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菊池寛の「父帰る」とその時代背景について
今授業で「父帰る」を読んでいるのですが、この作品が書かれた時代(大正6年)はどのような時代であったのかがいまいち分かりません。また、この作品は時代背景を影響させているものなのでしょうか?この二つの疑問に関して何かわかる方がいましたら教えてください。お願いします。
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時代背景に関しては、先の方の回答が出ているので、作者と作品に関して、多少知っていることを書きます。 『父帰る』はまず冒頭で、明治四十年頃、と時代設定がしてあります。 発表された時期より、十年前ぐらいを舞台にしたもの、とおおまかな想定がなされていたことがわかります。 このことは、劇を見る人々に、冒頭に出てくる具体的な金銭の数字のやりとりを通じて、“いまより少し前”の話なんだなぁ、と理解させていくような仕組みになっているんですね。 この作品は、何らかの事件なりできごとなりを具体的に反映させたものではないけれど、明治四十年当時の庶民の生活の様子を色濃く映し出したものであるといえると思います。 菊池寛個人の年譜を見てみると、明治四十一年(1908)は20歳で、東京高等師範学校に推薦を受けて郷里の高松から上京した年です。 『半自叙伝』には、初めて東京に出てきて、見るもの聞くもの珍しかったこの時期の様子がかなり詳しく書いてあり、読んでいておもしろいです。 もりそばの値段、芝居のようす、当時の学生たちの生活の様子などがよくわかるので、ご一読お勧めします。 このサイトで読めます。 http://www.honya.co.jp/contents/archive/kkikuchi/hanjijoden/ 『父帰る』が発表されたのは大正六年(1917)、上演されて、大成功を収めたのは三年後の大正九年です。 上演された時にはほとんどの観客は涙をこぼし、客席にいた芥川龍之介らもハンカチで目頭を押さえていた、と小林秀雄が『菊池寛論』の中で書いています。 発表~上演された時期は、いわば大正デモクラシーのまっただ中で、自由な気風に満ちていた。また上演されたころには第一次世界大戦も終了して、日本全体が好景気に湧いていました。 そのとき、十年ほど前の貧しかった自分たちの生活を描いたこの作品が、人々の琴線に触れたことは想像に難くありません。
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- mini308
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ポーツマス条約に反対する動きが高まったことから、明治38年(1905)の日露講和反対国民大会は暴動化しました。この不満はその後の軍事拡大や増税に対する不満につながっていきます。不況が深刻になり民衆運動のちの大正デモクラシーに移行するようになります。 大正3年(1914)にはじまった第一次世界大戦は日本に好景気をもたらしました。物資の輸出が大幅に伸び、大戦景気のなかで産業は急激に発展します。それまで欧米に比べて遅れをとっていた重化学工業も電力業も急成長します。このような好景気の到来で事業の拡大によって巨万の富をなした成金が増える一方で、労働者や中間者層は物価が大暴騰する生活に苦しみ、労働争議が多発しました。 好況のなかでの貧富の差の拡大します。そして日本人の思想や個々の生き方が大きく変化していったそのような時代背景があると思われます。
お礼
ご丁寧に説明していただきありがとうございます。参考にさせていただきます。
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