<アフガンは岩山だらけで資源も無ければ人も少ない、豊かとはいえない地域だと思いますが、
そんな場所をイギリス、ロシア(ソ連)、アメリカのような覇権国が抑えたがるのは何故なのでしょうか?>
・19世紀のイギリスの場合(No.2の方の回答が詳しい)
イギリス本土よりも、はるかに人口の多い英領インド帝国が、当時の世界国家「イギリス」の国力の源泉でした。
その最重要地であるインドからスエズ運河を通って、イギリス本土こ向かう航路が、国益の生命線となっていました。
その状況下で、不凍港のないロシアが、伝統的な『南下政策』の出来る意地点として、アフガニスタンからイランを通過して、インド洋に出る地帯を支配することを目指します。
イギリスは、ロシアの南下を抑えるために、アフガニスタンを勢力下に置く政策をとります。
・ソ連の場合
一番に、中近東の産油国に対する発言力の強化、二番目に有利な防衛ラインの設定です。
石油に関連する事項は、No.1、No.2の方の回答参照にしてください。
防衛については、内陸国が国境を守る場合、山岳地帯に実質的な国境(=軍事的勢力圏の境界)を設定しようとします。
陸上の電撃侵攻の主力は戦車ですが、ソ連国境線に平行した山脈が幾重にもつながる山岳地帯が国土の大部分を占めるアフガニスタンがソ連の衛星国なら、借りに侵攻があったとしても、アフガニスタンを戦車部隊が通過するには、相当な時間と物資の消費・戦力の損耗が避けられません。
それに対して、アフガニスタンが敵対国の衛星国なら、アフガニスタン国境から広大な平原が続くソ連南部まで、有効に機能する自然の防衛障壁が、アフガニスタンよりも規模が小さく、距離も格段に短くなってしまいます。
・アメリカの場合
実は、アメリカはアフガニスタンを欲しておらず、アフガニスタンを押さえていませんでした。
時間を追っていくと、ソ連が、アフガニスタン内戦に介入して10年間戦い続け、その間の膨大な戦費支出の継続で、経済崩壊してしまい、アフガニスタンから撤退する羽目になり、その後続けてソ連という政治体制自体が崩壊してしまいました。
⇒ ソ連にとって国境を接した隣国とは言え、戦争の継続はソ連経済を破滅に導き、最後は最前線の戦闘部隊に軍需物資の補給が滞るようになり、撤退を余儀なくされました。
その結果、社会主義独裁政権の政権維持の要である軍からの支持がなくなってしまいました。戦えと言って戦場に送りだされたのに、食糧・武器・弾薬がない状態に追い込まれれば、軍人は死ぬしかありません。そのような状態でも軍人が「政府」を支持するはずもありません。
ソ連崩壊の結果、中央アジアには大きな軍事的緊張緩和によって、どの国も軍事的に手を出さない空白が生まれた結果、どの国も経済援助をしない状況となり、アフガニスタン内戦・ソ連の侵攻で破壊された経済基盤がそのまま放置される状態となりました。
そのような、疲弊した社会が世界から見放された状態になった結果、国内の宗教的互助組織「タリバン」だけが国民生活のよりどころとなり、政治的権力を獲得して、国政を握る状況に至りました。
有名な「バーミヤンの石仏爆破」も、偶像崇拝の排除という宗教的理由もありますが、世界の援助の手から見放された状況に対して、世界の目をアフガニスタンに向けさせる目的がありました。
また、ソ連の軍事的勢力拡大に対しては、軍事援助を行い武器を供給して戦わせるのに、ソ連が崩壊すると軍事援助どころか民生援助もしないアメリカという大国の身勝手を、身をもって体験したアフガニスタンは、9・11テロを起こした「アルカイーダ」を保護する方針を取るという行動に出たのです。
現在、アメリカ以下先進国は現状認識として、『軍事的空白』を作ると、テロの温床となるという体験から、「軍事的空白をできるだけ作らない」・「内戦による貧困地域には民生援助を行う必要がある」という教訓を踏まえたうえで、国際援助を実施しています。