「スピリチュアリズムが宗教であるか」、という質問には、「まず宗教とはなにか」を考えるべきだと思います。「 宗教」の意味を知らずに、「スピリチュアリズム」と比較するのはナンセンスですから。
ところが、この宗教というのは、字引的な定義こそあれ、普遍的な定義というのは果してあるのだろうかと私は思います。自身の信仰を背景に困苦に立ち向かい、貧困と戦う人もいる一方で、信仰を背景に人殺しをする集団もあります。
また、信者の獲得と、金ぴかの神・仏殿をたくさん建てることが宗教と考えている人も世の中にはたくさん見うけられます。こういう人々を見れば、宗教に何かを喩えることは何の意味もないと私は感じます。
なお、回答1へのコメントを読む限り、質問者の方は、「宗教」を否定的な思想として用いられているようですが・・・
果して、スピリチュアリズムが宗教であるのかどうか・・・聖書の代わりに心霊書を配ったり、霊界通信に盲目に従って生きることが善への道だと信じている人たちにとっては、宗教と何ら代わり無いでしょう。
実際、日本でもスピリチュアリズムを掲げる宗教法人があります。
ところで、もともとスピリチュアリズムは、たんなる心霊肯定論の総称でした。そして、年月と人手を経て、宗教的な思想へと変貌した流派もあれば、コックリさん紛いの降霊会に留まる人々もいるのです。
ですから・・・スピリチュアリズムや宗教に普遍的な問題があるのではなく、特定個人の心のあり様に真の問題があると私は考えます。
ところで、私自身、スピリチュアリズム関係書籍の翻訳家の勉強会に参加した経験があります。その時、スピリチュアリズムで重要視されている「霊性」という言葉の意味や、人生のテーマとされる「霊性向上の手法」について質問をしたのですが、分からないと言われて以来、日本のスピリチュアリズムの水準に対して疑念を抱いています。
なお、回答1にあるように、スピリチュアリズムにはなるほど、「霊の助言を人生に生かす」という交霊主義思想も含める人もいます。ですが、この場合の助言というのは、どうすれば問題から逃れるか・・・という、逃避的な目的であれば私も邪道だと思います。
ですが、人の心というのは目に見えないものであり、それゆえに精神性というのは普遍性を求めることが難しいものですね? だからこそ、「宗教」の意義に関しても普遍的な評価が得られないわけです。それに対して交霊主義では、霊の意見を、普遍的な精神性の評価としてあつかうのです。
端的に言えば、修行の度合いやその方向性の確認に霊的なメッセージを活用するということです。しかし、理想はともかく大半が甘えに用いている事からは逃れ得ないわけです。
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ありがとうございました。