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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:読み書きの減退…?)

読み書き能力の低下と読書・古典離れの関係について

このQ&Aのポイント
  • メールやウェブで短い文を繰り返し書き続けると、長い文章を読んだり書いたりする能力が減退するという説があります。
  • 若者の古典離れや読書離れが取り沙汰されますが、実際にはケータイ小説や学校での読書時間の設置など、読書への関心はあるようです。
  • 古典離れについては、日本語の変化や社会で必要とされる形への適応が原因ではないかという意見もあります。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#194996
noname#194996
回答No.2

>メールやウェブで短い文を繰り返し書き続けると、長い文章を読んだり書いたりする能力が失われる。ひいては語彙力が失われたり、読書離れの原因になる ウェブの文章と活字本との本質的な違いはないと私は思います。 長い文章と短い文との違いも考えられません。 私見ではけーたいなどで書かれる若者同士の会話文章が本来の日本語から離れて来ていることが識者の問題意識にあるのではないかと思います。 読書ばなれは80年代から繰り返し言われてきたことで、インターネットとは無関係だと思います。 86年ころだと思いますが、評論家の鮎川信夫氏が、TVなどで安易に大量に流される(いい加減な)話し言葉の隆盛が書き言葉を駆逐して日本語文化をダメにし始めていると書いていました。けーたいやメール、ウェブでの日本語への影響もやはりこの方向から考えるのが正解ではないかと私は思っています。 けーたい文学(私は読んだことがないのですが)は会話主体だと聞きました。会話だって立派な日本語ですが、日本語の深みはやはり精緻な書き言葉で洗練され磨かれてきたわけで、会話体のみで本来の日本語の伝統がしっかり継承されるとは思えません。 けーたいでもウェブでも、しっかりした書き言葉が流通すれば日本語の文化継承にはわるいものではないと私は思っています。タブレットなどの発展も本の駆逐はあってもそれらに置き換わるのは時代の流れでしょう。 >古典離れについては、社会で必要とされる形に日本語が変化していったのではないか、と思うぐらいです。 ある意味それは正しいと思います。なくなるものはしかたありませんが、なるがままというのも正しいとは思いません。言葉は本来保守的なものであるべきです。日本語の正しい継承として、過去の古典的な文学者の作品は今後も読まれるべきだし、教育もその方向で古典保存へ力を入れるべきだと思います。

その他の回答 (1)

noname#229262
noname#229262
回答No.1

こんばんは、 古い話ですが 東大卒のはずのホリエモンが、クイズ番組で答えを漢字で書いてまちがえて、司会者の突っ込みに、「テクノ依存」だからしかたないと。 苦しいわけをしているのをみましたが。

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