こんにちは。
我々動物にとって感情とは、学習結果を用いて生後環境に適応した行動を選択するためにあります。例えば、ほぼ全ての動物で苦痛とは不利益であるという判定基準が遺伝的に定められています。ですが、これでは実際に苦痛が与えられなければ逃げることはできません。では、一度痛い思いをするならばそれが危険であると学習されます。このようにして、我々動物は生後体験の結果から何が利益で何が不利益であるかを一つひとつ学習してゆきます。そして、それが危険であると学習されるならばそこに恐怖という感情が発生し、それ以降は苦痛を与えられる前に回避行動を選択することができるようになります。
正の感情と負の感情があるのは、ここでは利益と不利益の判定が行なわれるからです。そしてその結果、利益には接近行動、不利益には回避行動という選択の原則が定められており、我々はこれに逆らうことはできません。このため、不利益と判定されたものには負の感情が発生し、自らはそれに近付くことができなくなるようになっています。
このように、負の感情というのは不利益を回避するためのものですから、なければやはりたいへん困ります。では、正の感情といえども原則的には逆らうことができないのですから、利益と判定されたものに欲望が抑えられなくなってしまうなんてことだって幾らでもあるわけです。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、全ての行動が自分の利益不利益に基づいて選択できるならば感情には何の弊害もありません。ところが、動物としては逆らうことができないにも拘わらず、それを我慢して生活しているのが我々現代人です。このため、しばしば「社会性ストレス」なんてものを抱え込むことになります。
では、ならばもし感情がなかったとしますならばいったいどうなるでしょう。我々の感情とは与えられた状況に応じた適切な行動を選択するためにあります。これがどういうことかと言いますと、即ち感情がなければ一切の行動を選択することができないということです。
脳の情動機能を損傷して感情を失ってしまった患者さんの事例があるのですが、このひとは自分で何も決められなくなってしまいました。朝どのネクタイを締めるのか、鞄に何を入れるか、どの靴を履けばいいのか。これは、脳内で利益と不利益の判定ができないからです。
友人が心配して訪ねると、自分が何をしたらいいのか分からないと答えます。ですが、感情がありませんので、恐らく辛いと感じることもないでしょう。気の毒なことに、結局ひとに騙されて財産を失ってしまったそうです。