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孫子

孫子の一説に 「故に曰わく、彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず殆し。」 という文章がありますがこれは 「相手の(国の)事も自分の事も知っていれば危いことはない」「相手を良く知らないで自分の事を知っていれば勝ったり負けたりする」「自分の事も相手の事も知らなければ戦う度に必ず危い」 ということですが 「敵国の様子を良く知っていて自国の様子を知らない」場合はどうなのでしょうか。 やはり「一勝一負」するんでしょうか。 内政が安定していないなどの事も考えられるので内から崩壊する危険もあるので「戦う度に殆い」ということも考えられると思うのですが・・・。

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  • tokoteku
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回答No.5

再び、お礼に対して追加。 >やはり孔明のお陰なのでしょうか。 >しかし劉備のもとに関羽、張飛、趙雲など >数々の人材が集ったのは劉備自身の「人徳」 >だと思いますけど・・・。 >その人材がなければ諸葛もあそこまでは >できなかったと思いますが・・・。 少し私の表現が適切でなかったかもしれません。 「蜀という三国鼎立の一端を担うまでになりました」は、 「彼」が「故に曰わく、彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。」を行い戦った結果だと考えられます。 の「彼」とは劉備玄徳のことです。 孔明にしても劉備の「人徳」に集まった一人であると 考えられます。 しかし、劉備には、孔明がなくてはならない存在 だったものまた事実かと。 >しかし諸葛という軍師を得なければそこまで飛躍はしな>かった・・もといすぐに(とは言いませんが)滅んでい>たんでしょうね。魚が水を得たようなもので? 私もそのようにおもいます。

syu-yu
質問者

お礼

こちらこそ勘違いをしてしまって済みませんでした。 >「蜀という三国鼎立の一端を担うまでになりましたは、 >「彼」が「故に曰わく、彼を知り己を知れば、百戦して>殆うからず。」を行い戦った結果だと考えられます。 >の「彼」とは劉備玄徳のことです。 確かにその通りですね。

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  • tokoteku
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回答No.4

お礼に対して追加。 >確かに自分の足元(基盤)すら固めていない人に >そんな余裕があるはずもないですね。 >しかし三国時代の劉備などは最初は全く基盤を >持っておらず流浪の軍としてやっていましたが >それでも蜀という三国鼎立の一端を担うまでに >なりましたが・・結局は危うい戦を続けてなんとか・・・ >という感じだったのでしょうかね。 >なんか話がズレたような気もしますが・・・。 いえいえ。 私もあまり詳しくはないので、偉そうには言えませんが・・ 劉備玄徳は諸葛孔明との出会いにより、 孫子の兵法を実践できるようになったよう におもわれます。 「蜀という三国鼎立の一端を担うまでになりました」は、 彼が「故に曰わく、彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。」を行い戦った結果だと考えられます。 ではでは。

syu-yu
質問者

お礼

やはり孔明のお陰なのでしょうか。しかし劉備のもとに関羽、張飛、趙雲など数々の人材が集ったのは劉備自身の「人徳」だと思いますけど・・・。その人材がなければ諸葛もあそこまではできなかったと思いますが・・・。 しかし諸葛という軍師を得なければそこまで飛躍はしなかった・・もといすぐに(とは言いませんが)滅んでいたんでしょうね。魚が水を得たようなもので?

  • tokoteku
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回答No.3

孫子の一説では 「故に曰わく、彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず殆し。」 の前に 「故に勝を知るには五有り。 以って戦うべきと以って戦うべからざるとを知る者は勝つ。 衆寡の用を織る者は勝つ。 上下の欲を同じくする者は勝つ。 虞以って不虞を待つものは勝つ。 将、能にして君の御せざる者は勝つ。 この五者は、勝を知るの道なり。」 と開戦するにあたって、敵に勝つための五つの大前提が 書かれているようです。 この場合の己を知るとは、 今、戦いをすべき時か?やめておくべきか? 自国の兵力に合った戦術を知っているか? 将と兵が同じ目標を持ち統制がとれているか? 自国の兵力を最高な状態を維持しながら、 敵の隙ができるのを待つことができるか? 将が有能であることを君主が認め、余計なことは言わず、 任せることができるか? を知ると言うことのようですので、己を知るということが、 最低限必要ということになります。 仮に「敵国の様子を良く知っていて自国の様子を知らない」 場合があったとしたら 、「戦う度に殆い」 と、考えられますが、自分の足元も見えない人に 敵国の様子を知ることがはたしてできるのかどうか?? ではでは。

syu-yu
質問者

お礼

確かに自分の足元(基盤)すら固めていない人にそんな余裕があるはずもないですね。 しかし三国時代の劉備などは最初は全く基盤を持っておらず流浪の軍としてやっていましたがそれでも蜀という三国鼎立の一端を担うまでになりましたが・・結局は危うい戦を続けてなんとか・・・という感じだったのでしょうかね。 なんか話がズレたような気もしますが・・・。

  • gongqi
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回答No.2

戦を構える順序として「まず己を知れ」というのが本質ではないでしょうか。それによって、自国の備えや戦略が定まるのだと思います。

syu-yu
質問者

お礼

なるほど。まず自国のことを把握していることが(しようとすることが)前提なのでしょうかね。

回答No.1

 これは一種の例えで、「戦う場合は、敵のことも味方のこともよく知っていなければならない。そうでなければ、負けますよ」と戒めているのです。  だから、「相手の事を良く知っていて、自分の事を良く知らない」という状況の時は、どうなる?とか考える必要はないですね。常に相手や自分のことをよく知る努力をしていないといけません、という事でしょう。  まあ、そうした事を抜きにして、しいて考えれば、一勝一負でしょうか。  

syu-yu
質問者

お礼

例えですか。 知ろうと努力することが大切で常にその努力を怠ってはなりませんよ、ということなのでしょうか。 孫子は他にも数々の名言がありますがそれも一種の例えとして捉えたほうが良いんですかね。