説は「推理」小説。 小説内の各所に散りばめられたヒントを元に、理論的に犯人を見つけなさい、という小説。書かれている事の矛盾をつきあわせて、最終的に残った人が犯人であるという証明を書き手が名指しする前に見つけられるかどうかのゲーム、とも言える。 という風に、私は使い分けてますが・・・
- FEX2053
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こういうのは大量に文章を読まないと、微妙なニュアンスの差を 理解しきれない可能性がありますが・・・。 「推論」は、何らかの論理を立てることが前提です。ですので、 学問的な場面で良く使いますね。また、文脈の中ではあまり 使われず、項目や見出しになります。 「推理」も、何らかの筋道を立てることが要求されますが、 「推論」よりずっと「イイカゲン」でも差し支えありません。 ですから「推論小説」ではなく、「推理小説」なんです。 「推定」と「推し量る」は、どちらも「筋道」がきっちりとたって 無くても大丈夫。何らかの「確信」に基づけばオッケーですから 「推定無罪」なんですね。「推理無罪」とか「推論無罪」とは 言いません。 ちなみに「推し量る」は「推定」と同じ意味ですが、もっと口語的 な、心情に寄り添った言い方です。「あなたの心中を推し量って」 は「心中を推理」「心中を推定」より、もっとずっと柔らかいです。 ちなみに「事物」と「物事」も言ってることは同じですが、前者は 文語的、後者は口語的な言い方です。 実はこういう「2文字の熟語で前後が入れ替わっても同じ意味」 というのは、どちらかが先に出来て、より意味を強調したり、 より柔らかい言い方、斬新な言い方にするために、「造語」した 結果であることが多いんです。 例えば「情熱」と「熱情」は後者が先に出来て、明治の文豪 (だれだっけ・・・名前失念)がひっくり返したそうです。