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耳、脳の音声判断について

このカテゴリか迷ったのですが質問させて下さい。 右と左で別の音声を聞いたとします。 ニュースと音楽。英語と中国語など。 その場合聞き分けることは出来るのでしょうか。 脳は耳の情報をどう整理し蓄積するのかそれはLとR別の音声でも可能か知りたくなりました。

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  • ruehas
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回答No.2

こんにちは。 「両耳分離聴実験」と言い、心理学や脳の研究などでは実際に行われています。これは両耳に全く別々の聴覚刺激を与え、これによって聴覚知覚・認知における左右半球の機能の違いを調べるというものです。 その前に、良く左の耳にイヤホンを付けて競馬中継を聞いているひとがいますよね。ご存知だと思いますが、我々が言語情報を処理するための言語野といいますのはほとんどのひとで左脳にしかありません。ところが、左右の聴覚路は確かに脳内で交差をしているのですが、全ての聴覚神経が反対側に接続されているわけではなく、一部は同側半球の聴覚野にもちゃんと入力されています。つまり、完全には分かれていないんですね。また、我々の左右半球は脳梁で繋がれており、これを介して情報は逐一やり取りされています。 ならば、 「同側から入力される情報は反対側よりも少ない」 「脳梁を伝わって来る情報は若干遅れる」、ということはあるかも知れませんが、これで我々が日常生活に不便を感じるということはまずありません。ですから、左耳だけでも競馬中継が聞けるというわけですね。 では、「両耳分離聴実験」といいますのは上記のような聴覚路の解剖学的構造を前提として行われたものです。最も初期に行われたのは別々の数字を聞かせ、後でそれを答えてもらうというものです。課題そのものは誰でも答えられる単純なものなのですが、両方いっぺんにやられますとやはり正解率が下がってしまいます。 ここでは、この数字のように言語情報を用いた場合、右耳の正解率がほぼ100%であるのに対し、どうしても左耳の成績が落ちる傾向にあるという結果が得られました。このため、それは言語機能が左脳に特化さていることと関係があるのではないかと考えられました。加えて、左耳でも幾つか正解ができるのは、その一部が言語情報として左脳に入力されているということです。 ところが、残念なことにこの実験はまだ科学的には立証されていません。何故かといいますと、最も厄介なのは、果たしてそこでどんなに厳格な実験を行ったとしましても、被験者がそのときどちらの情報に注意を向けたかによって結果が変わってしまうという難問を排除することが中々できないからです。 心理学では「カクテル・パーティ効果」というのが古くから研究されています。これは複数の情報、あるいはもっと煩雑な状況であったとしましても、我々は注意を傾けることによりそれを聞き取ることができるというものです。これ事態は別にそれほど不思議なことではないのですが、果たして、これによって逆にそれ以外の情報がほとんど遮断されてしまうというのもまた事実なのであります。 ここではヘッドホンを使い、左右に異なる内容の言語メッセージを聞いてもらうというものです。では、果たしてこれにより、左右どちらかには関係なく、注意を向けた内容は理解できますが、そうでない方のメッセージがどうしてもあやふやになるという当たり前の結果が得られてしまいます。ですから、例えそれが日本語と外国語であったとしましても、外国語の方に注意を払っていれば日本語の方が聞き取れないということも十分にあり得るというわけです。 基本的には、我々は二つのことをいっぺんに考えることはできません。加えて、そこには集中力の問題が関わっており、どちらかに注意を傾けるならばどうしても片方が疎かなります。 聴くという行為は「知覚」「認知」「体験」「記憶」といったプロセスに分けられると思います。知覚の段階では「音韻」というものがほんの僅かな時間だけ保持されます。これは通常0.5秒から、少なくとも一秒以内に消え去ってしまうものです。ですから、その間に注意を向けなければ二度と情報として取り込むことはできなくなるわけです。ですが、これがあるため我々は、言葉の意味を繋げながら文章全体を理解してゆくという作業を行うことができます。では、認知過程においてはその内容が一時記憶として保持されるため、それが何を意味するのか、自分はどう思うのかといった体験が可能となります。そして、これらの情報に基づいて一連の学習を施すのが記憶ということになります。 同時通訳というのがありますが、これは恐らくこの「音韻保持」を巧みに使わなければまずできないと思います。このため、同時通訳の作業といいますのはたいへんな集中力を要し、テレビ中継などの場合はひとりで約30分程度が限界という話も聞いたことがあります。ならば、この状態で通訳の内容を理解したり記憶したりといったことは、果たしてどのくらいできるものなんでしょうか。 ですが、これは逆に訓練をすればある程度までは可能ということです。聖徳太子はいっぺんに十人の話を聞き分けたと伝えられています。ただ、原理的には可能ということになりますが、普通の我々ではとても手が回らないですよね。 では、ニュースを理解しながら音楽を聴くというのはそれほど難しい注文ではありません。「体験」といいますのは大脳皮質の処理とは別に、主に感情を司る大脳辺縁系の情動反応を介して視床下部から全身の自律神経系に及ぶものです。 言語情報というのは、基本的には意味理解が行われなければ心に感情を抱くことはできません。これに対しまして、音楽といいますのは我々の本能的な部分に直接訴えてくるものであり、認知や思考といったブロセスをスキップして無意識のうちに情動体験に繋がるという特徴を持っています。 音楽体験といいますのは聴覚野で統合されるものですが、言語処理といいますのは言語野で行われます。ですから、脳内では言語処理と音楽体験は別々の経路で行われているわけですから、ニュースを聞きながらでも嬉しい切ないといったその音楽のもたらす情緒やイメージを脳内に得るというのは普通に可能と思われます。但し、聞き入ってしまえば当然ニュースが耳に入りませんし、果たして大脳辺縁系の情動の方はひとつなのですから、例えば「上野動物園のパンダが盗まれた!」なんてニュースなどが飛び込んできたりしますならば、恐らく情動体験の対象は一瞬のうちにそちらに奪われてしまうのではないでしょうか。

noname#144691
質問者

お礼

ありがとうございます。 一度で難しい部分もあり2度3度読みなおして 理解させてもらえればと思っております。 大変参考になりました。

その他の回答 (1)

  • DJ-Potato
  • ベストアンサー率36% (692/1917)
回答No.1

ふたりから同時に話しかけられて両方に応えられる人もいますから、可能は可能だと思います。 脳が五感から情報を認識する時は、生データではなくてカテゴリとかキーワードとかに分類して入力されているような感じだそうです。 右目と左目に違う絵を見せたら、どっちも見えるけど大きく混乱したり、どっちかが見えなくなったりしますね。 それをうまいこと使って、偽3D映像を見せるのが最近の流行りですね。 ヘッドホンのRとLで違う音を聞かせて、音響に立体感を持たせたりしますし。 エアロスミスと北島三郎を同時に聞いたら、双方を同時に聞いているという認識はあるでしょうが、それぞれを堪能するのは難しいかもしれません。 本を読みながら音楽を聴いたりする時に、どちらかが上の空になるのと同じ状況だと思います。

noname#144691
質問者

お礼

適確でわかりやすい例えで納得できました。 貴重なお時間をさいていただき ありがとうございます。

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