魂が宿るのは受精の瞬間、またはそれよりも前です。魂は受胎の前に自分がその肉体に宿る計画を知っています。気の早い魂はすでにその位置をうろついています。胎児には大人と同じように感じる意識があります。母親の胎内で聞こえた音を覚えている子供がいます。例えば物心ついたときの記憶と、大人になった今の意識に、何の違いがあるでしょうか。知識、言語、思考力は増えたかも知れませんが、根本的な感受性に変わりはないのではないでしょうか。胎児にも同じことが言えると思います。
中絶は殺人です。問題はありません。
自殺も長い目で見れば別にいいです。
なぜなら、殺人も自殺も究極的には魂にカルマ(業=課題)を与える磨き砂だからです。殺人を犯した者は同じ目に遭うための再生を経験します。自殺は自らの命の尊さを学ぶための課題です。同じ人生を自らの意思でやり直す、その後悔によって学びます。撒いた種は自分で刈り取るという、現代科学では解明出来ていない自然法則があるのです。
殺人と自殺は最も幼い課題ですが、魂の向上のためにはいつかは通らなければならないプロセスである、という魂も数多いのではないでしょうか。仕方がないのです。現世とはそれだけ苦しいものです。
指標としては、殺人と自殺は「するべきではありません」。それは自由意思の悪用、情けないことです。しかし、殺人と自殺ですら、課題の一つでしかないのです。現世の行いに良いも悪いもありません。ただ全てが課題なだけです。すべてが許されているし、全ては学びです。これが現世の魂に与えられた「自由意思」です。
というようなことを、本当の霊界からの通信は述べるでしょう。
お礼
>>自由意思の悪用 これは人間として存在してる以上悪用となるということですね。 参考になりました、ありがとうございます。