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先週の「江」小山の陣
この前の江の小山の陣と思われるシーンで疑問がわきました。 真田信繁が登場していたのですが実際はどこまでついてきていたのでしょうか。 てっきり最初から参陣してたのは信之だけだと思ってたのですが。
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慶長5年(1600年)7月、家康は出仕を拒否する上杉景勝に討伐軍を起こして関東へ下り、在京していた真田昌幸もこれに従っている。家康の留守中に五奉行の石田三成が挙兵し、諸大名に家康弾劾の書状を送り多数派工作を始める。昌幸は下野国犬伏で書状を受け取ったと言われ宇多氏を通じて三成と姻戚にあった関係から次男・信繁と共に西軍に与し、上田城へ引き返す。
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- nene-k
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回答No.3
真田昌幸父子らの犬伏の別れが7月21日で、小山の軍議が7月25日なので、東軍に残った兄の信幸はともかく、昌幸と信繁は出てないと思いますよ。 小山の軍議のあった7月25日は、上田城に戻る途中の昌幸と信繁が沼田城に立ち寄った日で、留守を守る小松姫(信幸の正室)に入城拒否されてますから…沼田にいたはずでは?
- toshineko
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回答No.2
真田信繁は、1567年(一説に1570年)生まれとされていますから、 このときすでに30歳を越えており、一角の武将です。 信幸が沼田を領して徳川に出仕していましたから、昌幸が隠居した場合、上田は信繁が城主になっていた可能性があります。そんな立場ですのでもちろん出陣していたでしょう。